Sunday, March 8, 2009

すべてを委ねて進むのみ

3月6日
母国を出てしばらくすると己の祖国観とでもいうようなものが、ある程度相対化され、しかも多くの人がそれを「見直す」方向にmodefyするというよくある説は、おそらく嘘では全くないがゆえに、ナショナルなものとバランスをとって付き合っていくべき「知識人」たろう者としては、無批判的に受け入れることは到底許されないものではあるが、それに大して、十分な理性と教養とバランス感覚を持って対峙することは、ひとつの「成熟」の形であろうとも思える。インターネットへの接続もままならず、日本にいれば毎月何冊も購入するはめになる夥しい数の優れた新刊書にアクセスするチャンスもなく、文化出版先進国ならいざ知らず、そうしたup-datedされた紙媒体の情報源に恋慕の情さえ抱かずにはいられない中では、大使館から横流ししてもらう『外交フォーラム』はもとより、独立行政法人国際協力機構が発行している情報誌は、母語でそういった欲求を満たすのに、最低限の貢献をしてくれている。後者は当然日本のODAやJICAの活動マンセー誌ではあるから、その辺を差し引いて読むべきでもあるのだけれど、その点を十分に考慮(したつもり)しても、日本という国のプラスの方向での「成熟度」が計り知れてしまう。私が日本を出る直前に東大で「成熟」をテーマにしたシンポジウムの類が開かれていたけれど、そういえばこの辺りの国々ではそれは当然どう頑張っても「不可能」な着眼点であるし、(またそうする必要もないし、それに対して壮大な価値判断を持ち込む「大胆性」ももちろん私は持ち合わせていないのだけれど)この周辺国(思い切って言ってしまえば「アラブ諸国」)の、社会、政治経済、学術文化、テクノロジーの「浅さ」をどうにかして耐えうるものにするには、ため息の出るような時間とコストがこれから待っていると思えてしまうのは、あながち知的バランスを逸しているとは言い難いような気がする。

3月7日
「アメリカ以外の世界はアメリカの一部であり、アメリカ人でない人はいずれアメリカ人になる人だ」親米でも反米でもなく、アメリカを見つめてみるならば、その「実は」の懐の深さがアメリカをアメリカたらしめているのだろうと。20代のうちに何らかの形で長期滞在をどうにかしてしてみたいと思わせる国。

ある歌詞が自分の現心境や状況にびったり嵌ってしまってどうにもこうにもならないということはままある。それまで気づかずに聞き流していた曲が自分にとってものすごい意味を有していたことに愕然とする瞬間がある。スピッツの何かのインタビューで、草野氏が、誰にでもどうとでもとれるような歌詞がいい、というようなことを言っていたことを思い出す。核心は通しつつ、無数の人々にこうして胸いっぱいのため息をつかせる作詞家は本当にすごいと思う。

溢れそうな気持ち 無理矢理隠して 今日もまた遠くばかり見ていた 君と語り合った くだらないあれこれ 抱きしめて どうにか生きているけど 魔法のコトバ 2人だけには分かる 夢見るとかそんな暇もないこの頃 思い出して 可笑しくて嬉しくて また会えるよ 約束しなくても ・・・ 魔法のコトバ 口にすれば短く だけど効果はすごいものがあるってことで 誰も知らない 誰でも色褪せない その後のストーリー 分け合える日まで

إن شاء الله (神の意思あれば)と本当に言いたくなるときが(も?)ある。実用性の観点からだけではなく、なんて便利な言葉だろうと最近つくづく思う。どんなに頑張っても、最終的には自分教の神様が判断すること。よく見えない何かに導かれていくしかない、と、決定論とか運命論ではなしに、胸が痛いほどそう思ってしまえることは少なくない。すべては مكتوب(written)、書かれている、とパウロコエーリョの小説アルケミストの気分。

4 comments:

[-_-] said...

Seems like theres a problem with your blog... -K

soissoimeme said...

Problem? What kind of? I have no idea.

hnnvansier said...

"insa-Allah" is "I do and keep doing all necessary things to achieve my goal. But I leave the decision to Allah; if it is better for me that way, I wont be sad if I fail. He knows the best and, I did everything for my purpose; so please let me have the victory if it is good for me. And please fail me if I am walking on the wrong path. You know the best for us, I do not."

That is the meaning of insa-Allah. It is not "I sleep and God works for me".

soissoimeme said...

Yeah, this is trully what I want to say on this context. Some use this important phrase too casually, in my opinion, so, for me, now is "the" time to use it.