Tuesday, July 29, 2008

罪深き抽象性

《Sinful Abstraction》

具体性から避難するのはそれほど罪だろうか。抽象の非生産性とか現場の重要性を再三述べてきたし、決して否定もしないが、そうして自分を説得してみても、やはり具体的なものに全く興味が持てないことをそろそろ認めてもいいのではないかと思うようになった。「理論と実践」という魅力的な相関関係の危険性は身をもって体験したところだが、アクチュアルな実践を全身で拒否してしまう自分が消えない。もう、これは仕方がないのではないか。自分への説得はいつか欺きに変わってしまうかも知れない。世界にも自分にもそれは不幸としか言えない。

国際協力とはいかにも美しい響きだ。27日にその前線で活躍する錚々たる顔ぶれのオフ会の末席を汚させてもらったが・・・ダメだな。ダメだ。国連などの国際的な公的機関で「いかにも良さげな」ことを仕事にしたいと常々思っていたはずだけど、仕向けていただけなんだろうな。己を改心させるのは諦めようか。

・・・「僕は偽善者だという、この偽善的な衒い」(『ある永遠の序奏 青春の反逆と死』大宅歩、角川文庫、2008.7.25)
・・・"The hypocritical affectation that I am a hypocrite" (a poet, Ouya Ayumu)

彼のお父様、大宅壮一氏の名言「男の顔は履歴書である」("Man's face is a C.V.")。深く、鋭い履歴書が欲しい。

No comments: