Tuesday, January 27, 2009

オマーン・ドバイの旅、写真篇

オマーン・ニズワフォートにて。することなくてたそがれる。
魚市場。


ドバイの伝統村。

マスカットフェスティバル。うまいんだぜ、食ってみろよ、とエジプトのおじさん。ごめん、もうそれは寮で食べ飽きてるんだ・・・




オマニスイーツに群がっていた地元少年。しいて言えば日本の「ゆべし」に生姜を入れてコトコト煮込んだ感じ。他の中東スイーツとは一線。



アフリカにも地理的に近いから。





猫が狙っていても、誰も追い払わない。観光客相手のレストランでは猫がのけ者にされていたのとは対照的。














再びマスカットフェスティバル。男は黙って仕事。このパイ生地も本当に美味しい。








街中に溢れるインドパキスタン人労働者のひとりに過ぎないかも知れない。しかし彼は・・・オマーンのインド人Mr.ビーンだった。間違いない。









夫婦の語らい。










夕方になれば街中にマットを敷いてゲームが始まる。これは大富豪。



話しかければ気さくすぎて、おおらかすぎて、明るすぎて、陽気すぎて、cheerfulとしか例えようのないオマーン人気質。








マスカットから南に300km、スールの海岸。


ワディ・シャーブ。見事な渓谷。



マスカットスーク。


ドバイのゴールドスーク。

Thursday, January 15, 2009

Diwaniya

初めて「ディワニーヤ」に参加した。ディワニーヤとは、以上の記事のようなもので、日本語で無理矢理言えば、「地区の集会所」とか「井戸端会議」とか「おしゃべり」とか「レクリエーション」とか、そういった言葉を連ねればどうにかなるかといえば、説明にはまるでならない気がする。アラビア語はフスハーとアンミーヤというほとんどまるで違う2つの「言語」に分かれていて、私たち学習者は大抵前者を、「普通の」アラブ人が「普通の」会話で使用するのが後者で、後者は文字で音を表すことができるが、フスハーの音が変化したものであるから、辞書には載っていない。そのため、この「ディワニーヤ」という概念も、当然辞書にも載っておらず、当初期待していつも通り考えうるスペリングで次々と引いても出てこずうんざりしてきた矢先にクウェート方言(アンミーヤ)であり、なによりもクウェート伝統のクウェート文化なのだということに行き着いた。(この記事の後に続く)

http://www.kuwaittimes.net/read_news.php?newsid=MTE3ODk1NTA3Ng==)
The seasonal Diwaniya
Published Date: June 27, 2008 By Hussain Al-Qatari

This is what you will see: empty and half-empty bags of junk food, cigarette butts, ashtrays, empty cans of soft drinks (occasionally used as ashtrays). Socks - smelly, balled up and thrown to the side of the room, their reek mixing with the air already thick with smoke, with a trace of perfume or aftershave. This, unmistakably, is the room where young men spend a lot of their time in the summer, escaping the heat and trying to defeat the boredom. These are 'Diwaniyas', but of a different kind.

Diwaniyas figure as a main pillar in Kuwaiti life. Their existence distinguishes Kuwait from any other country in the Gulf region. They take the role of political forums set by the people of the country to discuss their concerns, and throughout the history of Kuwait they have proven their influence more than once.

While they reach their highest climax during political crisis, a sub-category flourishes during the season of summer, when Kuwaitis flock to their favorite summertime destinations, and expatriates go back to their homelands, and the once-packed streets become gradually empty. The search for entertainment occupies every Kuwaiti youth then.

For a good majority, the answer to this quest is found in Diwaniyas. The Diwaniyas fo the youth are not actual Diwaniyas - they are rather quasi-Diwaniyas. Despite the fact that they are crowned with the title 'Diwaniya', they differ hugely. The only similarity that they share with actual Diwaniyas is that they are strictly for males. These Diwaniya replicas are usually the hangout of young men in their late teens and early to mid twenties -- although some of them might include some 'seniors'.

This kind of Diwaniya is more than a hangout place, though. It is a phase that every young man goes through as he grows up. It is the attempt of youngsters to imitate the community of the elders, but the young version is vibrant with its own features. Generally, it is more laidback and relaxed, and is free from the stress of politics, although the subject may arise occasionally.

What you can do

The things that one does inside a Diwaniya are unlimited, but there are a few things that are essential. They include: two decks at least of cards, a video game console, a DVD player, a subscription to the exclusive broadcasters of any current soccer tournaments. Soccer is usually a huge attraction in Diwaniyas, with plasma screens that give a similar feeling of a soccer field. Aside from pure entertainment, you can boast about your latest escapades and share the latest dirties secrets - not of yourself, but of others (we don't like to call it gossip - it usually comes out dressed as a series of complaints and announcements of new discoveries). You can also be there just for the Internet access, or to get help from The Nerd with your homework, if you have any.

When you can go

Generally speaking, you do not ask 'when' when you want to go to a Diwaniya. You just go. The doors of a Diwaniya are usually open all day long, all week long, all month long -- and all year long. Do not make yourself a stranger. If you have been invited there once, then you have unlimited access to the place-and to everything inside the place. You can raid the mini-fridge, watch anything from the large variety of DVDs, choose among numerous video games and do whatever makes you happy. Once inside the Diwaniya, you do not have to leave unless you want to. There's no such thing as 'time to go'. All necessary facilities are available: wireless Internet connection, telephone, bathroom, you name it. Spare blankets and pillows are usually available on demand, unless you carry your own sleep bag in your car.

What you can talk about

Talking depends on the different kinds of people in the Diwaniya. Diwaniyas usually have a diversity of people and opinions, each an expert in their own field. That in turn allows for many subject s to be tackled. Generally, it all depends on when you talk about whatever you want to talk about, and with whom you open the subject. If you speak to The Philandering Womanizer about his views on the current political state, you have committed a grave mistake. You are bound to expect a very graphic answer that may or may not have anything to do with your question. If you speak to The Geek, expect an answer in tech gibberish. Coarse language is almost mandatory. You will hear a lot of creative combinations of curse words in different situations. The key point is to try to be present with an open mind.

Strangers' treatment

New faces appear regularly, but only a few of them leave the status of 'new' and become 'regular', forming therefore a strongly-bound small community of Diwaniya members. If you happen to be the new face, then prepare to be probed. Older Diwaniya members will find it necessary to test you and determine what kind of person you are. The criteria that decides the result differ depending on those who are quizzing you. To some, it is your ability to formulate funny punch lines and your idea of what actually is a funny line. To others, it's the amount of resilience you show towards the jokes that are directed to you. Your job and educational level rarely matters, and while there, do not expect people to have great interest in what you do for a living, your dissertation subject, your idea of a great epic work of literature or your acquaintance with symptoms of psychological disorders. It's not an ivory tower; it's a Diwaniya. Being there should not require much mental effort. You are there to enjoy your stress-free time.




どんなところにも人が住んで生きる場所には「文化」というものが存在すると信じたいところだが、この国にはどうもそういうものが希薄なのではないかと思わせる「材料」のほうが、そうでないものよりも用意がされやすい。「これが私たちの『文化』です、ハイ」と言って提示できるものが果たして「文化」がどうか分からないが、もしそういうことにするとしたら、このディワニーヤがその中の貴重なひとつに間違いなく数えられる。

今回お邪魔したディワニーヤの主たちはそれぞれ10年近く仏や英に留学し、帰国後は検察官や弁護士、裁判官や省庁の役人として働く50代の、典型的アッパーミドルのクウェート人男性。賢い方だとは思うが、特段驚愕するほど教養・知識人かと言うと、もちろんそうではない。ただ、とりあえず時間の無駄ではなかったかなと思わせるには十分というところ。ああ、こう書くと、私は常に他人を見下しているような印象を与えるのかも知れないが、断じて。比較の問題。決して自分が云々とは一言も言っていない。

なぜか今日は(は、と言っていいのかどうか知らんが)説明が冗長なので明瞭簡潔に努めよう。この習慣、文化を私は心から羨ましいと。アラブ文化の豊かさというのは人々の関係性だと思う。私的に所有された家屋やその他茶菓子等が社会の公の役割を、基盤から、ベースからがっちりと支えて。日々交わされる、急げば無駄とすら思えてしまうほどの長く「執拗な」挨拶文句は「過剰な」までの存在肯定と、コミュニケーションにとどまらない「議論」が公共的空間(この国にいて、ヨーロッパやアフリカとの文化的歴史的学術的接点を多く見つけることは容易だけれども、逆に言えば、この辺りが特に、例えば日本との絶望的な差異となって私の頭を打つ。)を下支えすることに、アラブ・イスラム文化に惚れるとしたら、私はこれを、心底愛しいと思う。イスラーム圏を「客人」として放浪する醍醐味はまさにここにあって、普段、とても客観的論理的に理解できないと吐いていても、究極的には、彼らの温かさ、「人間らしさ」が、どうしようもなく愛しくさせるのだと思う。

これはアラブ・イスラムに限らないが、極東アジア圏は比較的「氏名」が世界的に短いほうで、大部分は、父方母方含めて先祖代々入り組んだ名前を一人ひとりが持っている。文通していたブラジルの子の名前が途方もなく長くて、その一つ一つの要素にとてつもない歴史が垣間見えて、(例えば、これは多分ユダヤ人でオランダからブラジルに何十年か何百年前に移住してきたのだろうとか、これは何語から来ているとか、というセグメントが6、7個列をなしているような)どうしようもなく、その「重さ」にやられそうになったことがあったけれど、アラブ・イスラムも例外でなく、父親の名前が入ったりしてややこしく出来ている。先日イランのビザを無事取得して、あとは胸躍らせて旅行を待つだけなのだが、そのビザの氏名には父親の名前も途中に入って、「誰か、歴史、先祖と繋がっている感」満々の名前に仕上がっている。

この「繋がっている感」満々の名前を持ち、感情表現を表に良くも悪くも出し、豊富な挨拶表現と、密着した人間関係と、本当に誰でも受容される公共空間が常に確保されているということ(時間も場所も。そういう時間がたんまりあるというのは何もオイル収入が豊富なクウェートに限った話ではないが。私の実際的知識はクウェートとシリアしかないが、どちらも14時には仕事は終わり。いかに裁判官であろうとも、おそらく。)、そして、「強烈な」イスラームが付いていれば、誰も自殺することはないだろうし、少なくとも「ポジティヴ」に生きていけるのではないかと思ってしまう。ネガティヴラーの私には、どうも酷な感じだが。

そういうわけで、疲れ切って冷え切った日本やとりわけ東京なんかを思い出せば、粘着性のある砂漠の民の部族関係や、激しい昼夜の気温差や気候変動が下地となる彼らの気質に、まあ、色々と思うところはあるわけで。ただ、ため息ひとつでも。

Tuesday, January 13, 2009

サウジ国境雑感

サウジアラビアとの国境に行く。不毛の地と呼ぶことほど不毛なことはないのかも知れないと己を恥じる。
見る・見られるカンケイ。どっちが?これは全てに普遍的だと言い切ろう。


サウジとクウェートの国境。向かいには、結婚するか、ツアーに入るかしないと入ることはない。行けないわけではないが非常に行きにくい。そうなると俄然燃えてくるのが性だが。ゴミだって?ゴミだから?フェンスを越えられないんだ。シュールだな。



サウジから「砂漠のトリュフ」を売りに来た。名前失念。美味というわけでもないが、ただ希少なのだという。一箱約3200円(2009年1月11日現在)。


クウェートという国がどこまで行ってもこんな感じで、大学も語学学校も砂漠の中にあるだなんて思わないで欲しい、なんて、誰に口聞いているんだという感じですが。都市から車で1時間弱離れると、今まで蠢いていた蟠りがするすると波が引いていくように退散していくのが分かる。ああ、そうなのか、そうなんだよな、という合点。溜まっていたうずもりが解けていく。原点を知るとか、「本当」(何が「本当」かなんて、ねぇ。)の姿を垣間見たゆえのか、なんて陳腐な言葉で片付けたくないんだ。悩みを全身で受け止めて、省察を深く深く加え「ようとした」者だけに許される、安堵のため息。これで私は世界とやっていけると思うのだ。なぜ?と考えても、自分の持ち合わせている思考回路じゃ、どうにもならない世界のほうが多い。リアリストになれ、という分かりやすい話にはしたくない。手元のお茶が煮詰まった人だけに許される、諦めでも受容でも譲歩でもない。この感覚が好きだから、私は旅が、「異なるもの」との出会いに首ったけ、そしてやめられないのだと思う。一日5回のアッラー・アクバルに絶望する義務はなくとも、一旦はそうなるのが礼儀だと。何度か振り子のように往復するのが、一番人間らしくてかっこいいんだ。いつもの回りくどい謙遜も前提も置いておいて。そうやって、窓から眺めたり、胸を張るのもたまには悪くないと思う。




Thursday, January 1, 2009

年末雑感

今、これを日本時間の2008年(平成20年)12月31日の23時半過ぎに書き始めている。もはや生であるという臨場感と華々しさでしか引き付けるところのない(と私は思っているけれど、やはり大晦日にちらっとでも見ないと年が閉まらない気がどうしてもしてしまう。なんでもそうだが、紅白を紅白たらしめているのは、この「そこに今ある」という習慣性と反復性なのだと思う)紅白が佳境を迎え、23時45分にはその過剰なまでもの煌びやかさから一転、除夜の鐘の中継、我が家ではそこからチャンネルをまわして0時ちょうどに曲を終了させるテレビ東京のクラシックコンサート中継で新年の瞬間を迎えるのが常だった。

人間の作ったくだらない暦の節目に翻弄され過ぎるのもいかがかと思うが、普段何気なく受容してしまっている太陽の、生命の営みや反復に、地球上の決して少なくない人間たちが、タイムゾーンごとにバカ騒ぎをするのも悪くないと思っている。最初の新年を迎える、ある程度の経済的人工的地理的規模を備えた国家はオーストラリアや日本だろうが、彼らが地面からジャンプして、それに続く大ウェーブが既に始まっているのだと思うと、そして自分がそこから6時間離れた、ヒジュラ暦でもグレゴリウス暦でもお構いなしに大晦日や新年の祝いが大して行われるわけでもない、しかもそれどころではない(現在のガザ地区etc)地域を含めた、“エリア”の、ネットが繋がらず苦戦しているように外部からほど完全に遮断されることすらままある、この寮の一室で、私の将来におそらく何の役にも立たないが既に会話においては完全に自分の仏独語を抜いてしまった(読み書きにおいてはやはり格段の差が残るものの。)アラビア語の単語帳を傍らに置き、惜しげもなく煌々と電気をふんだんに使い「何もなかったし何もない」場所を照らすクウェートの街並みを6階の自室の窓から眺めつつ、「もはや」と言うべきか、「とうに」と言うべきか、全く働かない脳味噌を何とか動かないものかとカラカラと鳴らして年の瀬に奮闘している己が、切ないわけではないけれど情けないわけでもなく、それでもここは感慨に耽るべきだろうと思うに、手元の時計を見れば、日本はあと2分で新年なのだ。東アジアの少なくない国で今も使用されている数えで言えば、私は22になるのだ。モラトリアムホリデーはこれで最後である。

いくつかの国境やタイムゾーンを越える旅をすると、通貨や時間や文化やその他全ての様態は本当に本当に本当に相対的なものでしかないという、子どもでも知っている当たり前のことを、痛みや涙を知りながら全身で受け止めることになる。どこまで相対的であるべきか、というのは永遠のまた別の問題だけれども。で、これを、この文章の当初から6時間後のクウェートでの0時に書いているのだけれど、寮の馬鹿(バカ、と綴らない自分に誰か鞭でも打ってくれたらいい)騒ぎを耳にしながら、どうしても自分は常に傍観者でありたいと。地球上の人間が雪崩を打って新年を迎え騒ぐのも悪くないと6時間前に書いたのは、あくまでも当事者の枠から俯瞰(できたらいいとも思うし、できてしまったらそれはそれで問題だとも思うけど)するに過ぎなくて、その輪や枠の中に入らないor入れない自分を臆病者を呼ぶなら、そのほうがかえってエクスタシーというもの。そりゃあ、中に入って泣きながら笑ったり、笑いながら泣いたりできるのならいいけれど、もしかしたらみんなできているのかも知れないけれど、いいんだ、ダメ人間はそれでいいんだ。いいんだと肯定しながらのダメさ加減が、この二律背反が、入れ子構造が、だめだと知っていても、魔薬なのだろうか。しかもまた、この魔薬はひとを愛することも難しくするのだ。面倒だが、面倒くさく生きて行こうと思う。・・・って、また「思う」なんて言ってしまうのが問題なのだが。エンドレスですわな。

こんな屈強で頑固でどうにも手に負えない私は、常に機軸を日本に置いてしまっているように傍からは見えるだろうが、本当のところを言わなくとも、結局それは自分が大好き、自分にしか興味がないということで、今まで書いてきたことの繰り返しになるから(略)。

世間に習って、今年の総括でも。・・・と、色々書こうとしたけれど、言うべきことはただひとつのような気がして消してみた。こんなに肌がきれいになった。それだけ、それだけで、後はもう何も言う必要がない。

日本(=現実)に帰ったら、大学のそばに5,6万のアパートを借りて、留年せずに卒業できるようにただひたすら勉強しようと思う。洗濯機は無くても全く問題ないことが分かったし、時間や知識や経験をお金で買えるうちはいくらでも出そう。条件や環境は、全て整った。大まかに言って、2006年は学問的姿勢、心構えの調整。2007年は顔を上げて生きるのに必要な条件の掘り崩し。2008年はその復活。ここに、すべて整った。見られるものをできるだけ見て、悩めることをできるだけ悩んで、まっさらになって、8ヵ月後、帰る、と。今のところ、9月はフランスに1ヶ月居ようと。それでお楽しみはお終い。ちゃんと就職して、自分でコンスタントに稼ぎ、年を無難に取っていこうと思います。やっと、将来を見据える据わりができました。

とにかく、皆様のご健康を祈念して、また日頃のご厚意に感謝して、新年の挨拶と代えさせていただきます。どうか良いお年を!
!كل عام و أنتم بخير