Thursday, October 22, 2009

嗚呼

●駒場の若い生気を週に1回吸い取るために(その他理由多数)教養学部後期のゼミにaway感たっぷりに参加しているのだが、教養後期の人たちってなんであんなに楽しそうなんだー。「楽しそう」なんだよね、皮肉に聞こえたら申し訳ないけど。

次にこれを言っちゃあ前言が皮肉にしか聞こえなくなっちゃうだろうから恐縮だけど、3年も大学にいて、なんでいまだに(っていうかそもそも最初から使ったことないけど)Wikipediaコピペで発表できるんだー。可愛い子だったから許すけど、本当にすごい。尊敬、敬服する。そのWilipediaを多用しました(ハート)って笑える自信を見習いたいです。Wikiだろうが何だろうがそんなもので私は揺るがないわ!・・・みたいな?うーん、無理があるか。

●農学部の合説に。農学部の夜は素敵だ。猫になって就職するなら、法文1,2号館周辺なんかより、農学部キャンパスを希望だね。獣医さんもいるし。

●以前に書いた記憶もあるけど、私はよく、道や時間や講義やゼミについて訊かれ、手相や募金で呼び止められる。私の他にも人はいいーーーーーーっぱいいるのに、何故か私を選んでくださる。別に自意識過剰なわけじゃないが、そんなかすかな疑義は確信へと最近(帰って来てから)特に思う。「このゼミって~~~~~なんですか?」(え、なんで私?隣の隣の人超えて・・・!)「この授業って毎回レジュメあります?」(ああああ、はい、ありますよ、で、なんで私・・・。)「今何時ですか?」「○○○研究センターってどこですか?」(・・・し、知らないよぉぉぉぉ)・・・その他多数。

そんなに訊きやすい顔、雰囲気してますかね?(それともこれくらい平均的なのかしら)毎度、ありがとうございます。皆様のお役に少しでも立てたなら幸いです。「尋ねやすい人」を目指して今後も精進いたします。ーーーーぶすーっとした顔、態度してると思うんだけどなあ。こんなのに訊いてくださるとは、何ともありがたいことです。

●夕飯時の買い物客で賑わう商店街の一角で、お地蔵さんにひたすら何度も水をあげているいたいけな少年が。そこには、宗教の毒も魔薬もなく、信仰も何もかも、そんなものをとうに超えた、「慈しみ」だけが純粋な形で残っていた気がする。笑いもせず、目も逸らさず、ただ一心に何度も、何度も、透明な水をかける。お地蔵さんと彼が何を話していたのか、お地蔵さんがどんな顔をしていたのか、私には知る由もない。

●朝と、日のとっくに暮れた夕暮れどき、自転車で風を切るのがたまらなく心地よい。なぜ私はこぎ続けるのか。大学に向かい、家に向かい。渋谷の交差点でもどこでもいいけれど、急ぎ足でもたらたら歩きでも、どこかに歩いているってのは本当に幸せなことだ。少なくとも、どこからか来て、どこかへ行く場所があるんだから。何かのドラマかCMみたいに、交差点のど真ん中で立ち尽くしている人なんて、滅多に出会えたもんじゃない。だから、それだけで、人間が歩いているだけで泣けてくる。ここまで来ると病気かも知れない。だったら、治らなくてもいい。

●今日、何人の人に直接的にお世話になったか、迷惑をかけたか、傷つけたか、不快感を与えたか。間接的なのも入れるとこんな私でも恐ろしくなってくる。100人殺せば英雄だ。もう私も立派な犯罪者だから開き直ることにする。嗚呼、生かされている。今日の人たち、ごめんなさい。すみません。そして、ありがとう。

●昔のほうが研ぎ澄まされた感覚と文章で書けていた。少なくとも今よりは。何が欠けて、何が足されたのだろうか。

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