Saturday, October 31, 2009

うちが一番だ



I am totally at a loss. Although I have done nothing enough to be lost, I would like someone or something to lead me automatically to the place at which I can do something not that bad. If I could see myself working somewhere after 1.5 years now, I would be able to be released from this kind of feeling.

I do not know why not a few of people are able to do their best, positively, cheerfully and confidently. I would rather like to stay at the corner of room and turn over the leaves...Please give me a job that even I can do!

Is not there anyone other than me, who thinks that Ms.Katsuma's smile seems to be somewhat awkward??---Hmm.

Friday, October 30, 2009

イランとトルコの名誉殺人記事

Here the newspaper ariticles translated into Japanese from Turkish and Persian on recent condition of Honor Killings. I wish I could read them directly in its language.


テヘラン検事長「名誉殺人に対する罰則を強化すべき」
2009年10月28日付 Iran紙
【事件部】テヘラン一般革命検察のアッバース・ジャアファリー=ドウラトアーバーディー検事長は、イスラーム刑法第630条の改正を図り、名誉殺人の加害者に対する罰則を強化するべきとの見解を示した。

 イラン国営通信の報道によると、ジャアファリー=ドウラトアーバーディー検事長は昨日、暴力犯罪被害者支援機構で開かれた第5回「暴力犯罪を減らすための法的措置を考える会」の席上でこのように述べ、さらに次のように語った。

我が国で起きる名誉殺人をなくす、ないしはその件数を減らすための対策は、本質的に法的なものではない。この問題の根元には、むしろ文化・教育上の問題があるからだ。とはいえ、司法機関には法律の改正という仕事を行うことも可能だ。司法機関にはこの問題についてなんら打つべき手はない、などと開き直ることはできない。

ウラマーたちには、問題解決に向けた議論に参加してもらうことが必要だ。プレスやメディアにも世論を煽ることなく、議論に関わっていただくことが重要だろう。社会学者や心理学者にも、この問題で重要な役割を果たしてもらいたいと考えている。

 同検事長は、名誉殺人を撲滅するための文化・教育分野での投資が必要だと強調した上で、この種の殺人を犯した加害者に対する厳罰化の必要性を訴え、次のように述べた。

〔犯罪加害者にキサース刑を求めない〕遺族の同意があっても、もし判事に非常な勇気があれば、加害者に対して最大で禁固10年の刑罰を科すことが可能だ。もちろん忘れてはならないのは、名誉殺人はイラン特有の現象ではなく、インドやドイツ、トルコでも見られる問題だということである。

 同検事長はさらに、次のように続ける。

ときに、「名誉に関わる動機」についてのイスラーム刑法第630条の規定が、犯罪を正当化する要素の一つとして使われており、〔名誉殺人をなくすためには〕この条項の削除ないしは改正が必要だ。故意による殺人に対する基本的な刑罰であるキサース刑〔同害報復刑〕が、何らかの理由で行われない場合には、それとは別にタアズィール刑〔矯正を目的とした裁判官による裁量刑〕が言い渡されることになるが、その際、性的問題が原因の殺人には〔タアズィール刑による〕刑罰を厳しくすることも視野に入れるべきだろう。

〔訳注:イスラーム刑法第630条は次のように規定している。「自らの妻が他人の男と姦通しているところを目撃し、妻が〔不義密通を積極的に〕受け容れていたことが分かった場合には、夫はその時点で彼らを殺害することができる。妻が〔姦通を〕強制されていた場合は、夫は男の方だけを殺害することができる。〔‥‥〕」。名誉殺人を是認するこのような条項が適用された具体例としては、こちらの記事を参照のこと。ただし、このような条項が適用されないことも多い。そうした例については、こちらの記事を参照のこと〕

 ジャアファリー=ドウラトアーバーディー検事長は、名誉殺人、精神錯乱が原因の殺人、配偶者殺人などの各種殺人事件について、「殺人は最も重大な暴力犯罪にカテゴライズされる。それは憎むべき犯罪であると同時に、社会と家族制度を傷つけるものでもある」と述べた。

 テヘラン検事長に就任する前はフーゼスターン州司法総局長を3年間務めていたジャアファリー=ドウラトアーバーディー氏は、その上で次のように付け加えた。

名誉殺人はいくつかの州で問題となっている。この種の殺人は、これといった証拠もないままに〔不義を〕疑うことが原因で起こる。こうした社会では、男の側が姉妹、妻、娘、その他の近親者に対して疑いを抱くと、そのことだけで殺人の十分な動機となってしまい、証拠や証明が必要だとは思わない傾向にある。

 同検事長はさらに、次のように続ける。

名誉殺人では、その他の殺人とは異なり、加害者は誇らしげに殺人を認める傾向にある。遺族の側も、加害者の訴追を求めないことが多い。通常、遺族は数ヶ月も経たずに、〔キサース刑を求めないことに〕同意してしまう。

 テヘラン検事長は、名誉殺人では加害者は自らの行為が正当だと考えていることが多いと強調した上で、次のように語った。

残念なことに、名誉殺人についてはわれわれ司法の側も取り扱いがバラバラで、ときに裁判官の考え方次第で矛盾した判決が下されてしまう。〔裁判での〕審理ですったもんだがあった末に、加害者が釈放されてしまうケースや、恩赦委員会で恩赦が決定されるケースも多い。

 同検事長はさらに、次のように回想する。

私がフーゼスターンで勤務していたときには、名誉殺人の加害者に対して恩赦を認めたことは一度もなかった。しかし残念なことに、〔名誉殺人を是認する〕文化や考え方が存在していたことも事実だ。判事自ら電話をかけてきて、加害者の恩赦を求めたことも一度ならずあった。

 ジャアファリー=ドウラトアーバーディー検事長は、その上で「この種の殺人は、〔社会の〕考え方にその根っこがある。加害者は自らの行動によって、社会から罪を滅ぼしたと考えている。〔女性を自らの所有物であるかのように考える〕女性に対するこうした文化が変わらない限り、名誉殺人はなくならない」と明言した。

 同検事長は、名誉殺人への対策において警察や司法機関は無力であることを認め、「われわれが無力なのは、名誉殺人の原因が文化の問題に帰着するからである」と指摘、さらに名誉殺人撲滅のための文化・教育分野への投資が必要だと強調して、「〔悪しき〕伝統が跋扈するところでは、この種の犯罪も多い」と語った。

 テヘラン一般革命検察検事長は、「われわれは、宗教統治体制において性的問題に起因する殺人が起こらぬよう、その減少に取り組んでいる」とも述べた。

 同検事長はまた、過去3年間にテヘランで発生した殺人件数について、次のように語った。

1385年〔西暦2006/7年〕には202件の殺人が発生し、そのうち女性の被害者は56人だった。1386年〔西暦2007/8年〕には149件の殺人が発生し、女性の被害者は35人、1387年〔西暦2007/8年〕には103件の殺人が発生し、女性の被害者は46人だった。また1388年上半期〔西暦2009年3月下旬〜9月下旬〕では、103件の殺人が発生し、女性の被害者は28人だった。合計すると、過去3年間で627件の殺人が発生し、男性の被害者は462人(74%)、女性の被害者は165人(26%)だったことになる。

〔訳注:1385年から1387年の3年間を合計すると、454件の殺人が発生し、1388年上半期を足しても557件であることから、上記の数字には何らかの誤りがあるものと思われる(1387年の件数が特に低いことから、103件ではなく173件の誤りである可能性が高い)。なお、女性の被害者数は1385年から1388年上半期までの3.5年分の合計と一致する。なお、平成10年から14年までの東京都で発生した殺人事件の平均認知件数は140.4件〕

 性的問題に起因する殺人事件について語ってきたテヘラン検事長は、次に夫による配偶者殺人について、次のように述べた。

被害女性たちに、この種の殺人発生に責任がなかったわけではない。というのも通常、この種の殺人は、平和的に不和を解消する方法を〔積極的に〕探る努力をしてこなかった家庭で起きているからだ。この種の殺人では、男の側に極端な男性中心主義が見られ、不義が殺人の原因となっている。また、名誉殺人と異なるのは、加害者は妻の不義に対して不審を抱いているのではなく、それを確信しているところである。

 同検事長は、麻薬中毒やアルコール中毒も配偶者殺しの原因となっているとし、「この種の殺人では、男性が妻に、『自分は麻薬中毒・アルコール中毒になっているので、お前も不道徳な行為に身を落とせ』という具合に運命の共有を求め、妻がこれに抵抗すると殺してしまう、というパターンが見られる」と述べた。

 ジャアファリー=ドウラトアーバーディー検事長は、男の側の瞬間的・突発的な怒りも配偶者殺しの原因となっているとし、さらに経済的な問題も影響していることを指摘した上で、「この問題は正当化できるものではない」と語った。
〔※経済問題によって殺人を「正当化することはできない」という意味か、それとも現在の経済状況が国にとって「申し開きのできない状況だ」という意味か、どちらであるかは不明〕

 同検事長は精神的錯乱が原因で起きる殺人についても、「こうしたケースでは、加害者は女性への嫌悪といった精神的錯乱が原因で、殺人を犯してしまう」と述べた。

 同検事長は、一部の法律の改正の必要性を強調しつつも、同時に性的問題に起因する殺人を減らすためには文化・教育への投資が重要だと訴えた。


65歳の男、銃を乱射、17人が死傷:動機は「家族の名誉を守るため」
2009年08月25日付 Iran紙

【事件部:モハンマド・ガムハール】テヘラン州キャラジ県「ガルエ・ハサン・ハーン」地区の男が、怒りに駆られて17人に銃を乱射、現場を血の海にする事件が起きた。容疑者の男は、家族の名誉に関わる問題が事件の動機となったと語った。

 本紙記者の報告によると、事件はシャフリーヴァル月1日〔8月23日〕日曜日19時に起きた。数発の銃声を耳にしたガルエ・ハサン・ハーン地区シャヒード・シャーフバダーギー通りの住民が、慌てて通りに飛び出した。

 銃声は、6階建ての集合住宅の中からのものであることが分かった。地域の住民がこの建物の中に入ると、2階の廊下にザフラーさん(48歳)とその娘サディーゲさん(20歳)の二人が血まみれになって倒れているのを発見した。さらにそこから2メートルほど先で、女性2名と男性1名が瀕死の状態になって倒れていた。

 そしてそこには、このビルの所有者モハンマド(65歳)がカラシニコフ銃を手にして立っていた。男は入ってきた人々に、これ以上中に入るなと要求、すぐさま出て行けと怒りに満ちた様子で叫んだ。

 しかし、24歳の若者パヤームさんがけが人を救助しようと足を中に踏み入れると、男は逆上してパヤームさんを銃殺、これを見た人々はすぐに建物の外に出て、警察に通報した。

 数分後、モハンマドは24戸が入ったこの建物の屋上に上り、外にいた人々に向けて銃を乱射、これにより5歳の子供を含む通行人数名が銃弾を受け負傷した。

警察が出動

 重大事件発生に伴い、治安維持軍の捜査官、情報員、及びレスキュー隊員らは現場に急行、建物を包囲した。出動した部隊の一部はビル屋上に向かい、銃を乱射している男にそれと気づかれぬよう接近、容疑者を取り押さえることに成功した。逮捕された容疑者からは、コルト製拳銃2丁、カラシニコフ銃1丁、薬きょう2千発が発見された。

負傷者を病院に搬送

 流血の惨劇が幕を下ろすのと同時に、付近の住人は救急隊員らと協力して、負傷した通行人13名をシャヒード・ファイヤーズバフシュ第2病院に搬送した。しかしこのうちプーリヤー君(12歳)、及びアミールホセイン君(10歳)の二人は負傷の程度がひどく、命を落とした。

4名の遺体を回収

 他方、警察の捜査により、ザフラーさん(殺害犯の第一婦人)やサディーゲさん(殺害犯の娘)をはじめとする4名が遺体として発見された。テヘラン州治安維持軍のアクバルシャーヒー総司令官によると、今回の惨劇で死亡したのは、アミールホセイン君、プーリヤー君、パヤームさん、ファーテメさん(15歳)、ザフラーさん、サディーゲさんの6名で、ファルシャードさん(15歳)、サーデグさん(24歳)、モハンマドさん(20歳)、アリーさん(16歳)、エスマーイールさん(30歳)、パルヴィーズさん(33歳)、サーデグさん(14歳)、ヴァリーさん(33歳)、サイードさん(13歳)、アッバースさん(27歳)、サキーネさん(25歳)の11名が負傷した。

目撃者の証言

 事件を目撃した一人は、今回の事件に関し本紙記者に次のように語っている。

午後7時頃、ちょうど断食明けの食事であるエフタールの支度をしていたとき、銃声と数名の女性の叫び声が地域の静寂を破るように聞こえてきました。すぐに外に出ました。すると、この建物に住むファーテメが恐怖に満ちた様子で助けを求めているのを目にしました。家族の父親モハンマドが怒りに駆られて、カラシニコフで銃弾を乱射していました。銃弾の一つがその建物に住んでいたファーテメという若い娘さんとその父親に当たり、倒れました。襲撃犯の男はそれから、第一婦人のザフラーとその娘サキーネとサディーゲに銃を発射して、ケガを負わせました。

 また別の証言者は、本紙記者に次のように語っている。

事件現場の近くにレンタルビデオ屋があり、そこで子供たちがコンピューターゲームに興じていました。銃声を聞いたモハンマドという名の子供が、いかなる運命が待ち受けているのか何も知らずに店の外に出ると、怒りに駆られた男の発した銃弾に当たってしまいました。

私の息子はまだ12歳でした

 男の凶弾によって命を落としたプーリヤー君(12歳)の母親は、本紙記者に次のように語った。

息子はまだ、12回しか春を経験したことがなかったんです。犯罪者の男が、どんな罪があって息子を殺害したのか、理解できません。プーリヤーは事件当日、友達と遊びに行くと言って家を出ました。遅くなっても帰ってこないので、息子を探しに行きました。方々を探した挙げ句、困り果てた私は交番に行きました。すると警察官が、負傷者の中に息子がいるかも知れないと言うんです。すぐにファイヤーズバフシュ病院に駆けつけました。朝3時、〔病院関係者から〕プーリヤーの脇腹に銃弾が当たった、ケガの度合いがひどく、命を落としたと言われました。

 また、息子の死を聞いて茫然自失状態のアミールホセイン君(10歳)の母親は、本紙記者に「息子はいつも学校で1番でした。優秀児童として、息子の写真が学校の壁に飾られていました。でも息子はもういません。家の中は、そんな息子の写真で一杯です」と述べた。

殺害犯の動機

 殺害犯モハンマドは、ガルエ・ハサン・ハーン裁判所第103支部長のヴァリーアフディー判事によって捜査課に移送され、取り調べを受けた。男は犯行を認め、次のように供述した。

しばらく前から、妻が他の男たちと密通していたことに気がついていた。そこで、連中に復讐することを決意した。建物の住人の中に、独身の友人たちを家に呼んでは、〔パーティーを開いている〕者がいた。私の娘や妻も、そこにしばしば通っていた。事件当日、見知らぬ独身者どもが建物の中に出入りしているのを目撃した。私は自制心を失い、部屋に帰って銃を手にした。連中を見かけると、彼らに発砲した。ちょうどそのとき、妻娘と顔が合った。私は妻娘にも銃口を向け、銃弾を浴びせた。数分後、数名の地区住民が建物の中に入ってきた。出て行くように要求した。しかし出て行かなかった。そこで私は彼らにも発砲した。その後屋上に行って、そこから通りにいる人々にめがけて発砲した。

 容疑者の取り調べを終えると、ヴァリーアフディー判事はシャフリヤール警察の捜査官らによるさらなる取り調べのために、同容疑者の留置を命じた。同判事は、本紙記者に「殺害犯は、名誉〔を回復する〕ために今回の事件を起こしたと主張している。本件に関する捜査は今後も続けられる。この事件では11名が負傷し、医師らによるとそのうち2名は重体だとのことだ」と述べた。

 同判事はさらに、容疑者の精神状態に関して「モハンマドに精神異常はまったく見られない」と述べた。

 取り調べの中で、容疑者は以前からの動機にもとづき、計画を立てて今回の犯行に及んだと供述しているという。同容疑者はまた、もし釈放されれば、〔今回殺害することのできなかった〕別の4人も殺害すると述べているとのことだ。

 ヴァリーアフディー判事はその上で、「容疑者は取り調べの中で、今回の事件で1200発の銃弾を発射したと主張している」と明かした。

殺害犯とのインタビュー

 本紙記者の取材を受けるために別室に移されたモハンマドは、胸にケガを負ったため、その衣服には血が滲んでいた。彼は極めて沈着冷静な様子だった。イラン紙記者の質問に答えることに対して、抵抗するそぶりは全く見せなかった。

 モハンマドは今回の血の惨劇について、「私は自らの名誉を守るために、今回の殺人に及んだ。裁判所がどんな罰を科そうと、私はそれを受ける覚悟がある」と語った。

Q:妻の密通は、どうして分かったのか?
A:妻や娘の態度に不信感を抱いた。このことについて、何度か彼女たちに注意をした。しかしまったく聞き入れようとしなかった。隣人の男の息子は、いつも独身の友人たちを家に呼んでいた。私はその男にも、そのことで抗議した。事件当日も、男と最後の話をし、息子の行動をやめさせるよう求めた。しかし男は私の言うことを認めようとしなかった。私は激怒した。〔建物の〕管理室に行き、銃を手に取った‥‥。

Q:どうして警察に訴え出なかったのか?
A:私の主張を証明する証拠がなかったからだ。

Q:家族の殺害計画をいつから立てていたのか?
A:今年の初めに、〔妻娘の密通に〕確信を持った。そこで、計画を立てた。

Q:銃器はどこで手に入れたのか?
A:カラシニコフ銃は64年〔1985年〕、〔イラン・イラク戦争の〕戦地から盗み出し、家に持ち帰ったものだ。拳銃2丁は、今年の正月〔=3月21日〕、計画を立てた後、薬きょう2千発と一緒に購入した。

Q:今回の事件までの間、これらの銃を使ったか?
A:何度か近くの沙漠で、空中に向けて試し撃ちをした。ほとんどの場合、コルト銃を使った。

Q:なぜ子供まで狙ったのか?
A:屋上に上り、標的を定めることもなく、銃を撃ち始めた。付近の住人には、向こうに行くよう要求した。しかし彼らは私のことばを真剣に受け止めず、そこに突っ立ったままだった。

Q:子供は何人いるのか?
A:息子が10人、娘が4人だ。第二婦人は一時婚だ。

Q:いま後悔の念はあるか?
A:ないね!裁判所がどんな判決を出そうと、すぐに執行してくれることを期待している。

Q:どうしてケガをしたのか?
A:発砲した銃弾の一つが、跳ね返ってきて、胸に当たった。

Q:警官たちと争いになったか?
A:いいや。住人たちに向けて発砲しているとき、弾が銃の中で詰まってしまった。弾を取り出そうとしていたときに、警官に捕まった。


娘を殺害した父親が告白「娘は自ら死を望んだ」
2008年05月12日付 E'temad-e Melli紙

 父親による少女殺人事件を受けて、エスファハーン州司法長官はこの事件発生のきっかけをつくった人物に対して厳正に対処するよう命じた。

 他方、家族の名誉を守るために自分の娘を殺害した容疑者は、驚愕すべき自供の中で、事件の詳細を説明した。53歳のアフマドは今年オルディーベヘシュト月18日〔5月7日〕水曜日に17歳の娘を絞殺した。この男は、エスファハーン州刑事警察の捜査官の前で、娘殺害の原因となった痛ましい出来事を明らかにした。この殺人の容疑者はニュース・サイト「エブラト」で、娘の身に起きた数々の問題について次のように説明した。

7ヶ月前、私は長女をサイードという名の男と結婚させた。しばらくして、この2人の間に不和が生じていることに気づき、その不和が日増しに大きくなっていることに、私たちは心を痛めるようになった。何度も〔婿の男性に対して〕問題を解決し、娘にどうしてほしいのかはっきりするよう求めたが、何の変化も見られなかった。少し前に、祭日の贈り物を渡すために婿家族と面会しようと考えた。ところが彼らは、私たちをもてなすどころか、恥知らずにも長女との結婚を解消してはどうか、自分たちの息子は妹のファルザーネの方に興味があるようだ、などと言ってきた。

〈中略〉

そうこうしているうちに、近所の住民や知り合いの一部が事情を嗅ぎつけ、私たち家族を悩ませるようになっていった。人々は口々に噂話をするようになり、モスクへ行ってお祈りをすることさえできないほど、私たちを苦しめた。

〈中略〉

結局、長女とサイードを離婚させることになった。しかしこの2人が離婚してもなお問題は解決せず、ついにサイードとファルザーネが警察によって逮捕されるという事態へと発展した。それより前、10日間にわたってファルザーネがサイードによって略取されてしまったのだ。オルディーベヘシュト月17日〔5月6日〕火曜日、体調が優れない中、ファルザーネを引き取るために裁判所へ行き、身元を保証した上で、娘を家に連れて帰った。家に着くと、私と娘との間で激しい口論が起き、私は娘を殴り始めた。しかし娘は全く抵抗せず、ただ「私はどうすればいいの?」と言うだけであった。

どうしようもなかった。人々の非難めいた噂話のために、私はつらい状況に置かれるようになっていた。名誉が傷つき、人々の悪意に満ちた視線からは逃れられないと、私は感じた。ファルザーネのそばに座ってこう言った。「私たちがこの惨めな状況から救われるためには、お前か私かどちらかが死ななければならない」。娘は私の額に口づけをして言った。「私もこの状態を続けることはできません。もし誰かがこの世から別れを告げなければならないのであれば、私が一番適しています。お父さんが死んでも、問題が解決するどころか、他の家族もそれに巻き込まれてしまいますから。

モハンマドは号泣しながら、次のように続けた。「〔‥‥事件当日の早朝〕娘は最後にもう一度私の額に口づけをし、別れを告げた。娘は自分の手を姉に握らせ、私は前から用意していたハンカチとナイロン袋で彼女の命を奪った。娘は全く抵抗しなかった。この時、すでに家族は皆起きていて、家の隅に座っていた。娘は自殺したことにする予定だった。しかしその後、後悔が私たちを襲い、警察に通報することになった」。

〈中略〉

 ニュース・サイト「エブラト」の報道によると、以前からサイード(婿)はファルザーネに気があり、そのため彼女を略取して、誰も知らない場所に彼女を連れて行ったという。姿を消した17歳の娘の行方を追って家族は必死に探したが、結局少女が犯人から解放されて家に戻ってくるまで見つけることはできなかった。ちょうどこのとき、家族間に不和が生じ、最終的に殺人事件へと発展していった模様である。

 殺人の罪に問われている容疑者は胸が痛むような自供の中で、娘を殺した動機について、ただ家族の名誉を守るためであったと述べている。父親は長女と共に、法的な命令にもとづき刑務所に拘置されており、今後エスファハーン警察の捜査官らによる捜査が行われる予定である。

 なお、まだ高校生であったこの娘の遺体はすでに埋葬を済ませている。


昨年発生した2件の「名誉殺人」 シャルグ紙
2006年04月03日付 Sharq紙
2006年4月3日付シャルグ紙27面

【社会部】「名誉殺人」は我が国で発生する殺人事件の中でも、比較的大きな部分を占めている。新年に入り、〔昨年発生した〕2件の名誉殺人の被告をめぐる裁判が、地方刑事裁判所で開かれる予定である。

〔*訳注:「名誉」(ナームース)は「家族の名誉」を意味すると同時に、「女性の貞操」を意味することばで、アラビア語の「ナマサ」(隠す)に由来するとも、ギリシア語の「ノモス」(法)に由来するとも言われる。「名誉殺人」の詳細については、「女性の貞操と『名誉の殺人』」をご参照下さい〕

 一つは、昨年シャフリーヴァル月8日〔2005年8月30日〕の夕暮れ時に発生した殺人事件。ネザームアーバード地区の住民らは、近隣宅から聞こえてきた騒ぎ声が気になり、様子を見に外に出た。騒ぎ声は若い夫婦宅から出ていた。近所の住民らが夫婦宅に入ると、そこには切り刻まれ、血まみれになった死体が横たわっていた。

 その後、通報を受け、警察関係者が現場に到着した。死体は男性のもので、激しく切りつけられた跡が残っていた。死体は風呂場から出たところに横たわっており、凶器となった短刀が死体近くの風呂場に落ちていた。また、携帯用の短銃も、現場近くで発見された。

 現場宅に住んでいたのは、マスウードとアァザムの若い夫婦であった。警察による取り調べで、発見された死体はアリーという名の男性であることが分かった。アリーは以前に、マスウードの妹(大学生)とインターネットを通じて知り合い、この関係は電話を通じて続いていた。

 〔中略=この間、以下の内容が詳細に記述される。マスウードは、結婚を考えている男性として、妹から警察官のアリーを紹介される。ちょうど携帯電話を手に入れたいと考えていたマスウードは、このことをアリーに相談、アリーは助力を約束した。〕

 マスウードは時間上の都合から、妻アァザムに本件のフォローを頼んだ。アリーは約束を果たすために、マスウード宅に連絡すると、妻が応対、アリーが書類を受け取りに、アァザムのいる彼らの自宅を訪問することになった。アリーはアァザムと話しているうちに、マスウードとアァザム夫婦に子供ができないなどの、二人の夫婦生活の詳細について知るようになる。アリーはアァザムに「何だったら、助けてあげてもいいよ」と言い寄り、アルコール入りのジュースを差し出し、酔ったアァザムに睡眠術をかけ、ついには暴行を働いたのであった。さらに数日後、携帯電話の件でアァザムはアリーとともにテヘラン北部のタジュリーシュに行って帰宅した後、アリーは再びアァザムに暴行、あまつさえその様子をビデオにとり、彼女をゆするに至る。

 しばらく後、アァザムはその一部始終を夫に打ち明けた。それを聞いたマスウードは怒り狂い、ビデオの入ったCDを買い取るのでアリーに連絡を取るよう、妻に指示。夫マスウードは自宅に金を取りにきたアリーを、風呂場に短刀を持って待ち伏せた。アリーは家に来ると、「女は信用できない」といって、夫婦宅を探索、風呂場のドアを開けた。すると、手に短刀を持ったマスウードに遭遇、マスウードはアリーに襲いかかった。アリーはその前に、武器を携帯している旨、アァザムに伝えていた。そのためマスウードは、間髪入れずに、短刀で彼を襲ったのであった。しかし襲撃後、彼らはアリーが武器を携帯していると言っていたことが事実ではなかったということに、気が付くのであった。

 捜査終了後、マスウードとアァザムはテヘラン州地方刑事裁判所第71法廷に出廷、二被告に対する判決が下される予定だ。

 ▼ バイク乗りの若者に対する殺人

 「名誉」が原因で起きたもう一件の殺人事件も、若い夫婦によるものであった。それはバイク乗りの若者をナイフで刺し殺した事件で、今年テヘラン州地方刑事裁判所第74法廷で裁かれる予定である。

 モハンマドとサミーラーの若夫婦は昨年ティール月〔2005年6〜7月〕、キャラジのメフル・ヴィーラー地区の路地を歩いていた時、二人のバイク乗りとぶつかった。サミーラーは身ごもっており、モハンマドはサミーラーのことを大いに気にかけていた。彼らが二人のバイク乗りにぶつかったのは、そのような時であった。そして、彼らバイク乗りが発したことばが、悲劇の始まりであった。「よかったら、俺がお相手してやろうか」。これを聞いたモハンマドは怒りに震え、「私と一緒にいる女性は、私の妻だぞ」と返答。しかしそれだけでは物足りなかったのか、モハンマドは二人と取っ組み合いとなり、バイク乗りの一人をナイフで刺してしまったのだ。

 数分後、黒のサマンド車が現場近くを通りかかり、怪我人に応急措置を施し、キャラジ・ガーエム病院に連れていった。しかしその甲斐なく、彼は命を落とした。


女性の貞操と「名誉の殺人」(Radikal紙)
2005年12月09日付 Radikal紙
23歳の若者は強姦された女性が(処女性を失ったために)殺されることに同意する。また別の男性は「女性は小学校までで十分。街に女性が増えれば、混乱になる。」という。

「私だったら殺しているね。」この発言はバトマン県の23歳の若者から発せられた。家族と男性の名声のためだという。誰についてかといえば略奪され強姦された女性に対してである。4つの県で行われた調査の結果得られたこのような回答は、(昨年不貞を働いた女性)ギュルドゥンヤやサキネが殺された背景を明らかにしている。国連人口基金、および人口統計局が提出した「トルコにおける名誉の殺人の実態と防止計画への提言」という題目のレポートは、トルコにおいて公けにならない名誉の殺人で、「貞操」がどのように認識されているかを注目すべきアンケートによって明らかにした。フィリズ・カルデム助教授が組織する調査団は、イスタンブル、アダナ、シャンルウルファ、バトマンの4県で、市民社会組織で働く女性や、大学生、教員など計195人にインタビューを行った。この結果18歳から25歳までの男性がより厳しく、中年の男性の方が寛容であることが明らかになった。以下は報告書に載った談話である。
・18歳〜22歳のグループに分類される男子大学生は「貞操とは生きていることの意味である。貞操がなければ、生きている意味はない。お金はなくとも名声はなければならない。」と言う。

■貞操は道徳である。
・アダナ県男性(警察官 39歳)「貞操とは妻が不貞を働くこと。騙すことではない。他の男性と関係を持つことは不道徳である。
・シャンルウルファ県女性(70歳)「頭のいい女性は貞操を恥にさらすようなことはしない。ふらふら出歩く女性はよくないね。」
・シャンルウルファ県女性(30歳 中卒)「従順なら貞操。自由奔放なら貞操がない」
・バトマン県男性(23歳 高校中退)「女性は小学校卒業で十分。外を出歩く女性が多くなれば混乱も大きくなる。混乱が大きくなれば不道徳な行為も増えるんだ。」
・バトマン県男性(26歳 高卒)「処女を失ったら女性の意味がない。」
・バトマン県男性(34歳 高校中退)「離婚には反対だ。もし妻が裏切ったら彼女を殺す。もし妻の兄か弟がいれば彼に“お前が殺せ”と言うよ。」
・イスタンブル県男性(64歳 トゥンジェリ県出身)「女性なら略奪されるかもしれないね。私なら許さなかったろう。でも個人の自由に立ち入る権利があるのか。ないはずだ。」

■恋に落ちたら死ぬのだ
・シャンルウルファ県女性(27歳 中学退学)「ここの部族では誰かを好きになれないわ。もし好きになったら殺されるでしょうね。女性が駆け落ちしようものなら、その女性は生きてられないわ。」
・イスタンブル県(男性32歳 小卒 黒海地方出身)「もし妻が私を裏切ったらまず裁判にはならないだろうね。つまり殺すことになるよ。」
・バトマン県女性(29歳 小卒)「(鼻を切り落とす罰について話している)“なぜ指ではなくて鼻を?” “だって指なら隠せてしまうもの”。 “もしあなたが他の男性を会っていると噂されたら、旦那さんはそんなことをする?” “やるでしょう。ためらいもなく。”
・バトマン県女性(42歳 学歴無し シイルト県出身)「(刑務所で服役中の男性の妻が他の男性を関係を持ったことから起きた事件を説明して)服役中のその男は義父(妻の父)に妻の行為を説明し、妊娠していることを告げて、どう対処すべきか、と聞いたの。義父は“義息子よ。娘が受けるべきは死である。あなたの意見を尊重する。”と言った。結果娘を墓に葬ったの。」
これらは調査した人物が実際に見聞きした事件である。

■祖母の救い
・バトマン県42歳(女性 学歴無し シイルト出身)「叔父は娘を愛していてなかなか結婚を認めなかった。ある男が娘を略奪した。娘を取り返すと殺す代わりに殴った。もう一人の叔父が“娘を殺そう。朝娘は死んだから墓に埋葬すると言えばいい。”と言った。娘の祖母が家にいて娘を殺したら訴えるよ、と反対した。結局彼らは娘を殺さず略奪した男にやったわ。」
・アダナ県女性(45歳 小卒。シュルナック県出身)「私の妹は駆け落ちしたの。私も家族会議に参加したわ。誰かが“殺してしまえ”と言った。でも私は“許してあげて。もし知恵があれば駆け落ちすることはなかったわ。まだ13、14歳だもの。もし私まで失いたいなら、私も連れて行って。死刑宣告なんて見たくないもの。彼らは私を傷つけるようなことはしなかった。」



********************本記事への解説********************
トルコを始めイスラーム世界では女性の婚前交渉、婚外交渉は絶対的なタブーである。ナームス(namus)とは名誉という意味であるが、同時に女性の貞操を意味する。もし女性が夫以外の男性と関係を持った場合、それは一家の名誉が傷ついたことになり、未婚の場合は父親か男兄弟、既婚の場合は夫が女性を(時には公衆の面前で)殺す風習が存在する。これは「名誉の殺人」と呼ばれ、不貞を働いた女性を一族で処罰することで家族の名誉が回復されると考えれるからである。トルコの大都市では男女交際も自由で、婚前交渉に抵抗を持たない若者も増えているが、地方や農村では女性の処女性がまだ重視されているのが現状である。トルコでは2004年でもわかっているだけで3件の「名誉の殺人」が行われた。殺された女性の遺体は汚れたものとして誰も引き取らないことから、国連人権委員会や海外の女性団体から抗議が寄せられている。これが略奪、強姦といった女性の意に反する行為であったとしても、「傷物」になった女性に向けられる世間の目は厳しく、女性の落ち度と見なされ、やはり殺されることがある。また一部の地域では結婚初夜の翌日、血の付いたシーツを近所に見せることで女性が処女であったことを証明する風習も残っている。
 トルコの現行法では姦通罪は廃止されているが、(夫のある女性が姦通する罪。相手方も処罰される。男女平等の原則に反するので、日本でも1947年の刑法改正により削除)公正発展党は政権についた直後これを復活させようとしていた。(文責:大島 史)


最高裁、「名誉殺人」の被告への無罪判決を支持
2007年03月14日付 Iran紙
被告の男性、妻を暴行した男の殺害方法を再現(写真上)
【事件部】国の最高裁は、家庭に〈侵略〉した男を殺害した男性に対して、〔先の下級裁判所による〕無罪判決を支持する判断を示し、男性は晴れて自由の身となった。この男性は、妻の口からある男に暴行を受け、その様子をビデオに録られたとの告白を聞き、暴行魔の男の殺害を計画した〔罪に問われていた〕。

 本紙記者の取材によると、昨年シャフリーヴァル月8日(火曜日)〔2005年8月30日〕の夜更け24時、声を震わせた男性から警察に、自宅で男性を殺害したとの通報があった。男性は警察官の派遣を依頼、数分後ナールマク第127警察署の警察官らが、男性が述べたネザームアーバード地区サアディー通りの住所に駆けつけた。

 ホセイニー予審判事が現場に到着したのに合わせ、警察官らが自宅に入ると、血まみれとなった男性(30歳)の遺体を発見、捜査を開始した。捜査員らによる捜査の結果、この家の夫婦が自らの〈名誉〉を守るため、男の殺害に及んだことが判明した。

 若い女性は取り調べの中で、捜査員らに次のように語った。

私はある親戚の一人を通じて、この男と知り合いました。この男は自分を、治安関係の上層部にいる人物であると名乗っておりました。彼は銃をチラつかせながら、どんな問題でも解決してやると、私に言ってました。

そこで親戚の一人が、私の夫が携帯電話の売人と問題を抱えていることを、この男に言うと、彼は10万トマーン〔約1万3千円〕くれれば、夫の問題を解決してやると、私にいってきました。

結局、私はこの男に騙されていました。ある晩、夫が自宅に不在だったとき、私はこの男との間に信頼関係が生まれたと思い、彼を自宅に入れました。ところが彼は私を脅迫し、私を暴行したのです。もちろん、抗議しました。しかし、彼は〔暴行のシーンを撮った〕ビデオを私に見せ、言われた通りにしなければ、このビデオをばらまくと、私を脅迫したのです。
 
 この女性はさらに続けて、次のように語った。

私は自分の名誉に対する恐怖から、沈黙を続けました。その後何度か、この男の悪魔のような要求に従ってしまいました。しかしある日、私は夫と旅行に出かけた際、事実を彼に告白しました。

夫はこの事実を知るや、ナイフを購入し、男に連絡を取って家におびき寄せるよう、私に言いました。〔男が家に来た際〕夫は風呂場に潜んでいました。

 女性はさらに次のように続けた。

シャフリーヴァル月8日火曜日の20時、男は私たちの家にのこのことやってきました。私が怯えた様子であるのをみて、男は不信感を抱き、銃をとりだし、私に「お前のダンナ、家にいるのか?」と詰め寄ってきました。

男は部屋中を探し回り、ついに風呂場の扉を開けました。男は私の夫を見つけるや、ライター銃〔おもちゃの銃のことか?〕を彼に突きつけました。私と夫は彼に襲いかかり、ナイフで何度も切りつけ、彼を殺害しました。

 この若い夫婦の自供を受け、ホセイニー予審判事は起訴状を作成、本件の審理をテヘラン州刑事裁判所第71法廷に委ねた。裁判の結果、5名の裁判官は夫を無罪とし、妻に死刑を言い渡した。

 本紙取材によると、最高裁判所第31法廷の裁判官らは、妻への一審死刑判決を棄却、本件の審理を別法廷に委ねた。また同法廷は、夫に対する一審の無罪判決を支持した。その結果、男性は晴れて自由の身となった。



家族の名誉を守るために恐ろしい罪を犯した殺人犯に死刑が宣告
2008年10月12日付 E'temad-e Melli紙
【エッテマーデ・メッリー】自分の妻と秘かに関係を持っていると言いがかりをつけて隣人を殺害し、耳や鼻を切り落とした後、遺体に火をつけた若い男の裁判が行われた。不義密通罪に問われていたこの男の妻には昨日朝、裁判所により無罪が言い渡された。
〔※註:イスラームでは「火あぶり」は神のみに許された刑罰であり、人間が行うことは堅く禁じられている〕

 本紙記者の報告によると、以前ある若い男性が検察庁を訪れ、兄〔あるいは弟〕が失踪したと訴えた。この男性は捜査官に「兄〔弟〕が家を出て何日もたつが、まだ帰ってこない。あらゆる場所を探したが、見つかっていない」と語った。

 この通報を受け、警察官らは直ちに仕事に取り掛かり、事件の捜査が始まった。捜査が続けられる中、真実を暴くべく行方不明となった男性の通話記録が捜査対象となった。その結果、この男性が見知らぬ女性と接触していたことが判明した。

 かくして、この女性の行方を追跡するための警察と司法による捜査が始まった。そして4ヶ月間にわたる捜査の末、女性はこの若い男性の隣人であることが確認され、逮捕された。

 彼女は取調べで、殺された被害者とは何の関係もないと主張し、以下のように語った。「私の夫は〔殺された隣人の男性である〕アリーと付き合いがありました。夫はアリーについて何らかの情報をもっているかと思います」。

 そこで、この女性の夫も逮捕された。彼は最初の取調べで、アリーについては何も知らないと主張していたが、最終的にアリー殺害を告白した。

 容疑者は警察・司法による取調べの中で、捜査官に以下のように語った。「アリーは私の妻と秘かに関係を持っていた。彼は2年間〔妻〕ターヘレと関係があり、私は最近になってそのことに気が付いた。そのため私は激怒し、隣人のアリーに復讐しようと決めた」。

 容疑者は以下のように続けた。「事件の日、私はパソコン・デスクを設置したいので手伝ってくれとの口実で、アリーを家に呼んだ。そして家に誰もいないのを見計らい、ナイフで彼を刺し殺し、耳と鼻を切り落としたあと、キャラジ周辺の荒野で遺体に火を付けて燃やした」。

 「最初、アリーを銃器で殺そうと思い、実際にそれを用意したが、その後彼をナイフで殺そうと決めた。なぜなら、アリーは私の妻と秘かに関係を持っていたからだ」。容疑者の供述をうけ、この夫婦は司法命令によって拘置所に収監された。その上で彼らの事件は、判決を下すためにテヘラン州刑事裁判所71法廷に委ねられた。

 昨日朝、この若い夫婦は刑事裁判所の裁判官らの前に立った。アズィーズ・ムハンマディー裁判長と4人の補佐裁判官によって開かれた裁判の冒頭、検察側代表者は起訴状を朗読し、アリーには殺人容疑、ターヘレには不義密通容疑での処罰を求めた。その後、殺害された被害者の家族はキサース刑〔同害報復刑〕を要求した。

 その後、被告人は証言台に立ち、殺人容疑を認めた上で、裁判官に以下のように語った。「被害者は私の妻と2年間にわたり、秘かに関係をもっていた。私が彼を殺そうと決めたのは、このような理由からである。私は家族の名誉を守ったのだ」。

 「なぜ、最初は彼を銃器で殺すつもりだったのに、ナイフで殺したのか?」との裁判官の質問に、被告人は以下のように答えた。「私はアリーに苦痛を与えたかった。簡単には殺したくなかった。だから、彼をナイフで何回も刺して殺し、死体を燃やした。誰も顔を識別できず、死体が彼のものだと分からないようするためだった」。その後、弁護士が彼を弁護した。

 その後、若妻ターヘレが5人の裁判官の前に立った。彼女は姦通容疑を否定し、以下のように訴えた。「私はアリーとは何の関係もありませんでした。彼は時々、私の携帯電話に電話をかけてきましたが、私はそれに迷惑していたのです。でも信じて下さい、彼とは何の関係もなかったのです。3人の子供がいる女性がどうやって2年間も、赤の他人である男性と誰にも気付かれぬまま、秘密の関係を持つことなどできるでしょうか」。

 「では何故、予審判事に殺害された被害男性はあなたに〔性的な〕暴行を加えていたなどと言ったのか?」との裁判官の質問に、この若い女性は「こう言わなければ、友人を使ってお前の顔に酸をかけると、夫に脅迫されていたからです。私は強制されていたのです。でも、もうこんな話をするのは止めました。私はこんなこと〔=アリーによる暴行〕に屈したことはありません」と答えた。

 この女性の話のあと、最後に刑事裁判所の裁判官らは審議に入り、殺害犯にはキサース刑〔同害報復刑〕を、また姦通容疑に問われていた若い女性には無罪を言い渡した。



イスラーム復興運動的潮流が甚だしいよう。あんなに歴史的に宗教面でも自由であったイランが、湾岸のようにそこまでしますか。


アーヤトッラー・サーフィー=ゴルパーイェガーニー「大学は共学であるべきではない」
2009年10月20日付 Hayat-e Now紙
【ファールス通信】ゴムのシーア派最高権威の一人は、大学内での男女の混交から生じる社会問題について言及し、「イラン全土に男女別学の大学を設置する必要がある」と述べた。

 大アーヤトッラー・ロトフォッラー・サーフィー=ゴルパーイェガーニーは昨日午前、ハズラテ・マアスーメ大学の関係者らとの面会で、〔第8代イマーム・レザーの妹の〕マアスーメ陛下の生誕を祝う言葉を述べた際、「真の宗教たるイスラームにおいて、無知であることは非難の対象とされている。〔イスラームだけでなく〕すべての預言者や宗教の偉人たちによっても、無知は否定的に扱われている」と語った。

 同氏は、特に教育と無知からの解放の重要性について言及している聖コーランの一部の節に触れた上で、国内の諸大学の現状について指摘し、「男女の混交をめぐる問題はこれまで何度も批判されてきた。この問題について、大学生の保護者らも心配している」と続けた。

 サーフィー=ゴルパーイェガーニー氏は、ハズラテ・マアスーメ女子大学の設立について言及し、「国内のすべての大学で、男女が混交する場面がこれ以上目に付かないようになることを望んでいる」と述べた。

 同氏は、大学内での男女の混交から生じる社会問題について指摘し、「国内全土に男女別学の大学が設立され、そこで大学生が安心して勉学に励むことができるようにしなければならない」と語った。

 このシーア派最高権威は、さらに「全国に女性専用の大学を設置し、そこで女性に必要な分野について彼女たちが学べるようになればと思っている」と付け加えた。

《中略》

 大アーヤトッラー・サーフィー=ゴルパーイェガーニーは、「我々は多くの学科で、必要性のない教育が女子に施されているのを目にしてきた。大学の専門学科は社会の必要性に応じて組まれる必要がある」と続けた。

 ゴム宗教学院の教授である同氏は続けて、「我が国の大学は、女子学生に対して家政学や子供の養育方法を教えるような学科を提供しなければならない」と続けた。

 シーア派最高権威はその上で、「ハズラテ・マアスーメ大学が全国に展開することが重要だ。国の責任者らもこの大学の問題解決にもっと関心を払うべきである」と強調した。

As of Right

Falling fertility
Oct 29th 2009
From The Economist print edition

Astonishing falls in the fertility rate are bringing with them big benefits


Getty Images THOMAS MALTHUS first published his “Essay on the Principle of Population”, in which he forecast that population growth would outstrip the world’s food supply, in 1798. His timing was unfortunate, for something started happening around then which made nonsense of his ideas. As industrialisation swept through what is now the developed world, fertility fell sharply, first in France, then in Britain, then throughout Europe and America. When people got richer, families got smaller; and as families got smaller, people got richer.

Now, something similar is happening in developing countries. Fertility is falling and families are shrinking in places— such as Brazil, Indonesia, and even parts of India—that people think of as teeming with children. As our briefing shows, the fertility rate of half the world is now 2.1 or less—the magic number that is consistent with a stable population and is usually called “the replacement rate of fertility”. Sometime between 2020 and 2050 the world’s fertility rate will fall below the global replacement rate.


Nice to hear that, anyway, I am really grateful to those who have been struggling in this field since long time. In any part of the world, there are the kinds of people who make children over their capacity. It is up to the individual, and no one has a right to say anything to them. If they are happy, that is all.

But what I hardly understand fully is that some of them ask for the justification of their high fertility in their religion (especially in "a part of" Islam and Catholic) and in addition "some of them" complain of the poverty they experience. Moreover, "some of them" demand public aids as of right and sometimes accept even foreign aids as of right.

When I did not know much about Islam (still I do know nothing, though), I was astonished to hear from "a few of" Muslims; of course the value, the meaning and the right as a human being of Muslim is much superior to those of infidels to an unusual degree. It is better for Muslims not to be with infidels as much as possible and also not to live in a country where its majority is infidels if there are not any necessities. It is possible to use the products from infidels, like cars and PCs (I wonder in which country-a majority is Muslim-cars and electronic products or etc are being produced in a competitive level) , especially other than food even if it was halal for them. HOWEVER, they can (some say "should") demand and accept any kind of aid from any NGOs, NPOs, international institutions and govs.

I could not understand this logic at first, but then I was convinced. It was for sure hard for me to fully understand that I am inferior to them in every meaning, because I have believed every human being in the world is totally equal to others in the all meanings. But it was my arrogance and self-conceit.

Naturally I am inferior to them, but I still believe that I will contribute myself to the world in the future and I hope it would be of help for those Muslims who think like that.

Wednesday, October 28, 2009

Back to the basics?

I do not feel like thinking in Japanese now and I should be trained to say what I want to shortly and simply in English. As you know, my writing always tends to be verbose in any language and it shows a strict incognito positively and negatively. Let us get started whatever.

The things that happened to me today and what I am/have been thinking (recently)...

*My dearest English teacher from Ireland at my high school days seems to have finally gained her happiness! (Or be getting?) Anyway, I really hope all of those who I know live their lives as they want to. In these days, I have been thinking like this, seriously.

*Looking back on those days in Syria and Kuwait, I recently have realised again that the Arabs are strongly based on their mercantile mind-set. Although I am not going to generalize them all at all, I do not want to stick with my certain experiences and I am always talking in general, (1) they think things in a quite positive way (thus sometimes they do not tend to pay an attension for self-examination), (2) they also tend to count on and seek a favor in return in an obvious way (meanly, they do not care others' current positions, conditions and feelings if they want to ask a favor of others, especially when they strongly believe that they have already done enough for those people and they have rights to be given a help, which is mostly and generally considered in the West or at least in Japan to be completed by themselves, (3) they do not tend to hesitate to say to others whatever they want, compared to the other cultures that I know.

Even from only these 3 points, you can arrive at some results. I have stayed in Iran just 8 days, I do not have any knowledge of Persian and I have never compared which language is used on the Internet or books more, Persian or Arabic, but I feel that there are more information on the Internet and books in Persian than in Arabic. I do not think this is warranted, but at least I can say that there SEEMS to be Persian cultural and educational stuffs (the info and books, etc) many enough to convince me that it could be more than in Arabic. This fact is especially related to the reason (1). (if someone finds the data, please share it with me)

I really love how the Arab think and their culture of course (indeed I felt falling in love with them), but the Persian culture or their way of thinking excite my sympathy more than the Arab do.

*I would like to welcome or at least accept any criticism and survive any kind of it. I hate those who pretend to be tragic heroines. When I see those persons who have the opposite tendencies and characters from what I prefer, I try to be back to the basics and I reassure that I am not that bad.

Friday, October 23, 2009

300字×2

自分をものに例えると、お地蔵さんである。誤解を招く表現だが、私は神だ仏だと言っているわけではない。じっと街の片隅で雨の日も風の日も常に微笑を絶やさず、人々の生活を見守っている。世知辛いこの御時勢でも人は私にきれいな水をかけ、お供えを欠かさず、首にはいつも何かかけていてくれる。地に足をつけ、人に良く恵まれた。目新しいものは何も持ち合わせてはいないし、動きも鈍いけれど、一度誰かの心に入り込んだら、どこまでも自由自在に飛んでいく。非力だけれど、どういうわけか愛着のわく見過ごせない、まず見殺しにはできない存在。無償の永遠の慈悲が宿る、そんなお地蔵様に例えるのは罰当たりだが、少なくともそんな人でいたい。

私には強烈に個性的で趣味はない。これからの人生、働くことなしには喜びも苦しみも感じることは稀だろう。世の中で働くことで、人間関係の中で生き、ようやく自己の存在に承認がなされ、良い仕事をするにつけ、悪い仕事をするにつけ、そのひとつひとつが生きる糧となるのだ。もし自分の仕事が世の中の人々に悪影響を与えなければ、そこで初めて私はプラスの意味を持つ。周囲や私に関連する全ての人に感謝するだろうし、感謝されもするだろう。単純な私はそれで喜び、この社会で生きる資格を得たと、笑顔で明日を迎えることができるのである。「生きてよい」という証明を自分と他者に与えられるという承認の実現が最も根本的な仕事の意味である。

とある商社の1dayインターン申込がこんなんで(笑)通ったらすごいな。

Thursday, October 22, 2009

嗚呼

●駒場の若い生気を週に1回吸い取るために(その他理由多数)教養学部後期のゼミにaway感たっぷりに参加しているのだが、教養後期の人たちってなんであんなに楽しそうなんだー。「楽しそう」なんだよね、皮肉に聞こえたら申し訳ないけど。

次にこれを言っちゃあ前言が皮肉にしか聞こえなくなっちゃうだろうから恐縮だけど、3年も大学にいて、なんでいまだに(っていうかそもそも最初から使ったことないけど)Wikipediaコピペで発表できるんだー。可愛い子だったから許すけど、本当にすごい。尊敬、敬服する。そのWilipediaを多用しました(ハート)って笑える自信を見習いたいです。Wikiだろうが何だろうがそんなもので私は揺るがないわ!・・・みたいな?うーん、無理があるか。

●農学部の合説に。農学部の夜は素敵だ。猫になって就職するなら、法文1,2号館周辺なんかより、農学部キャンパスを希望だね。獣医さんもいるし。

●以前に書いた記憶もあるけど、私はよく、道や時間や講義やゼミについて訊かれ、手相や募金で呼び止められる。私の他にも人はいいーーーーーーっぱいいるのに、何故か私を選んでくださる。別に自意識過剰なわけじゃないが、そんなかすかな疑義は確信へと最近(帰って来てから)特に思う。「このゼミって~~~~~なんですか?」(え、なんで私?隣の隣の人超えて・・・!)「この授業って毎回レジュメあります?」(ああああ、はい、ありますよ、で、なんで私・・・。)「今何時ですか?」「○○○研究センターってどこですか?」(・・・し、知らないよぉぉぉぉ)・・・その他多数。

そんなに訊きやすい顔、雰囲気してますかね?(それともこれくらい平均的なのかしら)毎度、ありがとうございます。皆様のお役に少しでも立てたなら幸いです。「尋ねやすい人」を目指して今後も精進いたします。ーーーーぶすーっとした顔、態度してると思うんだけどなあ。こんなのに訊いてくださるとは、何ともありがたいことです。

●夕飯時の買い物客で賑わう商店街の一角で、お地蔵さんにひたすら何度も水をあげているいたいけな少年が。そこには、宗教の毒も魔薬もなく、信仰も何もかも、そんなものをとうに超えた、「慈しみ」だけが純粋な形で残っていた気がする。笑いもせず、目も逸らさず、ただ一心に何度も、何度も、透明な水をかける。お地蔵さんと彼が何を話していたのか、お地蔵さんがどんな顔をしていたのか、私には知る由もない。

●朝と、日のとっくに暮れた夕暮れどき、自転車で風を切るのがたまらなく心地よい。なぜ私はこぎ続けるのか。大学に向かい、家に向かい。渋谷の交差点でもどこでもいいけれど、急ぎ足でもたらたら歩きでも、どこかに歩いているってのは本当に幸せなことだ。少なくとも、どこからか来て、どこかへ行く場所があるんだから。何かのドラマかCMみたいに、交差点のど真ん中で立ち尽くしている人なんて、滅多に出会えたもんじゃない。だから、それだけで、人間が歩いているだけで泣けてくる。ここまで来ると病気かも知れない。だったら、治らなくてもいい。

●今日、何人の人に直接的にお世話になったか、迷惑をかけたか、傷つけたか、不快感を与えたか。間接的なのも入れるとこんな私でも恐ろしくなってくる。100人殺せば英雄だ。もう私も立派な犯罪者だから開き直ることにする。嗚呼、生かされている。今日の人たち、ごめんなさい。すみません。そして、ありがとう。

●昔のほうが研ぎ澄まされた感覚と文章で書けていた。少なくとも今よりは。何が欠けて、何が足されたのだろうか。

Tuesday, October 20, 2009

緩みきった涙腺の果て

偶然つけたワンセグが昭和平成名曲ランキングなるものをやっていて、(①平成も20年過ぎるとあたかもある程度過ぎたかのように「平成」として振り返り始めるのだな、②にしてもあと何年平成が続くか分からないのに、「平成」の、とするのは、例えば昭和40年とかに同じように振り返っているのと同じくらい滑稽なわけで、そこには、(α)昭和が終わろうが、平成があと何年続こうが基本的に世の中は動いていくはずだという頼もしくさえある確信(=天皇がいつ崩御されても大丈夫、そういう国はそんなに多くない)と、(β)そもそも「昭和」「平成」で区切ることのノスタルジーというか、一種の暗黙の了解、区切ることによる心地よさが(いまだ?)存在している(要するに、70年代、80年代・・・00年代という区切り方ではないということ。思うに、00年代という呼称の違和感はかなり多くの人が共有しているのではないか)ことにど・う・し・て・も安堵感を覚えてしまう私は、かなり以前から、自分が大好きな=愛国主義者だったのだろうと、最近改めて思う。

本当に1万人から集計を取ったのかどうだか知らないが、まあ、大多数の人が名曲と感じる曲は、カレーで言えば「バーモンドカレー中辛」というか「マルちゃんの焼きそば」のような80点主義になるものだが、次々と繰り広げられる哀愁爆弾に、緩むことに恐れを感じなくなり始めた涙腺が反応・・・。音楽っていいな・・・しかも昭和の曲第1位が私御贔屓の「なごり雪」ときた。

でも、待った。別に世の人はその「音楽」自体にうるうるしているわけでは毛頭ない。自分の生きた時代に、関わって、染込んで、切っても切り離せぬ、あの瞬間の、あの感情の、あの台詞に被さった、あの曲が、人間の生の営みを高らかに歌い上げた(殆どの曲がそうです)曲が、人間って汚くてあくどくて愚かだけれど、その愚かさや愛憎の襞が、愛くるしい、取り返しのつかないほど懐かしい、恋しい、ああ、生きていて良かったor私に繋がる命に感謝・・・と、「人間」自体に感動しているのだろう。少なくとも自分はそうだ。

実家のある田舎で成人の殆どは自家用車通勤だから分からないのだが、東京の山手線内側に住み始めて、朝の7時半頃に外に出れば、色々な価値観の色々な事情や思いを抱えた色々な年代の、それこを定年間際のサラリーマンから、手足が折れてしまいそうなほど細い黄色の小学1年生、母親の自転車の前と後ろに乗り込んだ3歳児と5歳児が、朝の清清しい秋晴れの空の下を行き交っているのを・・・・(涙)・・・・見ているだけで泣けてくる。

埼京線の池袋駅で駅員に詰め込まれる通勤通学客や、日本医科大学が近所なものだからよく通る救急車のサイレンに一斉に反応して道を譲る車たちや、夕飯時に勤めから帰りがけにスーパーに寄ったそれぞれの人々ができるだけお得な商品を選んでレジに並ぶ姿とか・・・もういい、銀杏の葉が落ちてくるのを安田講堂をバックに25番教室の窓から見るだけで・・・十分なのである。

人間とか、この世の尊さや美しさに耐え切れなくなるのには、十分なのである。十分だ、十分だ。慈悲だ、包容力だ。私は、私は・・・・何者でもないけれど、あなたたちが大好きだ。あなたたち一人ひとりが、幸せだと感じて生きていけるように、それだけを祈っている。

おそらく、ひとの幸せを願うことが私の生き甲斐となっていけるであろうと思う。本当に私は幸せだよ。







p.s.ち・な・み・に、イスラームでは解釈にもよるが、宗教的音楽(神を讃えるなど)以外の一般的音楽というものは禁止はされてはいないが、禁止の次の段階の嫌悪されるものであったように記憶している。理由はいくつかあるが、ひとつには、男性が女性歌手の声を聴いて悶々としてしまうのは良くないとか(日本で日本人女性歌手の曲を聴いて悶々とできる日本人男性がどれくらいいるのだろう・・・とか聞かない)、音楽を聴いている暇があったらコーランを読むなり聞くなりせよ、ということらしい。だから、教育機関で日本のように合唱をすることはまずありえない。オペラを鑑賞するというのもありえない。・・・ただ、1歩街へ出れば公共交通機関やタクシー、店舗内では日本的価値観からは想像もつかないほど大音量で何かしらの音楽が流れており、その大半が愛だの恋だのといった、およそ哲学的内容など本当にないよう、で(日本の歌謡曲は結構哲学的なものが多いと思う)「やあ恋人よ、あなたが恋しい」とかそんなもんであって、たまにアッラーを讃える現代歌謡曲もあるけれど、まあ、実態はそんなもんである。で、さらに、エジプトやレバノンで多く作られるPVは日本的価値観どころか、(一般的)欧米的価値観からも一瞬たじろいでしまうような過激で性的な魅力を存分に撒き散らしたナイスバディーの舞台化粧女性が腰をひねくり回して踊っているのが現実で、それを愉しんでいる中で、何割ほどの人間が、(名前だけだとしても)ムスリムなのかキリスト教徒なのか(あるいは他宗教)分からないが、「歌」というとこうなってしまうアラブの一方で、タリバーンなんかは厳格に音楽を禁じたわけで、なぜかしら、歌に限ったことではないけれど、極に走ってしまう、ジレンマとか矛盾みたいなものに鬱々としている彼らのような人々が地球上にはもちろんいるのだけれど、名曲ランキングで流されるような、万人受けのする青春歌謡ソングの、淡白さが、一方のそういう状況と並べると、一体何なのだろうと不思議な感情を湧かせるものである。そういう淡白さ、嫌いじゃない、っていうか好きだから書いているのだけれども。

Sunday, October 18, 2009

سبحان الله

何を言おうと喚こうと言うまいと喚きまいと、自分で自分の命を絶つか、諸要因によって死が訪れるまでは、自分に属する(とここではする)時間が、少なくともその時間だけは何があっても自分と運命を共にし、しかも一定の速さで変わることなく絶えず流れていってくれているということは、どうしようもなく有り難くも残酷にも感じられるし、そこには慈悲と無慈悲が背中合わせに同居しているわけだけれども、どちらをとるかは、その人の現在の様々な意味での「状況」(出自、才能、経済的状況等全てを含む)に負うかといえば、必ずしもそうではなかろうことが容易に想像できることが、我々に希望を与えてくれるかも知れない。・・・なんて、要するにどうにかなるときはなるし、どうにもならないときはどうにもならない。でも、誠実に真面目にやっていこうかな、くらいの希望でもあるし、涙がでるほどの希望でもあるのでした。

約1週間前に国連難民映画祭で「ジェニンの心」を観て。ただ単純にアラビア語やアラブが恋しくて、観覧料がカンパ制だったから行ったのだけれど、もうどうしようもなかった。話自体や映画としての質なんか、私にとってはどうでもよいこと。何がどうしようもないって・・・

シリア方言にも近いパレスチナのシャームの国々の愛くるしい言葉を、文化を、習慣を、生で直接、意を解する人がこの会場に私の他にどれだけいるのだろうかと思うと、もちろんそんなに知ったかぶりをするつもりは毛頭ないけれど、1年あの地方にいただけなりに「分かってしまう」ことが含み持つあまりの残酷さと素敵さ(いい日本語が思いつかないけれど、あの辺の口語で言うと、ヘロ(حلو)スウィートね、素敵、可愛い等々の意)を知ってしまった者なりの責任の重さ、責任とか言わないまでも、そのこと自体の重さ、私に目をかけてくれた全ての人々に何ができるかとか、一応イスラームでは神の、天国の言葉となっていて、文語であれば私だって啓示が下されたとされる7世紀の人々とも普通にコミュニケーションがとれてしまうという意味での貴重さや崇高さetcに、سبحان اللهという(直訳としては、「神に讃えあれ!」ですが、実際人が使うシチュエーションとしては「何だか分からないけれど、人の知には及ばない何か凄いものがこの世の中にはある。自分も、この状況も、それによって導かれている。ああ、何とも言えないが、素晴らしい」みたいな感じ。イスラーム教徒にとってはその「何か」が神や神の意思であるのでしょう。例としては、友との別離で、友が旅立った直後に、ああ・・・سبحان اللهとか、遺跡を見て、ここにはあれこれといった歴史や人々が・・・سبحان الله)思いが押し寄せてきて、泣きそうでした。

例を挙げ始めると切りがないけれど、まずこの映画とタイトル自体が、英語ではHeart of Jeninで、日本語もofは「の」になっている。ところがアラビア語ではقلب من جنينとなっている。منというのはもちろんofの意味もあるけれど、どちらかというとfrom的要素が強い。そこに帰属していて、かつそこからどこかに移動したという意味のような自分では気がしている。まあ、そうすると訳としてはofが妥当なのだろうけれど、fromのほうがダイレクトに訳されている気がしないでもない。で、問題はここからで、fromを訳にあてると、主人公の少年の心臓(や臓器)がジェニンの村からがっつり取られて、何人かの人々に分配されていくイメージが強くなる。ハイ、取られた!という。ofだとその生々しさが軽減されてしまう。・・・そんなこんなで、タイトルを観た瞬間から、こういった些細な、訳出不可能な差異がありありと見えてきてしまって。別にこんなことはどんな言語にも言えるのだけれど、アラビア語を話す人々が置かれている状況や彼らがいる場所を取り巻く複雑な情勢etcを考えると・・・重いんですわ。




أريد أن أرى شخصاً عربياً خاصة السوري في طوكيو ولكن طبعاً ليسوا موجودين. فلقد زرت المحاضرة مع الأستاذ الدمشقي ولكن المستوى في تلك المحاضرة كان ضعيفاً وقال لي إنه من ألأفضل أن لا آتي بطريقة غير مباشر وسوف يعطيني المادة إذا سجلت رسمياً....أه أحافظ لغتي العربية كما كانت في سوريا ولكن أشتاق كثيراً إلى اللغة العربية ذاتها و الشعب العربي لذلك زرت مهرجان الأمم المتحدة في الأسبوع الماضي وشاهدت الفلم عن فلسطين. لهجتهم متشابهة مع لهجة سورية وشعرت أنني مسؤولة عن أنني لقد عرفت اللغة العربية"الثقيلة". "الثقيلة" تعني أولاً أنها اللغة في الجنة في الإسلام و ثانياً دائماً توجد المشاكل الكثيرة و الكبيرة و المهمة و المعقدة حول المناتق حيث الناس الذين يتكلمون اللغة العربية فيها مثل قضايا فلسطين أو الفقر...إلخ. لا أعرف ماذا أستطيع أن أفعل بالعربية ولكن لقد عرفت القليل منها. وهذا يعني أنني مسؤولة. فلم أستطع أن أمنع بكاء قليل... حقاً سبحان الله


Monday, October 5, 2009

Not great but nice.

高校の最も仲の良い(と少なくとも私は思っている。相手側はどう思っているか分からない)友達数人を新居に「誘って」(前記事参照)、一年ぶりに再会し一日の4分の1程を共に過ごしたはいいものの、どんどん日本社会の一般常識(と観念されるもの)からかけ離れていくことに、危機感を既に通り越して、諦め、開き直り、自暴自棄の境地にさえ至ってしまったことが何とも情けない。彼女ら3人のうち、2人は既に社会人として働いており、1人も就職活動を経て無事に内定を得ている。つまり、彼女たちに比べて「世間知らず」であるとか、「社会人のマナーに疎い」私は、明示的には回避したものの、思うが侭に発言していたら、彼女らたちとの乖離感が痛々しいほど浮き上がってしまっていたであろうことを思い知らされた。

思うに、「自分の居場所が見つからない?ふざけたことを言うな。居場所は見つけるものじゃなくて、作るものだ」と思われる向きも多かろうが、努力して安住の地を「作った」ならば、それはもう既に「イって」しまったという場合もあるだろう。私のような、「居場所はどこにもないけれど、すごくこれで満足しているし、これ以上は望まない」とか言ってしまったら、社会不適応人間以外の何者でもないのであって、「普通の」人ならば、どうにか「見つかる」ものなのではないか、と。違う、それは「見つけた」のではなく、苦労して「作り上げた」「獲得した」ものなのだと言い張る向きがあるならば、そんな偉業を成し遂げられる人間には元々「作る」必要性などなく、「自分の居場所がある」と感じられるという時点で社会からお墨付きを得ているような気がする。要するに、居場所が「作れる」と信じている、居場所は「作る」ものと認知している時点で、リア充っていうやつなのではないかと。まあ、大したことは言っていません。


以前にも書いたようで恐縮だが、「女の化粧は男のネクタイと同じで社会人としてのマナー」だとか、「化粧は教養」とまで言ってのけたキラキラ女がいたが、まぁ、実際のところそうなのであろう。従って、私にはマナーが備わっておらず、教養もない、という結論が導かれることに何の異論もない。まあ、実際問題、「化粧をする物理的肉体的能力が備わっていると客観的にも、(経験からそれらが備わっているかどうかを見分けることができる)私にとって主観的にも、思われる女性」が、化粧はおろか、それ以前の身だしなみのレベルで圏外である場合、多くの場合において、その人は社会との接点をあまり有しない人であるか、有するにも関わらず、「関心が無い」という理由のみでそういう状態を維持しているのであれば、私が言うのも何であるが相当に「変わった人」であることがある。そうではなくて、病気その他疾患によって化粧ができない女は・・・まあ、大部分がやはり「社会」不適合であって、何かの前線で「活躍」しているということは滅多にない。「化粧なんて大事ではない。あくまでも清潔感が就職活動では求められる」と言う(自称他称)”企業の人事に詳しい”人々よ、化粧のできない人間の殆どに清潔感など有り得ない、と教えてあげよう。醜悪さを強制的に周囲に提供する人間を採りたい企業がどこにおるか。「障害を持った人の採用」と同じように、「「自らの意思に反して」社会人としてのマナーを遵守することのできない人の採用」もある一定の割合、義務付けることなしには、彼らの行き場など社会にはなく、見つけられにくいところに留まり、一般の人に対しては「化粧ができなくてマナーや教養が備わった、有能で優秀な人など見たことない」という印象を与えるのである。・・・まあ、ここでは、もちろんのことだが、化粧ができないが優秀な人がリクルート市場から”一般的に”排除されている可能性と恐れ(またそれによる損失が見込まれないこともないこと)を指摘しているだけであって、何も私が(筆者が)そうであるとは一言も言ってはいないし、また皮肉を込めて裏返しにして暗示するなどの高等技術も持ち合わせていないことを付記しておくが、まあ、こちらに通ってくださる読者の方々には意図は見え透いたも同然だろう。

外野が騒がしくなってきた。エントリー、エントリーとよく意味の分からない単語を振りまいている。ちなみに、隣と真向かいの中国語を話す人々も毎晩騒がしい。中国語を話す友人も多いので、中国語には特有のアクセント等により必然的に発声が日本語のそれよりも大きくなる傾向があると理解しているものの、声の音量ではなくて、音楽とかテレビの音量については何とかならないものだろうか・・・うーむ。


私が考えるところの、「知的バランスの均衡」がとれた人は、(自分が最もアイデンティティーを置く比率の高い主権国家あるいは領土と言う意味で)自国のことを「素敵(nice)」と呼び、「素晴らしい(great)」とは呼ばないところにあるのではないかと最近思う。身内のこと(文化、宗教等すべて)をgreat!great!と叫ばずとも、 ah, niceとクールに言えるのが丁度良い。そんなこんなで日本人と呼ばれる人々を私は愛しているし、彼らのためになる、或いは彼らに負の影響を与えないようなことをしたいと願っている。They are not so great, but still nice...So? I still like them.

Saturday, October 3, 2009

リハビリ

「誘う」という行為はかなり”崇高”だ。(1)相手が、「誘っている」という自分を誰だか認識しているという確信があり(2)特に久しぶりに会っていない人に対してならば、その相手の反応による自分への認識の仕方あるいは態度、評価、位置づけをまざまざと見せ付けられてもうろたえない自信もあり(3)その「誘い」がいかなる形であれ断られようが何だろうが、それから何の負の影響も受けない(4)もしくは受けてもそれを容易く超越もしくは克服できるという自信を、意識的・無意識的であれ持っていなければ「誘う」ことなどできたものではない。「誘い」は何も愛の告白に限ったことではない。同性異性に限らず、お茶やランチやお喋りの「誘い」、「帰ってきました」という報告をするという台詞が陰で要求する「だから、会いませんか」、もしくはそれさえも要らない。久しぶりに目にする人に対して発する一言目は身が切り刻まれるように痛い。外国人向けの日本語学習書以外に日本人の誰が「こんにちは」と一言目友達同士で言うだろう。そのマニュアルの無さに、困惑するのは、アラブの奴らがあまりにも楽しそうにالسلام عليكم. كيف حالك؟ ما هي أخبارك؟ أنا مشتاق إليك.(あなたの上に平安がありますように。あなたの状態はどうですか。何があなたのニュースですか。(久しぶりに会っていないので)懐かしい(もしくは恋しい、寂しい)です。(以上超直訳))の4点セットを電話でも何でも決まり文句として一気に吐き出す中で、自分もそれに甘んじできたからである。もちろん、人情味溢れ、ホスピタリティーとは斯くあるべき的な文化財指定のジェラルミンケースに誇らしげに展示することもは憚らなさそうな、と一般的に思われる彼らにも、実は日本人には逆立ちしても思いつかない発想に基礎付けられるある種の毒々しさや図々しさ、淡白さ(ビジネスライクな、商人的なと言えばいいだろうか)、単純な複雑さ(矛盾しているようだが、一般的な日本人的思考(というものが仮にあるとして)においては思いもつかないような、人間関係の込み入り方や出来事の進み方が、彼らのその他の面と比べるとやや一見複雑に見えるのだが、その複雑な状況を招いている思考自体は非常に単純なのである。もちろん、彼らの思考が何かと比較して相対的に単純だと言っているのではなく、その招かれた状況に比して、その原因となる思考方法が単純だとここでは言っているのである。)や面倒くささが同居しているので、一概にこちらがラクだというような話をするわけではないのだが、話の切り出し方としては非常に(特に私のようなこういう人間にとっては)ラクである。


シリアの友達とスカイプで会話するときに顔が変わる(家族曰く)らしく、少なくとも、アラビア語を始めとする外国語では(母語ほどの言語能力や言語や文化背景理解に欠けているからかも知れないが)いわゆる流行の「コミュニケーション能力」は、その言語を話す一般的集団構成員と比して、私にも備わっていると見ることができそうなものだが、さて、ここ日本となると、しかも自分の所属する大学学部生への(今まで散々書き散らしてきた)複雑にして単純な思いが(ここでもまた語義矛盾か。ここでは、自分で「複雑だ」と言うのは「自分は複雑な思考や悩みができる人間です」と豪語しているに等しいと私には思われて仕方ない(私流「複雑性至上主義」)ので)頭を擡げてくるので、どうか(私が)知っている人が私を知っていると認知しませんように、と視線を落として猫背でそそくさとその場をやり過ごすのにどうしても安堵してしまう。

こんなことではこれからの「シューカツ」で最も必要とされるであろう「コミュニケーション能力」とやらが育たない。いや、今更育つということはないのだが、にしてもそれ以前に日本語を流暢に話すことができないと大いに危惧されるので、恥さらしもいいところだが日本語の練習のために、(己の母語低下能力と母語における思考能力の低下を直視するのが嫌でずっと放置していた)この場を再開することとしたい。


最後にここにものを載せてから、本当に色々なことがあったが、それは機を見てお話することとして。


それにしても私が言うのも何だが、リクルート社の見事に先頭を切って作り上げた「シューカツ」文化に踊らされすぎである。ぶっちゃけかなりキモい。「特別な経験は要りません。重要なのはそこから何を学んだかです」とかと言う耳ダコなキャッチも、留学とかサークルのリーダーとかバイトでの責任者とかという「特別な経験」を「シューカツ文化」構成初期に祭り上げた同社の振り子を少し揺り戻しただけであって、ESに箇条書きで見出し付きで1,2,3と学んだことを列挙するのだ、ビジネスのセオリーであるPLAN→DO→・・・にあてはめるのだ、と言われると、「~~することができた」「~~ということに気づいた」「~~という自分を発見した(自分を発見するっていうのがまずキモい)」と、できたできたと割り切って言えないことの中にこそ、重要な部分があるのではないかとか、何をもって「成果」とするのか、「私は」「学んだ」「学んだ」と騒ぐのは高校生まででいいんじゃないかという穿った見方はシューカツ市場に、果てはこの「世の中」で「使えんよ」と言われるのがオチなのは重々承知の上で、1日から始まった(とされる)この「運動」に乗り遅れることを恐怖しながら、まあ、こんなことだから結局は乗り遅れそうなのであります。


日本語学習者は読んじゃいけない悪文ですな。いや、まずはリハビリです。いつも見に来て下さった方ありがとうございます。