Wednesday, September 24, 2008

友よ

「黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る」 李白  
故人 西のかた黄鶴楼を辞し  
煙花三月 揚州に下る  
孤帆の遠影 碧空に尽き  
惟見る 長江の天際に流るるを


送る人の気持ち。送られる人の気持ち。
離れるときに分かる、たくさんの私に連なる人たちの存在。
人脈ではなく、コネでもなく、ただそこに、
「寂しくなるね」と言ってくれる人たちがいれば。
「ありがとう」という言葉のない言語はないけれど、
それ以上は何を並べても陳腐にしか聞こえないこの貧弱さを
呪うしかない。
     
高校の6人組が全員揃うのは今となっては社会人も忙しく、年に1度か。それでも、ここまで長続きするのは、女という生き物の生態を考えれば奇跡に近いのかも知れない。誰かの留学や就職や結婚や出産を口実にそうして集まれればそれ以上何を望むだろう。6人が6人それぞれにぞれぞれの問題を抱え、それなりに悩みもがき、それでも集まればただ、それぞれに求められる役割を演じれば、あとはもう2年2組の休み時間の教室。まさか何も変わっていないわけではあるまいが、しかし変わらないものが確かにあるのだろう。皆それぞれが「そういう奴だ」と認識して納得した上での心地よさは、おそらく今までもこれからも続いていくのだと思う。
     
魅力あるドラマは、登場人物がそれぞれすべて憎めない愛すべきキャラクターであることが必須条件だと思う。フルキャストから任意に2人組の組み合わせを作っても、どんな場合でも成立する。家庭に入った主婦とシングルのキャリアワーカーと、はたまた子供ができたかできないかで、女同士の関係は目まぐるしく変化するらしい。ただ、意外とそうでもないような楽観主義が、私たちの関係には合っているようだと思うのは怠慢かな。
     
雨の日も風の日も、病めるときも健やかなるときも、白いショールは私を暖かかく包んでくれることよ。鉄人28号のように、強くたくましく。あとは明治神宮のご加護のもとに、小さなバンビが微笑むだけ。(←旅立ちに際していただいた物ものたち)
     
自民党の新総裁が決定し、その人の名を聞くたびに、しばらくは頭をよぎるであろう出来事について。愛か打算か、当事者にしか分からないし、当事者にも、誰にも分からないかも知れない。彼をそう駆る衝動に私はしばし唖然と絶望し、また失望にも似た青い感情を抱き。しかし、彼が悪いわけではなく、何が悪いわけでもなく、ただその人間の可能性というか、はたまた限界というか、その性質に、21の私は膝を抱えるしかないのです。
     
しかしね、今後しばらく何年経っても、彼は彼で、私は私だし、XくんはXくんで、YさんはYさんで、ZくんはZくんなのです。成金になっても、汚い仕事に手を染めても、たとえ人を殺めても、ある程度は、そのままなのです。中学生のときの友達なら全てがそうなるわけじゃない。軽蔑もあれば、距離もとる。しかし、そんな感情や理屈では語れない場所に、言ってみれば年齢に、私たちは既に達してしまったことと意外にも多くを語り合ってしまったことに、気づかされることになるのです。
     
しかしね、これが30からの友達だったら、なかなかこうはいかないだろうと思う。すべてに丸印を押すには、それは少々歳を食いすぎているのだと。Donc!(ゆえに!)このハタチ前後の橋をうまくではなしに、器用にでもなしに、体当たりで力強く、朗らかに、高らかに大切に、渡ってゆきたいと願うばかりなのです。
     
すべての悩める若人たちに幸多かれと、旅立つ者は声を残して。

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