Saturday, September 6, 2008

謎でない謎

ライス国務長官がリビアのカダフィ大佐を訪問。ブレア、サルコジに続く「大佐参り」。ブータンみたいなことは止めて、もっと観光しやすくしてください。リビアはブータンじゃないんだから。Go!北アフリカ横断計画。

ふと思うこと。①アラビア語だけが日常的に使われていて②石油資源のない国で、豊かな(ここでは単にGDPの高さで考える)国は存在するのだろうか?と。湾岸は石油で潤っているし、モロッコやチュニジアはフランス語も支配的で、この条件にすっぽり収まる国が管見では見当たらない。となると、アラビア語は近代化を妨げる非合理的な言語・・・という偏見にまみれた暴論も不可能ではない。

例えば、アルジャジーラのサイトにしても英語版は洗練されているのに、アラビア語版になるとどうしても文字の特性上無駄なスペースができてしまって情報量が英語版のそれよりも限定されているような気もする。(読めるわけではないから何とも断言できないが)

また、口語が書き言葉で表せないというのは我々日本人にとってはかなりショッキングだ。メールや手紙はどうするのか?まさかフスハー(文語)で書くのか?とアラブ人に問えば、困惑して、「携帯でメールは使わないし、ましてやPCにアクセスする人も少ないし、手紙なんて書かないし・・・」と言葉を濁す。となると、これはリテラシーや文化の問題?それとも科学技術が未発達ゆえに書きたくてもメールが書けないということ?(アラビア語入力は面倒なのはヨーロッパ言語中心の入力体系のせい?)

日本なら関西人はインフォーマルなメールや手紙でバリバリの関西弁を使う。なぜアラビア語ではそれが不可能なのか?昨年度の留学生の話では、エジプトの字幕はエジプト方言の「音」で表していたという。アラビア語の先生に聞いても「さあ・・・?」なんだよね。小説の会話はどうなのだろう。そこに方言を使ってしまったら、アラビア語圏に普遍的な作品とはなりにくいのではないか。そうすると、会話も文語・・・?この疑問は1年後くらいには払拭されるのかも知れないし、そもそも口語を書き表す必要性にどうして私がここまでこだわるのかもあちらさんには理解不能かもしれない。

それにしても、口語を(少なくとも合理的に)書き表せないというのは、いわゆる「未開の」部族に限定されるべき話かと思っていた。それとも、「近代的な」人々が、その口語を書き表せないというケースは意外とありうることなのだろうか。話は若干それるが、日本人以外に多いのが、外国語もしくは母語までも「話せるけど読み書きできない」というパターン。どうやってその言語を学んだのか、かなり謎になる。流暢に話していて、そこそこ教養のありそうな人も文章を書かせると文法がはちゃめちゃというケースはよくある。「書けるけど速くは話せない」のならばそのメカニズムはよく分かるけれども。これは言語習得に関する文化の違いに帰してしまっていいのか、エクリチュールに対する日本人の過剰な信仰?プラクティカルでない日本の「教養主義」?

未発達なのはアラビア語という言語のせいか?それともそれをとりまく状況、環境のせいか?・・・謎は深まるばかりだが、私がこんな謎に嵌っているのも、彼らにとってみたらもっと謎なのかも知れない。

Can it be possible to master languages without writing and reading them?

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