Although I have already told each of my acquaintances with a great gratitude for his/her help for years, I am happy to report to all of you here that I would be working at this company (April 2011~). Here let me look back on the last seven months (or more) I had been struggling for.
(結果的に他にも内定を頂いたけれど、がっつり決定してから)虚脱感から回復するのに数日はかかると言われ、んにゃ1日でと豪語してみたものの、やはり3-4日は必要と実感する春の(はずの)日。とりあえず方々にご報告兼ね節目とあって日頃の感謝を振りまいた(つもり)で、正式に人事グループ10名程度と握手してから2日が経ち、実家に顔向けできるようになり、ここに最終的に何かまとめて私の就職活動は成仏できる気がする。
大学入学後から自分が果たして社会や世界で実際的に用のある人間足るのか、足るとしたらそれは何ならばあるかないか分からない己の能力を(あるとして)自分や他人にとってポジティヴな方向性に最大化できるのか、という3-4年で決着つけるべきテーマが何をするでも頭の片隅にあって、心からこれでいいんだ的安心は一瞬たりとも得られたことがなかった気がする。そのテーマに向き合うにあたって、色々な外界刺激物(ヒト含む)から影響されつつ、各選択肢を丁寧に(=ぐだぐだ、だらだら、行ったり来たり)検討するわけだけれども、悶々としたりすっきりしたような気になったり、おそらく全ての人が程度の差こそあれ通過する道なのだけれども、私の煮え切らない不器用さ全開だったこともあり、およそ合理性とか効率性とはほど遠い悩み方に邁進していた。時間切れというか時効を迎える(=時間が解決してくれる系)ことに、最後はどこか期待するほど、もう疲れ切っていたようにも思える。もう「やってみること」が自分には必要で、それをただ待っていた。
「こういうのがいい」とは言えても「これでなきゃ」という拘りを持つに至るほどの説得力も情熱も経験も持たないし、man of ability以前にman of possibilityの次元から卒業することに恐れ、あるいはその卒業の仕方に自分で責任は取るけれども、ある程度の流れにもちょっと転嫁したい心情もあるわけで、いやぁ、本当に面倒くさい子だった。これが、その会社の面接のフィードバックで言われたような「良い意味での割り切りと拘り」と取れるなら合格。
ただ、今全てが終わって思うのは、あれがいいこれが嫌だという自分の複数のセレクトから、最終的に結果的に抽出されたこの一滴というのは、思えば意外でもあるけれどよくよく検討してみると、非常に理に叶っているみたい(まぁ、自分の決定を正当化している部分は否めないけれど)。ファーストキャリアとしては金融ほどではないかも知れないけど、融通は効く。まだ私のしがみつきたい(残しておきたい)選択肢(可能性)は残る。残るっていうか、全部同時進行可能。世の中、収まるところに収まるようによくできている。
本当にNNTに陥ったらそれはそれなりにもうちょっと強靱な精神とか、面白い(深みのある)人生に繋がったかも知れない。だけど、最近思うに、結局どの道を通っても、凡人であれ天才であれ、行き着く境地とか状況は具体的には異なっていても本質的にはそんなに変わらないんじゃないかという、漠然として根拠のない確信がある(なんか宗教っぽいけど、私は十分宗教じみてるし(自分教の教祖的に)もう否定しなくていいや)。だからっていうのもあるけど(なんかどんどん冗長になってるけど今そういう気分なので許して)、その人その人なりに考えたりいろいろトライしてみたりするのは非常に大事。だけど、そこに答えがあると信じて頑張っても(常々updateされていてよく見ると幻影だったりするから)結構キツいし、逆に答えなんかないんだからこその過程重視で頑張るのも(限界がなくて)結構キツい。何のために、とか何を(どれを)、とか何で、っていう5w系は時に不毛に人を追い詰める。とりあえずhowに誠実にやれていれば納得のいくwhatとかwhereが見えてくる、ぐらいのスタンスのほうが救われるんじゃないかと。自分はどう暮らしたいのか、の「どう」のほうを追っていたら、ああそうか的whatが出てくるんだろうね。
私はいわゆる「就職活動」を一生懸命やったタチではなかった。筆記対策もしなかったから意外なところで面接前に落とされたし、納得して(それほど演技しないで)志望動機を語れる企業以外は受けなかった(保険・リスクヘッジなし)。選考過程中は確かにもちろん一喜一憂させられたけれど、総じて、時間とそれなりの行動の経過が自分で絞りきれない選択肢を絞ってくれるという嬉しい感じがどこかであったからだと。だから、複数の企業の2次or最終面接で50代~のおじさまたちが本当に真摯に私の進路について相談にのってくれた(能力・パーソナリティー的には採りたいけど、社風に合わなさそう・会社踏み台にして(あるいはできない社員等に失望して)すぐ辞めそう(本人には過大評価だとしか思えないけど)etcだから採らないけど、この子は何をすると幸せなんだろうね(どんな男がいいだろうね、というのは余計なお世話だったけど)と考えてくれる)というのは、自己肯定的な側面でもそうだし、ちょっと社会参加(アンガージュマンほどじゃなくて、ああ関わってるなあくらいのノリ)できてる感も手伝って、非常にいい経験だった。
何点か誰かの役に立ちそうなこと(一般化できるレベル)を箇条書きすると
・リクスーはスカートじゃなくても全然いい。
・慢性的健康(悪)状態は医学で改善できるなら全ての合理的な手段に訴えてみる。それでもだめならそれをひっくるめて自分が幸せに生きられる道を考えればいい。
・学生(勉学が本分)らしい学生生活を送ってきた人にとって、その後も学生らしい生活を送る予定であったとしても、大の複数のいい大人たちが本気になって自分の話を聞いてくれる(タダで!)この機会(就職活動というより採用、選考過程)はお得であるから逃すでない。説明会とかは選考に必須の場合以外は参加しなくていい(あるいはネットや人を通じて業務内容や業界知識が手に入る場合を除いて)が、この際、ああもういいかも、と思うときまで色々な人と話をするといい。働き方のモデルに出会うことは難しい(簡単な人もいるかも知れないが)が、複数の人のパターンからあぶり出すことは大いに可能。
・入ろうと思っていない企業での面接でも、こちらにある程度の真面目さと相手が話を続けたいと思わせる能力が備わっていれば、非常に誠実に対応してくれる。面接はビジネス的(交渉)側面もあるけれど、いい意味で甘えていい側面もある。みんな初めは子どもだったから。
・資金をけちる(けちれる=節約できる)ところ(交通費とか)と、景気よく出すところ(靴、本、交際費とか)を、中長期的視野でコスパを考えて割り切ったほうがいい。
・本当に入りたい企業の筆記試験(Webテスト)なら少しは(一部の天才・秀才以外は)勉強したほうが絶対にいい。
最後に
・どうあがいても(ある程度あがくことが必要条件だから、今あがいているんだくらいの認識で)その人の身の丈にあったところに最終的には収まるようになっていると信じるならば、気分は楽であります。
ということは一般化できると思う。
あとは、
就職活動を自分がする、というよりは、世の中の就職活動とやらに参加してみる、というスタンスも楽です。人の言うことは(私がここで言っていることも含め)、適当に聞いておくのが身のためです。色々なソースから最大公約数とか最小公約数を見ていくと、死ぬほど脱線せずに済みます。くたばれ就活!とデモしたい気分は抑えて、その就活を利用するほうが便利(システムとしては問題あるけどうまく使えば大いにプラスになる)。
と、まあ今晩はこんなところで。お粗末様でした。