Sunday, July 6, 2008

修行

苦労は買ってでもしろ、とは本当に良く言ったもの。最近つとそう思う。若さとか勢いでどうにか見せられるのは20歳そこそこまでだろう。10代の頃は歳をとるのが単純に嫌だったけれど、今21になって、美しく歳を重ねたいと、30や40の自分が楽しみだと素直に心からそう思える。もちろんそれは、アンチエイジングとか、30や40の自分がどんな「キャリア」を積んでいるかとか、どんな人と結婚しているのかしていないのかという自分を覆っている外部の性質ではなく、そういう人生から何を感じ取ってどういうふうに物事を見ているのか、言い換えれば、どういうふうに他者と向き合い、コミュニケーションしているのか、ということ。自分勝手で傲慢な響きもするけれど、自分の行く末に興味がある。これは決して自分大好きなのではなくで、醜い部分や汚い部分とどう折り合いをつけて日々を営んでいくのか、生を紡いでいくのか、という人間としての興味。その点で他人の人生にも興味は尽きないけど、「経験できる」という点では、自分の人生しかないから。イマジネーションには限界があるから。

20歳を過ぎると人間もだんだん細分化されてきてしまって、少し喋れば、もっと言えば外見だけでも、どういう種類の人なのか見当がつくようになってしまう。「引き出しの多い人」とは使い古された表現で、それが使われるのはいささかbusiness-likeな文脈が少なくない気がする。私は、それよりも、マジックにあるような、色とりどりのスカーフが結んでできている長い紐が、いくら手繰り寄せても尽きない、そんな人になりたいと思う。種類もそうだけど、深さと長さと多様さ。悲しみも苦しみも喜びも、幾千万もの感情を経験し、しかし決して売りつけない。するすると引っ張ってみたらどこまでも続いている。

お金があるわけじゃない。肌が綺麗なわけじゃない。世渡りがうまいわけじゃない。人からちやほやされるわけでもない。人生の機微をよく弁えて、穏やかに、かつ燃えるような問題意識を。全てを包むような笑みを湛えながら、鋭い眼光を真摯に投げかけるような。

若者よ、修行である。

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