不毛に色々去来するけどどうしようもなく朝が来るときの虚しさ。
例えばすごく瑣末なこと。4月から1年実家暮らしに戻ると食生活乱れるだろうな(普通逆か)とか、日々怯えてるアトピー再発の恐れ急上昇だなとか、でもそれこそ環境が変わるべきときに変わらずに、家賃負担かけながらone more yearっていうのは。家族と長期に生活するのが留学以来で色々忘れてる気がする。
11月とか12月から授業にも出てそこそこ勉強していたとして、あの民三・ヨロ政で、手ごたえのある答案が書けたかというとちょっと言い切れないけど、やり尽くすことはできたはずで、現に小手先状況で結局挑んだのだから、なぜそうしなかったのかというのは出資者であるだけでない両親等にはそれこそトップシークレットなわけだけど・・・ここ、ここなんですよ、遅かれ早かれちゃんと"総括"して区切りつけるならつけて、あと1年で何をどうするのか。社会人に、立派なオトナには結局自分はなりえないだろうし(といいつつ、どこかでそうでない可能性にこそかけてるわけだけど)、実際なりえなかった状況に直面するのが恐いとか云々よりも、未だに生き方が定まってないとか、要は例の核がないって話(またそれかいって感じだけど、もうこびりついててだめだわ)にどうしても落ち着いてしまうんでは。ちゃんと勉強して、普通に何事もなく仕事始めれば、客観的にはとりあえず合格点の「社会人」にはなっただろうに、自らその道を絶った事実の重さを、後で知らしめられるのか、はたまたそうでもないのか。要はgdgd。現実逃避とgdgd、思考も何も深まったもんじゃない。まあ、留年が何、休学が何、浪人が何、それでいて芯の通った系、世間のvalues・基準なんて本当に関係ない、どこ吹く風、いつどうなるか分からない自分の自分自身の人生、割り切って好きに生きる系に憧れてきて、1留くらいしたらお近づきになれるのかしらみたいな甘ったれも。
公共の場で、本名名乗って、恥ずかしげもなく低脳ぶりを曝け出す件について、NZの外国語学校の学生とか三越の例の件とか、ネット社会個人情報恐るべしってのが正常な反応なんだろうけど、私の個人情報って叩かれる価値もない(=面白くない)だろうし、何かあって2chとかで騒がれても一瞬で終わるはずっていう諦念というか確信。実に、愛の反対は憎悪じゃなくて無関心。
我ながら近年稀に見るくそ投稿だあ。何も言っていないに等しい、何も生きていないに等しい。それでも喰らい、消化し、排泄し、ものを見て聞いて勝手に盛り下がり盛り上がる。
- 食べ物で胃痛を緩和させようとするとひたすら太り続けるー
- もはや驚かない。某国の友達の話。友人のふりをしていても、友人紹介を拒否することとか、(これは全然違う次元だけど)Christchurchに地震が起きるのは天罰っていうか何かしらの因果があるって自信ありげな某宗教徒とか。 アルジェリアとかインドネシアの地震津波は悲劇であって、不信仰国の天災は(略。