Thursday, March 26, 2009

この哀しき愛しき有限性

人間の死に免疫が滅法なくなっているから、誰かに死なれたりしたら立ちどころに弱りきってしまいそうな気がする今日この頃だけれども、人間が美しいのはその有限性に依るのだとつくづく思う。どんな権力者にも天才にも誰にも止められない時間の流れが、人間を人間たらしめていることくらい誰でも知っていることだが、改めて実感すると、人間が、人間と出会って、何かを語り、何かに笑い、何かに泣き、何かに怒り、何かを考え、全き他者に測定不能な「影響」を与え合い、もう2度とやってこない瞬間を積み重ね、目に見えない、決して歴史家に選択されることのない歴史の襞になっていく。親や祖父母が子や孫に与える無償の代替不能な尊い愛は、決して同じ形をとらずに一回きりでしかしずっと更新されながら受け継がれていく。運命的な(と言うほど何も「運命的」ではないのだけれど、何十億人の中から出会ったという意味で、簡単なものではない)出会いを繰り返し、時間が束になって流れていくのを瞬間、どうしても繋ぎ止めたいと懇願したい衝動に駆られながらも、泣く泣く諦めなければ、受け入れなければならないその有限性がなければ、人間はもっと陳腐な存在でいられただろうに。悲しくてやりきれない。

2 comments:

[-_-] said...

Hm, not taking Japanese courses this semester, I cannot believe I start to forget that quick :S Whatsoever. You've got another mail :0 By the way, dead is certain and sad in many ways.

soissoimeme said...

Frist of all, I always have to make a caution to you! My blog is the worst material to learn Japanese!!>_<