Sunday, March 29, 2009

君の熱っぽさに、理屈じゃなくて。

時の流れだとか、非情なまでの人と人との出会いの有限性やら偶然性やら尊さとかに、否応なく対峙しなければならないときが人生には何度もあるんだろう。出会いは別れの始まりなんて、よく言ったものだけれど、幼い頃は、人間が皆一様に、死に向かって生きていることが恐くて仕方なかった。こういう感傷に浸るのにぴったりなのは、「なごり雪」とか「秋桜」とかNuovo Cinema PradisoのTema d'Amoreくらいがいいと思う。

後で振り返ってみると、何かしらの直感めいたものが存在していたことに、後付けと言われようと何と言われようと気づくことがある。現在進行形のときに、占い師に対するように自分の直感に頼りたくはないけれど、どうしても、こっちだろう、としか思えないときはあるらしい。傍から見れば盲目だとしか思われないだろうけれど・・・理屈じゃないことがあってもいいんだと。

早すぎる時の流れに付いていけず、様々なことが重なって、休養を欲していた私にとって、この奨学金はタダで「珍しい」国に住みながら勉強できる・・・1年の人生のホリディくらいの認識にしか過ぎなかった。このアラビア語が将来「役に」立つのかなんて限りなくゼロに近いのを分かっていて、どうせ時間を潰すなら大量に持ってきた本を読み、英語か、せめて仏か、100歩譲って独ぐらいに精を出した方が報われるのを分かっていて、どうしてこんなに食べる寝る移動する話する以外の時間をアラビア語に費やせるのだろうと、自分でも不思議に思うことがある。半年前には何も分からなかったのに、色々と分かるようになると周囲の見方も変わってくる。

高校のときに私文にしようか国公立文系にしようか定まらない時期に数ⅡBをやりながら、やんわり抱く倦怠感や先行き不安定感とは違って、どうしても、もっとできなければならない、もっと彼らを理解しようとしなければならない・・・という切迫感が常に襲ってくる。理屈抜き。自分の考えを、思いを、気持ちを、伝えなければならない人たちがいる。何をあれほど、熱っぽく、話しているのだろう。それだけでお互いの存在が保障されてしまうような語りの魔力。彼らの傍にいる限り、全力を尽くすのが礼儀だと思った。・・・ただ、それだけだ。

”東大法学部”の人間の、しかもその手の研究領域に進むわけでもない人間に、どうして趣味以上のアラビア語が必要だろう。外交官になれば税金で3年間語学研修が入省後できるし、今、世間一般この時期に手にすべきは必修科目の参考書なり、シュウカツやら資格取得の問題集なり何なりのはずで、自分が世間から本当に置いて行かれているのは重々承知だし、帰国してから本当に直面するのだろうけれど・・・理屈じゃないんだな。

きっと理屈で何かをやっているときは、それ相応のものにしかならないんだと思う。理屈を求めているうちは、とくに。・・・何となく、漸く分かった気がします。

君の熱っぽさに誠実でありたい、ただそれだけ。

No comments: