寮の部屋も食事も通学バスもかなり快適だが、ひとつだけsuckingなのは、持参PCにネットがつながらないこと。インターネットという唯一の外部世界への扉が閉ざされたままで、この幽閉生活を送るなんて、精神的に無理というもの。というわけで、しばらく自分のPCのWordで打って、CD-Rに移して、コピペして・・・という方法しか思いつかない。日本語でのメールもしかり。
クウェートへの道のりは果てしなく遠かった。説明する気も失せるくらい事態は込み入っていて幻滅なのだが、近況報告と記憶のために一応記さねばならない。日本語と英語も鈍らないよう。
Oppose your affection to find rationality.という諺がアラビア語を今更オン・ザ・トピック(on the topic)にしようとは思わない。ただ、今回の諸悪の根源は、日本人留学生の受け入れに際しての事務手続きに誰がどの程度どのように「責任」を持って業務に当たるのか、ということが、(少なくとも)私たち当の日本人学生の目には甚だ不透明であり混沌として映ることに関連がないとは言い難いように思う。アラブ圏における「責任」概念の所作等に無知である私がとやかく言う資格はないかも知れない。しかし、これだけは言える。航空券の発券がうまく行かず時間を食うのも、日本人担当者のちぐはぐな対処や的を射ていない思考回路、作業プロセス(それが怠惰という後天的な気質によるものなのか、その人の固有の人間性や能力なのか、はたまたアラブ圏の文化(がそうだとすれば)に影響されたものなのかは判別し難い)によって生じたビザのスタンプ不取得という状況、それに伴う日本人学生や関係諸機関の体力的時間的金銭的消費等を総合的に考慮したとき、得をする者が誰一人存在しないということである。
早ければ早いほど、安ければ安いほど、スムーズであればスムーズであるほどよい、という合理性を追求するうえでの最低限の根本的な前提条件はかくも脆く、普遍的でないという事実は、今に明らかになったことではないが、実際に大変な状況に身をおけば、回りを見ても、自分を見ても、誰一人「良い」思いをしてはいないのだ。日本的(非アラブ的?)に言い換えれば、誰も得をしていないのだ。
どうして「良い思い」をあえて捨てて「大変な思い」をしなければならないのだろう。人間、楽に生きる必要はないのだ、なるようになればよいのだ、死ぬことはないし、クウェートに永遠に着かないこともない、何をカリカリしているのだ・・・?と言う反論もありうるかも知れない。 「良いほうが良い」という「良い」の価値も共有できないこの断絶に絶望する必要はないのだろう。今回のことも(これからのことも)単なる日本人担当者のミスだと言ってしまえば済む話かも知れない。それでもなお、私も脳裏に蠢く「なぜ?」の渦は、きっと無視できないほどに、後で煌びやかに登場する羽目になるような気がしてならない。まるで、付き合い始めの男の癖に感じた違和感が、後の離婚の原因になるように。
最後に、「今回のこと」をある程度具体的に紹介しておこう。今回のクウェート奨学生の合否決定がなされたのが8月1日であるにもかかわらず、航空券の予約が最終的に決定されたのは10月入ってからであったし、ビザの発給は9月26日か30日を選べと言われたのが24~25日にかけての真夜中であった。関西から数人がわざわざ東京に出てくる必要があるため、事実上不可能であった26日に代わって赴いた30日にはクウェート大使館はラマダンの最後の休みで閉館しており、ビザにスタンプを受けることができなかった。クウェートの日本人担当者はこれを知っていたのか、確信犯的に無視したのか定かではないが、とにかくスタンプは受けられずに出国する羽目になった。このことに関して連絡しても応答は得られず、後にこれが意図的に無視されていたことが判明した。
成田や関空で小規模のトラブルをそれぞれ経たあと、6時間のフライトでバンコクに着き、12時間トランジットを待たなければいけないという素晴らしいチケットのおかげで、午後3時から時間を潰した後、午前3時の出発に備えて午前1時ごろ搭乗手続きを開始しようとしたところで、ビザにスタンプがなければクウェートに入国できないため搭乗を拒否され、その交渉や連絡調整に努めたものの、日本大使館自体に権限はなく、クウェート航空本部の指令がバンコク支部に必要であったり、クウェート空港の入国管理の承認等が必要であったりして、結局フライトには間に合わず、関空組は空港で野宿、成田・中部組はホテル宿泊となって1日見送った。
当初、日本人担当者は、日本に帰らせることを示唆するなど、特異で奇抜でシュールでとんちんかんな発言を繰り返し、私たちをやきもき&どぎまぎさせたが、様々なプロセスの後、無事に搭乗することと相成った。特定の人を誹謗中傷したいわけではないが、日本人大使館員には「想像力」だの「思いやり」だのがないのだろうかと訝しく思う。私たちがどんな思いでどんな決意で休学届けを出し、パッキングをし、空港までの長い距離を重い荷物を運び、家族と別れ、今こうしてここにいることに、どうして思いが働かないのだろう、と。どうして言えるものだろうか、「万一の場合、(日本に帰ることになるかも知れませんから)クレジットカード持っていますか?」なんて。
今回の予期し得なかった出費を誰が負担するのかについては、まさしく「責任」の所在を追及することであり、その損害賠償が確実になされるよう、日本大使館に対してはあきらめずに訴えていくしかないように思う。金額的な問題もあるが、これは突きつけられた「責任」概念との挑戦状に受けて立つことでもある。ただ、事態をより面白くしているのは、途中にクウェート人を媒介すると言っても、当事者の双方は日本人であるということかも知れない。
もうひとつ、仕事をしないのかできないのか分からないが、もしできないのだとしたら、これほど痛々しいことはない、というのが素直な実感であると言えるかも知れない。
Friday, October 10, 2008
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3 comments:
大変な道のりだったようだが、無事クェートに着いてよかったね :)
異国での留学生活、全てが新鮮というのと同時にすべてが困難な一人暮らしだと思うが、決して後悔することはないだろう。
クェートという国を選んだのも、とても君らしいと思うし、この経験が近いうちに必ず大きな成果として実るだろう。
東京から応援してます!!
Love, Boru
お疲れ様でした。いろいろあって心身も疲れているが、早く気持ちを直して、アラブ圏の面白いことを見つけに行こう。苦あれば楽あり。
今年北京でみっちに遭わされたことのようなことに私も遭わされちゃった。ホテルに泊まらざるを得ないことがなかったが、家に帰ったのは、本来の午前八時から夜の十時になっちゃった。おまけに翌日出勤することになって、まともに休むこともできなかったのだ。
がんばってブログに近況を書いて知らせてください。毎週このブログを読んでいますよ。
Minasan, doumo arigatou!
I really appreciate that I have so many...how can I say...loving people caring me.
It's also amazing that two of you who wrote comments here today are non-Japanese native speakers!
I never have an enough word to express my gratitude...arigatougozaimasu!
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