Thursday, December 30, 2010

行方

書かないと気持ちの整理がつかないから個人情報もへったくれもなしに書く。


年甲斐もなくあるひとが好きであることにようやく気づいた。誰かと付き合うということは、大体においてその人の他の人との関係をかなり限定・制限・拘束していることに無自覚になりがちだけど、お互いに罪深いことは忘れちゃいけないと思う。

レトリックが、意図が、隠喩が直喩が、酔いが醒めてからよく考えてもよく分からない。全く分からない。

最終の地下鉄を一駅乗り過ごし(乗り越し分40円払って数km歩くってどんだけ)、脱ぎたくなるような(じゃ履くなよって感じだけど、こんなに歩かない分には問題ない)自分最高ヒールの重い脚を引きずりながら、星も月も滲んで見えねーよetc毒づきつつ、勢いで友達にメールし(真摯に向き合ってくれる良き友に感謝感激)、立ちションの流れなのかテレフォンセックス中なのか、携帯で話しながら性器を握る堅気じゃなさそうな男と遭遇しつつ、帰宅。

自分にとって都合の悪い方をとってどん底ぶるのは私の常套手段なわけですが、私の被害妄想(向こう曰く、自分がずっと気があってもいざ相手がそれに気づいて来られるとダメ=これはリアルに今の私のこと)の可能性も大いにあるけど、ただ彼なりの一般論を述べているともとれなくもない・・・。ただ、私の被害妄想が妄想でないことを補強するであろうと思われる台詞や話も多く、多分だめ。ただ彼はその後、この私の予想を裏切るかと読めるようなつぶやきをしていて、しかもメールの返信が非常に何でもないかのように紳士的というか、麻木久仁子的に言えば優しい嘘なのか、ともかく、私の邪推がパーになるような感じで、まじよくわかんない。まー少なくとも7:3で私の邪推が確からしいとは思うけど。

よし、私の理解が正しいという方向(=私の想いは成就しない。気づくのが遅すぎました自業自得ね)で行くけど、結構クルわ。あー切ない切ない。格好つけて身を引いて。

男女の友情の均衡を破るとき、試されるのは己の所謂「人間性」。友達だと思っていた男友達が、みなその間にあるある種の緊張感(同性間にはない)で繋がっていたとしたら、分かっちゃいたけど何て孤独なのかしら。

そういえば、中高時代から本当に好きな人とは実ったことがない。2010年てんこ盛り、ネタばかり蓄積されていって、荒まないようにしよう。ああ。

秀逸!2









どっかから漏れたらしい上がる前の筑波のポスターが結構秀逸。微妙なのもあるけど、そういうspiritsっていうかmentality大事にしてる学校は多いはず。東大だとどうなるかな、センスないからちょっと思い浮かばないけど。公募したらいいのが出てくるはず。

Monday, December 27, 2010

作為もjudgeもなしに無心だけどたまに俯瞰して

"She just takes my breath away. She became the music. --- The beauty of her skating is, she really feels this music, is really seamless with this choreography, just looks so natural and just draws you in." (Mao Asada - 2006 SA SP)

素人目にも、浅田真央の進化っぷりが、プログラム的には未完成なれどその身のこなしにじんじん見てとれた。タラソワの作り込んだプログラムを全身で消化するというよりも、安藤美姫のようにいかにもな得点稼ぎというよりも、もはやそういう「作為」を全く感じさせない所作というか。とくに今期のEXがそう。翻って4年前のスケートアメリカの解説者のコメントがまさしく今の彼女にさらに相応しい。わざとらしさがない。書道に通じるかも。そのレベルに達するには相当の達観が必要。

自分の生活は何だ、作為だらけ、わざとらしい。がむしゃらに生きれば自己生存が何よりもの目的で、考える余裕もないと嘆くくせに、いざ感情を挟む余地を入れれば、手垢に塗れた既視感でいっぱい。すべてを超えることなんてできるんだろうか。

もうひとつ。ほぼ確実に進歩していくスケーターたち。「知識や経験なんてのは饅頭の皮」とのたまわれたかの人的には、私の面の皮は厚くなっていくばかりか。

経験ってなんだらう。できる限りひとつひとつを咀嚼し消化し臓腑に落とさせて私の血肉と、私の核となるのではなかったか。進化とも退化とも呼ばない。どちらが前?君の向いているほうが前、なんて受験生への檄文だけで結構。進化でも退化でもなくていい、蓄積による化学反応で病気が出てもいいしビョーキになったっていい。飼い犬程度の学習能力は備わっているとしてもしなくても、私がホモサピエンス、ヒト科で生きて死んでいく限り、目出度い感じでも残念な感じでも、天文学的量の中のひとつのサンプルにはなる。無様だって転落していったってお花畑的幸せだって、人間である限り特別な解釈なしに面白い。

でも、何であれ、そのひとつひとつを誇っちゃいけないし、哀れんでも後悔しても美化しても正当化しても、要するに解釈すべきでない(judgeしてはいけない)。歴史学。濃淡も優劣もない。スケートだと分からんから書道にすると、「偶然を装った作為」さえも超えた領域、確かに必然でもないのだけど、「これはこうなったのだ」「そのとき私はそう判断したのだ」ということだけ。そして今微笑むだけ。ただその絶妙なバランスが難しすぎる。


Sunday, December 26, 2010

秀逸!(小町から)

私は32才子供が二人いる結婚5年目の者です。若い頃、私の生まれた人生というのは何なんだろう?とか自分自身について知りたいと思っていました。生きることの謎、生まれたことの謎みたいな感じで。

今日、何気ない休日、洗濯物を畳んでいる私の側で子供と遊ぶ主人の横顔を見て突然気づきました。

「人生だ」と、主人に「結婚前、恋愛をしたり失恋したり、夢に向かって頑張ったり挫折したりいろいろと、生まれてから今まで経験してきたけど、その一つ一 つは人生の一部だった、でもあなたの顔を見ていたら何かその全部を感じた。すごい、あなたは私の人生だね、びっくりした」と言うと。「そうだよ、俺もだよ。長いよこれからも」と主人は笑顔でした。

私は主人と結婚して自分自身の人生を感じることができました。魔法の言葉ではないのですいませんが、今日不思議な気持ちになったのでレスさせていただきました。


言いえてすごく妙。一部でしかない、一部にもなりえないのなら、それは違うってことだ。

追伸:そこまで言い切ってしまえるお目出度さというのもひっくるめて。

Saturday, December 25, 2010

still okay

歯医者の帰りに後楽園で買おうかと思ってたけど結局何も買わない買い物。いる人間の85%(筆者の感覚調べ)が異性を連れている、さすがに日本のイヴ。人間は、日本人は、まだ大丈夫だ。


政府主導でもマスコミでも利益団体業界でも何でもいいけど、「恋人たちが一緒に過ごす日!」っていう社会的圧力がクリスマス並みに働く日を増やせば人口政策にもなるし経済もまわるんでは。ついでに国民幸福度も微増するかもw

Thursday, December 23, 2010

got a crush?

I don't know how many days I can keep, but I might get started again recording everyday life? I think I've got a kinda crush on him; a childish one, I'm pretty sure it won't come true and I'm almost giving up, though. I'm too old enough.

When I began to admit it, I got a parcel from my ex at this last, last moment and he dared to enclose a B5-sized letter with the book I lent him in it, saying almost nothing (with one kanji mistake) but ended up saying like "you're gonna be 10 times busier soon. Don't push yourself too much and good luck". Does it sound sweet? Not at all to me actually. Sarcastic! It sounds like I've been doing nothing like a leisured person, he must have been aware that I had been more than exhausted mentally and physically at deadly hectic life, though? Okay donkey, I know very well he believes that he himself is the busiest person and satisfied with it. What a naive, blessed man. I've learned literally a lot from this half a year.

I took a whole day off today (called Emperor's Birthday. Big thanks to him!), doing nothing, lying down on the bed, watching SATC on my laptop, sipping my favorite soy juice (oh you never know what it is if you're not Japanese? I'm loving it)...although I stayed at home the whole day long, somehow I feel quite refreshed. Here comes my supposed-to-be last winter vacation as a student (I do hope so) with a pile of stuffs to cram into my tiny brain for the coming finals.

I'm having a small nabe party at my place with my two cute male friends on Christmas night. (Here in Japan, stupidly, there comes a kinda social pressure on the young to stay with boy/girl friend in Christmas night, so we're having this plan!) I'm just hoping we won't all end up in grumbling why we remain single the whole holy night! I'm curious why most of my beloved male friends are single and always moan in front of me that they are but none of them eventually picks me up at all, and indeed I think nobody regards me of woman...SATC drives me to write these snobby things.

Wednesday, December 22, 2010

ざくっと考えてることも含めて近況報告

実に実に久方ぶりにここに向かう覚悟と余裕ができた、のかあるいはもはや迫りくる年の瀬の重苦しさとけたたましさに耐え切れなくなった筆者がただ惰性で免罪符代わりに座るのかは定かではなく、おそらく読者の皆様(なモンいるかと合いの手を入れるのが日本的ないし筆者的謙遜フォームに思いきや、記録上はコンスタントに訪れてくださる方がいるので)が一番ご存知かも。

事実からシンプルに書こう。9,10月自らに課したオーバーワークにより慢性的体調不良(体重減少、窶れ、抜け毛)を招き、雪崩的に遂行した被告人との逃避行+仏語学1ヶ月留学(ホームステイ、バラ珍再会s)は色々ありーの、回避放棄した憲法2部と日本政治外交史の追試を極限的精神状況で受けて(前者の勉強時間当日朝3時間)教授らの寛大な恩赦により通過、帰国後は労働量を緩め普通に朝から夕方まで授業に出てノートを取るという生活、今外から聞こえるのは「火の用心」。

私は愛を知らない。この至上命題の克服に全精力を費やした時期が幾度かあったけど、疲れたので無期限休憩。オーバーワークの後から自分の顔が変わったように思う。目が硬くなった。物理的に「固い」のかどうかまで分からんが、写真なんかで見た感じ硬い。光栄にも(!)あの勝間和代に似ていると言われる昨今はただ正直な反応なのかも。かつて会う人殆どに仲間由紀恵と呼ばれた中高時代はいずこ(笑)問題はそれが肉体的なものによるのか精神的なものによるのかということ。精神的なものであれば以前の状態に戻るのは至難の業。危機。まあ、そもそも○紅パリ支店の有名人に「お前は核がない」呼ばわりの栄誉を受けた身に危機を生じさせる「モト」もあるのかという突っ込みも。(に対して「核廃絶運動」したらと言ってくれる友達に(数ヶ月前から)胸キュンなんだけどw、私の片思いは絶対に実らないことになっているのでその前提で行きまする・・・ただ女友達曰く、私が「女の眼差し」を封じ込めてしまうのがその要因のひとつだと。「(あなたは男友達よ)」という目線を無理して貫いてたら相手にいくら気持ちがあったって実るモンも実らんと。もっともらしいっすね。でもさぁ、たまぁに(たまにですよ、たまに)男友達に男の目線を向けられると(やっべぇ)と思って本能的に変えちゃうんだよね。「(あなたのことはなんとも思ってないのよ、私なんかにそんな気起こされたら気色悪いだけでしょ、良かったね)」目線に。必死な自己防御ね。これだからお一人様は自明だわ。→閑話休題)


括弧内で脱線したからそのまま脱線が伏線だったことにします。未婚率、とくに30代前半男性のが高いのは非正規雇用が~とかバブル崩壊後の~とか無縁社会で~っていう耳タコ説明を今更さも新しいかのように有難がって拝聴する輩多し。間違いじゃないし、そういう要素ももちろん多分にあるだろうが、違うっすよ。発言小町と2chを御覧なさいよ、希望学者やアタマ左・財布右(named by井上センセー)の政治屋ども。恋愛結婚至上主義とそれこそ近代化都市化に伴う共同体的人間関係の希薄化(=おせっかいおばさんの消滅)という時代の流れに沿って、結婚がいつしか、少なくとも一人のまったき他者を愛し愛され共同生活を営める「素晴らしき」人間性の証明、ギャランティーになってから、そのハードルの高さに慄く屈折者の怖気づき諦念が拍車をかけたのだよ。派遣で安月給でも幸せな家庭を築けている奴らは絶対結構いる。高収入で自立しながら結婚を望む男女が婚活市場の餌食になって犠牲になって挙句に「人間失格」の烙印を押され(自分でもその「押す」作業を時には手伝いさえもするような、ある視点からは卑屈で、良く言えば謙虚な人たちだと思う)市場から締め出されている。


無償の、何の見返りも求めない「正しい」愛の形を自分も一度は経験or踏襲してみないと、人間としてどうかと・・・という思考は既に自分の人間性判定テストという究極の自己中に支えられてる。だから多分無理。永遠に無理。これが今のワタシ。客観的に見て愛し愛されてますね的関係性に例え身を置いたとしても「自分は幸せだ」という何の他意もなさそうな(単純にI am happyというだけのこと)感情が、「だから何なのだ」という自主的突込みに対して、それだけシンプルにはいられない。「だから・・・?良かったなと思って」「何が良かったの」「こういう状況にある自分が」という論法?謙虚さが引っ繰り返ってワタシったら元々御目出度いのよって開き直ったら尚のこと。


こうやって核なし人間は、いかにも核のなさそうな、生まれなさそうな素地を既成事実化していくのであります。


人生は選択と決断の連続。ある可能性を排除して、ある可能性を呼び込む、不断の営み。それを嬉々としてやる人間(仮に「ビジネススクール型人間」とする)には、とりあえず己のチョイスに結果的には満足(というか、だってそれ以外の道を採りえなかったのだから歴史的ifとしての比較はありえない)しつつも、いちいちそこに躊躇と留保を「知的営為」だとして付与していく人間(仮にこれを、東大法学部第三類に多いけど、その中から国際関係論大好きグループを思いっきり除いた、残った彼らのことを、「アクチュアルなものには慎重に型人間」とでも呼びましょうか。筆者はここに入るのかなぁ)の思考回路などに心からの共感はできまいよ、なぜならその逆も然りだからだよ、というのはお粗末様すぎるかなぁ。


そんなもんだから、クリスマスはシングルベールで独男らと世のカップル観察という予定。みーんな自分が大好き。キリストも究極のエゴイストだったように、我々みーんな自分大好き。だから世の中成り立つ。メリークリスマスin advance(笑)

p.s. 夜更かし久しぶり。明朝バイトないんだもん。で私の淡い恋心再び散る(笑)喋ってるときから賢い人だと思ってたけど(頭のいい人に魅かれる)fbとtwitterで見つけちゃって本当に頭がいいことを確認した。駄目なんだ、自分よりアタマがいいと恐れ慄いて身を引く、悪けりゃ失望して尊敬できない。久しぶりかも、こういうの。viva 高校生w

Saturday, October 2, 2010

疲れた

One of the millions of comments on YouTube which has a sore spot for me (via facebook);

"For a long time I was sitting around not doing shit with my life at all, just going on the same merry go round of bullshit but you know what you gotta take responsibility for the choices you make. Don't let the days of your life pass you by"

Tuesday, September 21, 2010

ショックだったのは

人生で一番労働し続けてみたら人生で一番BMI指数的に痩せた!けど、運動して鍛えているわけではないので(ああ御殿下)引き締まりなし(涙)。分かっててやってみてるわけだけど、時間とお金が欲しいです神様。人生が恐ろしいスピードで過ぎてく。

mixi経由で高校の同級生が結婚する&したということを知り。私の買いかぶりに過ぎたのやもしれないけれど、彼女は得意すぎる教科がなきにせよ、全教科がこの上なく満遍なくバランス良くお出来になって(やれば関東国立文系ならT大もH大も行けたと思う)、特に特別顔立ちが整っているわけでもスタイルが抜群なわけでもなかったけれど、新体操とかピアノをやっていた時期があったこともあってかオーラがあるというか、朗らかな感じで人当たりがよく、もてたわけではなさそうだしある種苦手意識を彼女に対して抱いていた人もいたらしいけど、私は一種憧れというか非常に高く評価していて、将来が楽しみだとか勝手に思っていた。惜しまれてどういうわけか北関東の国立大学に行ったわけだけど、就職はせずにダイレクトに結婚して本州最北端に転勤族の旦那に付いて引っ越すと。いいんです、結婚も、引越しも。ここは全然問題じゃなくて、素晴らしい。本当におめでたい。ただ、実にショックだったのが、高校卒業後から(正確に言うと2年でクラスが一緒になったきりそれ以降)全く連絡を取っていなくて、姿かたちを見かけたことさえなかったわけだけれど、だからあくまでもネット上でのちら見にしか過ぎないんだけど、私の期待値のベクトルがめっちゃくちゃ違う方向に飛んでいたというか、平たく言うと、お読みになってる本も含めて本当に御目出度い感じに成長されていて、それがはちゃめちゃにショックだった。ついでに言うと、高校時代にこれまたある程度高く評価していた男の子もそんな感じで、北関東T大学恐るべしというか、まあ逆から見れば私がそうなのか、月日の確実な流れと、高校時代との断絶、当時の私の幻想と分かっちゃいたけど人望のなさ(それは今でも変わらないけど)etcが現前に分かっているのに現れてきて、色々ひっくるめてショックだった。まあ、ここの読者は分かると思うけど、これは彼・彼女らに対する非難なんかじゃ全くなくて、私自身に向けてなので、その辺誤解なきよう。独女が僻みっぽく聞こえずに他人の幸せを祈るって難しいんだけど、本当にご本人たちが幸せならそれが何よりだと思うし、私なんかよりよほど幸せになって欲しいと思うんだけど、ショックだった。高校時代、私が彼女に見出していたオーラがなくなっていた。私には見えなくなったんだろうか。

Saturday, September 18, 2010

聴力低下中?

最近10時間労働。は、いいとして、2年くらい前から低下しつつある聴力が最近さらに怪しい。コンビニで客の言葉を必ず聞き返さないと分からない。煙草の銘柄には詳しくないから聴力ではなく理解力に原因があると思っていたけど、ファストフードの注文名も1度で聞き取れない。固有名詞じゃなくて1つとか3つとかという数詞でさえ。1つと言われているのに、3つとしか聞き取れなくて3つ用意していたら怒られるとかざら。夜の料理屋でも客がはっきり言わないとダメ。これは就活中からだったけど、OBG訪問で1対1でも客入りの普通のレストランで酷い場合は相手の言っていることの半分も聞き取れず、最初は聞き返していたものの目上の人に失礼だと思って、ひたすら頷くとか当たり障りのない応答をしていたら話が弾むわけもなく・・・ってのを何回も繰り返したなぁ。バークレーのバーで超騒音の中で周り全員ネイティヴで分からないのは英語力のせいかと思ったけど、あれは日本語でも半分も分からない気が。うるさい飲み会だとほぼ分からないからますます孤立モード。そういえば今学期、政治学史の良枝ちゃんの言っていることが前のほうの席でも聞き取れなくてリタイヤした。1対1で話していても聞き返すことが多くなった。相手がいらつくのが分かるから遠慮するけど、そうすると適当な応答しかできず頭が悪いか意地が悪いかって感じに思われがち(実際そうなんだけどw)。ネットで難聴をググると色々厄介らしく、補聴器を付ければ済む問題でもないらしいが、最近特にバイト関係人間関係で迷惑をかけ始めている気がするのでどうしましょって感じ。テレビもない、音楽も聴かない生活の罰が当たったか(笑)

Thursday, September 9, 2010

funny articles

Burn Before Reading - What's the best way to set fire to a book?

We Didn't Start the Fire - You aren't responsible for Quran burners. Don't hold Muslims responsible for 9/11.

- 9/11 is coming anyway this year too. The would-be burner seems supposed to burn in the end, but this does not really matter to me, almost to nobody and to all Muslims in the world. So, let me call all the Muslims in the world (in this tiny and unknown personal blog!) to be matured enough not to care about them and just to ignore it. Just appreciate what the would-be burner claims, as he gives us a chance again and again to think of these issues lying above us. Or, this is just going to provide a good material to be studied for so-called Middle Eastern Studies scholars.

Oh, I do not agree all they are saying in the articles above, but I just found some parts of them a bit funny.

Wednesday, September 8, 2010

報告書

 日本の若者の内向化が著しいと叫ばれて久しいが、日本の新卒就職活動文化や「入院」と揶揄される文系の大学院進学への忌避感、奨学金制度の不備など一朝一夕に改善できるわけではない社会的な諸問題を考えれば、後期教養学部や工学部などを除いて他に大学が公式に学部生を海外大学に送り出す制度をもたない(日本の最高高等教育機関とされている)東京大学の、この全学部生に開かれた唯一の短期交換留学制度であるIARU GSPは、授業料分の経済的援助を含めて評価されて然るべきだと思われるし、また私自身も非常に感謝している。以下、私が参加したカリフォルニア大学バークレー校における"Media Culture and Society in the Middle East"のセッションについて述べる。

・セッション自体について
 私自身一年間アラブ地域に留学していたこと、イスラームやいわゆる中東学について個人的な興味が強く、ある一定程度の知識と経験を有していたことや思想の偏向等が影響するのかどうか定かではないが、講義の内容、質、レベルとしては日本で言うカルチャーセンターないし教養番組のそれに留まり、仮に講義が私の母語である日本語で展開されていたならば、何人かの学生のように授業中ネットサーフィンに甘んじていたかも知れない。しかし、オックスフォードのPh.D candidateであるメインの講師や、その他華々しい経歴をCV上において持っているその他のゲスト講師の実際を含めて、アメリカ(ないし英語圏)の大学学部教育やアメリカの中東学のあり方の一端を垣間見ることができたことが、当初からの目的でもあったが何よりの収穫で、「聞いて理解して考え自分の意見を持つ」という段階まではおそらく相対的にも満足に達成できたことが今後の自分の将来に積極的な意味を持つことは間違いない。ただ、ネイティブ英語話者であるクラスメートらとのグループワークでは、議論の内容はほぼ理解できても、英語圏在住経験がなく、英語のスピーキング能力の向上に尽力してきたわけでもない私にとって、自分の持つ意見をそのまま伝達することは非常に困難であったし、そもそも(おそらく日本語文化と英語文化における)問いの立て方や思考回路の相違によっても、それに対して不慣れであると自身の思考力がかなり規定されることにフラストレーションを感じたが、これもある程度の慣れと努力があればそれなりに向上されるだろうという見通しが立ったことは非常に有意義だった。

・セッション外について
 多様なバックグラウンドを持ち、必ずしもネイティブ英語話者ではない大量の学生に対しての支援体勢はさすがアメリカと言うべきであった。バークレーの学生含め、IARUから派遣された学生を中心に交流を深められたことが何にもまして貴重であったと言える。

Monday, September 6, 2010

来る冬学期の背水の陣の背水っぷりを

自主的に高めようとしている私なんかを放校にしない(実際放校にできるのはあと2年でしたか、あと2年も居られるほど肝据わってないゆえにどこかで勉強してしまうのは確実)という点のみで、アングロサクソンの連中が作る大学ランキングにおける東大の評価のされ方は妥当ないし過剰なのかも。

冬学期必修2つ(8単位)+14単位くらい必要になりそう=夏学期単位として出る結果ほぼなし。1つのことしかできないこの不器用人間(でorが「いい」と思ってるんだから世話ない)としてはそれなりの人生の課題を一つずつ片付けていたわけだからnothingではなかったにしても、ああ自己嫌悪をどこかで切り替えないと何も生まない。

現実的に、去年舐めてかかり普通に不可った労働法、去年ひよって受けなかったアジ政、なぜか毎年ちょっとは勉強するのに受けずに過ぎてきた刑法一部・・・だけでもそれぞれ4単位だから計12単位。1から始めるわけではなしにどうにかなるはず。

卒業式棚ぼたな感じないし勝ち取りましたなテンションで迎えるために、10月11月再び海外逃亡するけれどもちゃんと頑張る。以上!・・・宣誓しちゃったよ。

Sunday, September 5, 2010

what am I waiting for?

I am definitely waiting for that the time just passes. I keenly feel like that especially after turning twenty. Not for that the hot one shows up to me - putting the current one aside - nor traveling abroad after the nasty finals nor graduating nor starting a job nor doing a big thing in the future nor...

Holding a reunion is nice. Get to know people, say good-bye to them saying "let's keep in touch", and say sometimes hi to each of them saying also "miss you" (by the way Japanese does not have an equivalent phrase to "miss s.o." thus they never say that at least in Japanese, but as far as I know English, French and Arabic speaking people do a lot) , whether or not they really miss him/her. Each of us is busy at dealing with everyday stuffs, meanly, living our own lives. No one cannot live your own life instead of you, which is a crucial fact but easily sometimes overlooked. Who cares? Of course he does, she does and they do, (they definitely say "congratulation" to your birthday, to your graduation or to your wedding, but who really matters to your life? A very few of them do or no one else actually does eventually. The thing is how we can manage to bear this unbearable, ultimate and long-lasting - till literally the end of the life - solitude, but still we need someone to be related with each of us and involved in our own each lives, which is pretty hard for most of us actually, even if s/he has a millions of facebook friends and is very good at networking though. Then, let's say, on behalf of nobodies, I am waiting for that something which gets me involved with more people in a more depth, excites me and thrills me happens but I know nothing will actually happen to me, who is one of the nobodies in the world, however, the problem is that I am still hoping then I seem to be waiting for something, but I am doing nothing in the end, although I know I cannot dare take the others' credits and I am not a good person to be satisfied with the others' happiness; my ego is big enough to be beyond my control.

Seems I am really good at waiting for the time passes and becoming sentimental, saying "how time flies" whenever possible. Was not it me who have wanted the time to pass quickly?

- Dear readers, forget this nonsense, incoherent post! No comment! I do not want to look back on what I have been thinking either, but this nobody posts this just because she wrote; an accumulation of nothing :)

Wednesday, September 1, 2010

getting out of the reality - the finals

http://www.economist.com/node/16793342/comments

The funny thing here in these comments is, which is kind of quite often observed though, that in spite of the fact that SamB88 does not mention at all what he believes in or where he lives now at least in this article (he might do in the other articles), MuslimMan below SamB88's comment is somehow pretty sure that SamB88 is Christian and lives in somewhere of the so-called "Islamic land". What SamB88 says could be somewhat true and might be able to applied to certain kinds of people (we can easily find so many articles written in Arabic by Arab-Muslims that warn them, Muslims, not to repeat "the theatrical swoons; the quavering boasts; the exaggerated piety", which even could be seemed as one of typical jokes at this time of the year in Arab region), but I really miss those who I know are spending "nicely" their Ramadan.

Wednesday, August 25, 2010

orthodontia

To straighten out my teeth, I finally had 4 teeth(next to canines) removed yesterday! (What am I doing just before the exams?!) Compared to pulling out wisdom teeth and its nightmare aftermath, it was nothing! It will take more than a year and a half to complete it, but I think I can "grit my teeth" and stick it out. I will pay for the expenses (around $8,000) with my next-year summer bonus...

(I was almost writing "Go a brave girl!" but realized that I would be no longer a girl but a woman in terms of age...gee)

Sunday, August 22, 2010

procrastinating over studying for the coming exams...

http://www.bbc.co.uk/news/business-10723034

-Although ethanol often suits me, I do not think my cosmetics include any animal. I wonder what kind of make-up tools they use!
-Totally depends on person, culture and region, but practicing Muslim women in Kuwait and Syria, as far as I know, never make them up outside but do (a lot!) inside of house. I do never so much either outside or inside, just a sun block cream, though.
-Are not things and affairs concerning Islam getting more exploited by Capitalism, in the name of Islam or halal, whatever? See also here (http://news.bbc.co.uk/2/hi/programmes/fast_track/8901976.stm). The comments below the article are interesting.

...I do not know why I am so used to procrastinate about everything by the last moment :(

Thursday, August 19, 2010

12度から35度超の気温差

に堪え、ついてきたと思っていた体力は幻だったということ。ああ試験試験・・・ここ数日で面白かったこと:

・東武線で実家から帰るときそれに乗らなきゃ夜のバイトに間に合わない区間快速の電車が、ホームから1mほど既に発車していたにもかかわらず、へこむ私を見て(?)再度止まって開けてくれたこと。ありえない。いくら田舎だろうと、ありえない。

・(辞めたい)バイト先の料理屋にフランス語しか解さないフランス人突如来店。デモクラシーについては語れても、南瓜とか海老とか食品の名前フランス語で知らんよー。でもあとは大体会話が成り立ったので一安心。これもなかなかありえない。

Tuesday, August 17, 2010

帰国便機内でのランダムノート

austere---この形容詞に出会ったことが幸か不幸か今までなかった。買いかぶりに過ぎるのやも知れないが、純粋無垢でイノセントに大きな瞳をきらきらさせて笑う英国人とシンガポール系中国人のハーフの若干20歳の少年が、最終日に初めてまともに化粧をして日本でいう(ちょっといいところに行く)デート装い程度に繕った私を朝一番に見て、本気で驚いて、その日ほぼ一日中近くにいれば私をじーーーっと見ているものだから、どこまでこのいい男になりそうなこの男の子は”男の子”なのだと笑わせさえしたけれど、さんざん言葉を選んだ挙句、「austereなくらい綺麗だ・・・つまり、洗練されてるとか・・・うーん、とにかくaustereなくらいだ」って。

その彼の言葉を裏切らずに生きていけるだろうか。自惚れに過ぎると言われようが、分かる人に分かれば良い。ただし、balanced critical mindで。自分に対しても他人に対しても。全き他者による自己肯定ほど力強いものはなく。

だけど、私は誰に分かってほしいんだろう。物理と哲学の最強ダブルメジャーで、人生とかユニバースについて若干20歳には思えない落ち着きと確信を持って、(どうでもいいけどちなみに萌える)オーストラリアアクセントでぼそぼそと話す彼のような人に少なくとも「分かって」もらえた、のは、今の私の在り方にとりあえず途轍もないゴーサインが出されたに等しく。私が今までどのように生きて、今何を考え、誰を愛し、誰に愛されているかetcが、私の顔に全て滲み出ているか、体現しているとしたら・・・なおさら、この絶妙な姿勢やバランスをいつ崩すかという懸念。

彼にはずっと私の定点観測でいて欲しい。人も時代も動いていく中で、どう変わろうとその人の定点を信用できる足る友情とか信頼とか、そもそもそれを信用できる自分の軸足や関係性がすごく素敵かも。



この私という人の肉体と精神で、与えられた時間をどのようにデザインしたりアレンジしたりすると、この人自身やこの人の眼に映る人々や物ものが幸せでいられるのか。何にどう優先順位をつけるのか。まだ振り子のようにمتراجعな私のvaluesやaxisの一端を再度引き摺り出そうとしたアメリカという国、ブリリアントな世界からの若者たちとの、いわゆる中東学。


知識の上で特に得るものはなかった。「アメリカ流」なのか「その人流」なのかケースバイケースではあろうが、少なくともその「その人流」をそのアメリカが支持ないし許しているという様々な点に度肝を抜かれ。

おそらくこの国の5本の指に入る大学でもやっていけるのだろうという可能性とか自信だとかはこの後どう処理すればいいのだろうか。

ムスリムの今後の最大の戦法は人口増加。存在と非存在(消滅)との極限的なアイデンティティーの葛藤は留保なく正当化されてよいとしたら、私のこの便利な 日本国籍のパスポートは拠り所としての最後の牙を剥くことになるのか。それとも、そんなものを超越して全人類を愛するために自己犠牲を払うことなど本当に できるのだろうか。

何もしない勇気も見上げたものだけれど、とりあえず今は死ぬほど何かをしてよい時期のような気がする。良くも悪くも自分はまだ若いらしい。

・・・まことに縁は異なもの味なもの。Inscrutable and interesting are the ways people are brought together...

今後のスローゲンに加えようかな、「静かに語れ、朗らかに笑え」

より多様な多くの人と出会い、一つ一つの生に真摯に向き合おうとすれば、自分がどう生きたくてそうでないのか自ずと炙り出されてくるのではなかろうかと、眩しく輝く人らを見てそう思う。最後の講義で私の眠っていた生存本能に火が点いた。

Saturday, July 17, 2010

5.6.7月私は何をしていたのか

書面上分かりやすいことから捌いていこう---梅雨明け宣言が無事になされた全国的に夏休み初日の午後、七夕の日にまさかの奇跡の23年モノエアコンの交換をしてもらったので生存可能な、西日の超当たるアパートのカーテンを閉め切って・・・って7月17日に書き始めてペンディング。

大学の健康診断の結果、身長159.1cm 体重45.3kg BMI17.9 血圧84/50mmHg 脈拍53bpm。商社体力(?)を付けるため、社会経験を身につけるため、5:30-9:00のコンビニのバイト(週3)と19:00-22:00の料理屋のバイト(週5)を入れたら(プラス、そこにたまに医学部でのデータ入力バイト)、猛スピードで日々が過ぎていきましたとさ。

超多忙だった高校生のときなんかは、「時間は作るもの」とか言って優等生してたけど、もはや「ないものはない」状態。それなりに学んだこともありーので、質的に薄くても量的に一杯一杯ながむしゃらdaysってやつでしたかな。

あとは親不知がまた噴火したのをきっかけにとうとう抜歯して、これになんだかんだで数週間苦しめられたり、歯科矯正の歯医者探しやら検査やら見積もりとか、あと汗疹ができてアトピーの悪化かとおたおたしたときもありましたね。

この3ヶ月をさらっと総括すると「どこか冷めつつも恋は盲目」ってのと、目下のsocializationはsnobby化であると位置づけて。傍から見るとおめでたい感じに仕上がってるかも。

Friday, May 28, 2010

結構好きだったりするように

人生ってまじ色々。でも自分のスタイルや好みって根本はもうあまり動きそうにない。しかもそれでいいことにする。自分がいいと思う方向に。人生色々ですね、くらいの価値相対主義くらい絶対であって欲しいのよ。

Friday, May 21, 2010

弟が一眼レフを買ったので

田んぼ@大利根(5月初旬)


だんだん坂@日暮里


祖父母家


路地裏稲荷


愛猫にゃーこ


田んぼ@大利根


愛犬ミニー


愛犬クー

Thursday, May 20, 2010

autant de manières de la vie

La nuit dernière, je ne dormais pas tout à fait pour la première fois, non pas parce que je devais, mais simplement parce que Ghazali était tellement intéressant que je ne pouvais pas arrêter de le lire. Une autre raison est que je voulais essayer si j'étais capable de rester toute la nuit. Si je n'étais pas, je ne serai pas capable de travailler à Shousha l'année prochaine!

J'ai commencé à travailler au restaurant japonais d'aujourd'hui. Aucun visiteur venu, mais je peux gagner ¥ 1000 (11 $) pour une heure. Je viens de parler avec la maîtresse pendant trois heures. J'ai appris qu'il ya autant de manières de la vie. Il est bon d'apprendre à connaître ceux qui y viennent. Je ne dis pas qu'il est un abrégé de la société, mais certains types de personnes y vivent.

Quel impitoyable !

Je ne pouvais m'empêcher de le reconnaître rapidité de temps par qui j’ai rencontrée mes amies du lycée après une longue séparation aujourd’hui. Le visage est un curriculum vitǽ. Suis-je responsable de mon visage ? Dans mon cas, ne pas produit-le bonheur seulement arrogance?

Tuesday, May 18, 2010

ce ne se reproduira plus...

J'ai trouvée un chou à la crème emballés tombé sur le sol devant un supermarché d'aujourd'hui. Il ya eu une vente au rabais pour les choux à la crème de ¥ 77 au supermarché. Il doit avoir été acheté et est tombée par quelqu'un qui était impatient d'y manger à la maison. Quel dommage! Bien sûr, il était délicieux. Ce ne se reproduira plus.

Monday, May 17, 2010

不倫は文化だ

と言ったかの人を称えたい。不倫が文化であるという人ならほとんど全てが食も文化だと認めるだろうから。然るに本当に不倫が文化だと心から言う人にとっては、その文化(不倫と食)に差異はなく、同様に素晴らしい文化だと言うだろうから。

まあ、「ユ」とか「イ」で始まる宗教の人たちさ(特に後者)。大学の食堂で納豆にハラールって書いてある。書いてあれば(信用できると彼らが判断する人たちがそう言えば)食うんだよな。自分で判断しろよ、自分の食い物くらい。他人の物差し(まあ、彼らの戒律のほぼ全てが自分でない明らかに「他」のものの物差しであるわけだが)でしか食っていいのかいけないのか決められないのって幼稚に思われるけど、彼らにとってはそうじゃないのはよく知ってる。都合がいいと増えるんですよ、信徒は。

日本食を好む人全てが日本を理解している(よく知る)わけではないのは確かだが、日本を少なくとも理解したいと思って来日しその国で勉強しようと思っている人たちの中で、決して日本食を口にしないグループはそうでないグループに比べてその理解度合いにおいて何も劣らないのだろうか。何も劣らないとしたら、我々人間にとって食とは何であるのか。異教徒に否定され価値を減じられるようなものばかり食っておる汚い人間(まあそもそも彼らにとって人間として同等ではないだろうけれど)が喚いても仕方ないのだが。

アラブ料理に一口も手をつけないけれどもアラビア語が達者でアラブについてよく知っている人って、アラブ料理をこよなく愛してアラビア語が達者でアラブについてよく知っている人より劣らないのかしら。ま、この世のこんなちっぽけなことなんて、彼らにとってはどうでもいいのだろうけど、まともに相手してるとたまに嫌になる。

Ce que je pense ces jours-ci

Je suis autorisée à m'habituer à ne pas avoir peur d'être heureuse.

Sunday, May 16, 2010

الجملة التي أحبها مؤخراً

لكدورة المعاصي والخبث الذي يتراكم على وجه القلب من كثرة الشهوات, فإن ذلك بمنع صفاء القلب وجلاءه ويمتنع ظهور الحق فيه لظلمته وتراكمه... ص16 إحياء علوم الدين\جزء الثالث\ كتاب شرح عجائب القلب\محمد الغزالي

どんどん溜まってく・・・荒んでく・・・そしてあったはずの真実とやらも開花することなく。自己流解釈ですが。思い当たる節が今後増えないといいのですが。宿命ですかね。


Friday, May 14, 2010

俯瞰ちゃんたち

ホーム(先端研13号館)における、その「ホームさ」を知っている人びとの小さな集いほど、ラクに、コンフォータブルに、見知った人びとの見知った思考様式で、ベースとか足跡を確認するのに愉しいものはなく。それを傷の舐め合いと呼んでも癒しと呼んでも別段変わりはないとしても。

別に体調は無問題なのにビール500mlとワイン1杯でほろ酔うワタシって。休肝休肝と言っていると弱くなるのか、はたまた気合を入れずに済むホームのなせる業か。

帰りに理系のキレる君と話していて気づいたこと少し(彼の切り返しの上手さは全く錆びてない)。私は何人かご意見番みたいなのを雇っていて(賃金を支払っているわけじゃなくて、「飼っている」)、彼は中学生の彼を飼っているらしい。「お前何がそんなに面白いの?(研究等に対して)」とか言ってくるという。私の中学生はいつも「危なっかしいなー」と言ってくるんだが、でもその危なっかしさに魅かれるオトコもこの世にはいるなどと、「危なっかしさ」を否定したいのか肯定したいのか、「ステディー」さを求めたいのかそうでないのか分からん発言もする。

他に私が飼っているのは、自称「一般人代表者」。多分、先生も言ったけども、東大(文系あるいは特に法学部)生の自意識過剰さ(=世間への気負い、後ろめたさ、罪悪感etc)に関連してる。そいつが言うのは例えば、生活能力がない(お前は何もできない!の件)とか、世間を知らないとか、本物の愛も知らない!とか。(ナニ、本物の愛?とか突っ込みなしで、要は中学時代の同級生が高卒後真面目に働いてちゃちゃっと結婚してぽこぽこ子ども生んでターンとマイホーム田舎に作って、という件。これに関してはこれらのステージを全部クリアするまで言われ続ける)志向(思考)が内向きになると、こいつがよう喋る。

他に飼っているのは、「俯瞰ちゃん」。何でも、何時でも、何処でも、私を俯瞰する(斜め上空45度くらいからか)。例えば(あくまでもフィクション、例ですが)、恋人とハイ、盛り上がってるよー、抱き締め合って、ハイ、キスするよー云々なときも、実況中継して解説まで入れやがる。常に、だ。「え、いいの、そいつでいいの?後戻りできなくなるよー、そいつの何が好きで状況に流されてんの、そもそもそいつはお前の何を知って甘言ほざいてるワケ?寂しい?人肌恋しい?そんなにお前安かったのかよ」etc・・・みたいな口利くこともあるし、「ふむ主人公(=私)が愛だと思っているシロモノは愛なんかではありませんね、ね、解説の佐藤さんいかがですか」「主人公には愛などを享受する資格はありましたかね、ま、そもそも彼女は愛を認識できている自分に惚れているわけですから、放っておきましょう」みたいなのも。だから「盲目」とか「没頭」とかとかくありえなくなっている。だーかーらー、感情に流されたいときも、実際流されたときも、どっちにしても俯瞰ちゃんがグダグダ言うのよ。皆さん程度や人数の差こそあれ、飼ってると思うけど、私の場合は結構五月蝿い。


キレる君曰くそれでいいらしい。もう致し方ない。ポスドクになって一段落した先輩、10個上のポスドクの女の人と会ってちゃちゃっと結婚決めちゃった。素晴らしき哉、割り切り。ここまでいくと賞賛絶賛。


基本に戻ろう。一般人代表、俯瞰ちゃん、中学生、一同黙れ!

20代(延ばしても35まで)にしたいこと:初期23-25(良き社会人(=学生の心を忘れない)になる・まともに仕事がある程度できるようになる・長期海外出張も任される)/中期26-28(機会あらば海外研修生とかやったり、細々と院留学の社内選抜に手を挙げ続ける)/後期29-30(30手前で危険地赴任or留学とか)・・・このどっかで(どこでー??)結婚する、最低1人私に連なるヒトを生んで新境地開拓。(人生こんなふうには絶対に進まないから、あえてアホらしく宣言する)


私の相手が務まり、かつ私が相手の相手を務められる、ヒト科の精子を有する男,who(これは非限定関係代名詞)その人との関係性において私の俯瞰ちゃんの勢力後退させられる。これしかない。これでいいのだ。うむ。そういうのがいたらくっつく。いなかったら別に。それでいーのだ。

婚活パーティーなるものの現場視察報告は書く気があったら、後ほど。ああ、飲むと眠れない人だよ。

p.s.栃木県大田原市の公費補助での子宮頸がん小6女子への集団接種。政策としてはブラボー!ではあるけど、ワクチン打ってこれでいつでも貞操奪われてok!と準備万端で結局・・・(略)・・・に終わる子はこの中で一体何人。ていうか、私がこの小6なら俯瞰ちゃんは「お前笑っちゃうなー、大人になったら誰でも誰かに愛されるとでも思ってんのー?あんた(=私)には要らないよー」とか言いそう。どんだけブラックって突っ込みなしで。

Tuesday, May 11, 2010

ああ ああ ああ

シューカツで嫌々ながらも自分の「強み」だとかを云々するときに、「行動力」というものを掲げてしまっていたりしたわけなんだけれど、ここ数日思ったのは、今まで自分が客観的に行動力を発揮するのは、プラグマティックなリスクはあっても、感情的個人的(に自分を傷つける)リスクがないときだった。日頃、合理性とか割り切れるものに対して忌避感を持っていたくせに、感受性が云々していたくせに、自分の感受性も碌に対処できない――というか、感受性も錆々。感情で動くか理性で動くかっていう二極論は罷り通らないのを承知で、どっちに比重をおくか(って考えている時点で理性派なわけだが)となると、人生ここ一番大事なところは感情を優先すべきなんだろう。どんなヘマも落ち込みも人生の肥やしにはしていきたい覚悟はあるけれど、「どんな」(すべて)でもないんだろうな。(リスクをとることに対して)臆病だな自分、(自分の感情に自信を持てないことに対して)小心者的に慎重だな自分etc言いつつ、自分の本能というもの(があるという前提で)との折り合いをグダグダ考えることが、かつて自分がよく云々していたバランス感覚というのだとしたら、私はやはり私の憧れていた天才でも奇人でも変人でも強く逞しい凡人でさえもないということが最近よく分かった。

Sunday, May 9, 2010

大丈夫か最近この人

最近学問的にはほとんど実がない。私の知的好奇心どこいった?やっぱり人間落ち着くとこに落ち着くもんかね。神様が間違っても院に進ませないで本当に良かったかも。あー、それにしても中学生かよ、自分。こういう類の感情の起伏は避けてきたのに、足突っ込もうと。あと、超近所の和食料理屋でバイトし始める感じ。勉強とかややどうでもよくて、バリバリじゃないけどパリパリくらいで働いて結婚とか出産とかして、人がやっていることを一通り20代でやって経験積んで、考えたい。そんな今日この頃。大丈夫だろうか、この人。どこに行くんだろうか。

Tuesday, May 4, 2010

the most thing I was shocked at this week

Having attended my grand father's 49th day of commemoration, I have got to know that his youngest sister's husband, who I had believed should have been in his late 60's, was actually 82 years old! I have heard that he has been already retired from his job of teaching (prof of engineering I guess) at university, but I am sure no one doubts he has been. His appearance is now a kind of fraud. My mom said it might be because that his wife (my grand father's sister) is younger than him by almost 20 years, which keeps him much younger than his real age. I wonder if I get married to someone younger than me by 10 or 20 years old and I could keep myself mentally and physically young. Oh 'he' has not been born yet on the earth, maybe?

Another thing I was shocked at yesterday was that nothing appeared for several minutes as titles on the screen of NHK's late news show! I know the society of Japan has stopped functioning in this G.W.,but there must be something to put on the screen, isn't there, NHK?

p.s. I did it! I weighted myself today for the first time in these 3 months, and I found my weight 46kg (when I got back to Japan 8 months ago; it was 52kg) and my body fat ratio 22% (28%)! They are completely the same as those before going to Kuwait. I do not hope I have lost any other thing I gained there except for weights, though.

Sunday, May 2, 2010

ばばびびぶぶべべ

ビビビとか運命って、大学受験のときとシリア移住のときの直感が最強でわかりやすく結果間違いがなかった。他にも結果的に「こうではないはず」系の確信も正しいと思われたことが何回かあったけど、現在進行形の出来事ってそんなにわかりやすいことはむしろ少数かも。思い込みも時には重要で、何らかの才能を持っている人ってのは(ちゃらい芸能人も含めて)ここぞという時点で思い込みと思い切り(=思考停止、疑問放棄)がうまくできるってことでもある。まあ、何でも経験は必要で。鍛えましょう。

(あくまでも)知り合いから聞いた話

【怒りとか全くではなくて、腸が煮えくり返っていて収集がつかないので、ここに吐き出す。理屈じゃ分かっていても、感情的に受け入れられないことのほうが世の中には多いもかもで。

ただのス○ーカーならまだいい。でもある特定の宗教徒のス○ーカーとか、本当に止めてくれって感じだ。精神的に参る。ス○ーカーって空気が読めないからそもそもス○ーカーするわけだけど、いい加減に気づいて欲しい。でまたそいつが馬鹿じゃない(ある国のトップ大在籍)からタチが悪い。宗教ってのは押し付けるようなもんじゃないからとか言いつつ、「君が○○教徒になってくれたらもちろん嬉しいけど(=君自体が救われるんだから、君の幸せのために言ってるんだ)、××を飲んじゃいけないとか□□を食べちゃいけないとは言わない。ただ、僕は犯さなくて済む宗教上の罪を君は犯してしまうがゆえに最後の審判で君が悲惨な思いをするのは耐えられない。将来君が死んだと聞いたら、僕には大きな後悔が残る。なんで君を救えなかったんだろうって。(←ここ皆さん注意、究極的には私の「ため」ではなく本人の「ため」なのです)ただ単純に君が好きだからっていうのもあるけど、君が人の道を外さないようにも、僕は君と連絡を取っていたい。(←監視かよ、って突っ込むと、「監視じゃないんだ、監視なんてしようがない。ただ云々」)」・・・とまあ、こういう寸法で、ここ帰国してからの半年、着信履歴にずらーーーーっと並ぶ国際電話の跡、手書き郵送手紙、電子メールetc、アクセスを解析したら、1日に数十回のアクセス(この記事からドメイン等でブロックしました)。現地日本留学生の手を借りて、あるいは自動翻訳が上手くいかなかったら本人(私)にまで訊いてブログの内容を理解しようとする。で、最近内定が出ました、やれ懇親会です飲み会です・・・とその宗教的には人の道に外れた行為(少なくとも彼が連想する限りにおいて)を目にし、「君が人生というものの意味を考えなくなるんじゃないか」とか「君が物質的な世界にのみ安住してしまうんじゃないか」とか、「友達というのは様々な悪や誘惑からその友達を守る楯であって云々、僕は君の人生の楯にならなきゃ(注:その宗教では人間は弱いものとして考えられているので)」「君が××を飲むことを自制できないとは言わないよ、でも人間誰しも自己をコントロールすることなんてできないんだから」「内定して激務の世界に行ったら君は僕をもう必要としなくなってしまう、忘れてしまう」・・・ということを恐れて電話しているそうです。就活中は企業からの電話と紛らわしいから止めてくれと言うと、チャット&メールなら問題ないだろうと、その嵐。一瞬でもログインを見せたようなものならすかさず、それで無視or拒否すれば「なんで無視したの?」の攻撃。

で本日、私の堪忍袋の緒があぼーんなので、誰かに聞いてもらいたくて、っていうか後世に残したくてもう書いちゃう。別に特定の宗教のこととは言っていないわけだし。

もういいから!自分の価値観で人の死後とか人生をああだこうだ言わないで欲しい、ほっとけ!!好きなら好きでも構わないけど、それを宗教的な事柄と絡めるな!・・・あーすっきりした。】ていう話を知り合いから聞いたんですよ。

Thursday, April 29, 2010

mortalityを実感するまでもないが良い友人

Back from 飲まない飲み会(休肝日) with 3人グッドコンビ. 数年分の来し方、変遷、思考様式をお互いに把握していて微笑ましく見守りあえるかつ語り合えるというのは、言葉にすると陳腐だけれど、めっちゃくちゃ基本的で大事だわ。あそこに戻ればいい、というか、理解されるということは非常な救いなわけで。良くも悪くも変わらないんだろうと。

I have made a rule to write daily things here in English recently in order to prepare for the coming summer session at Yale a month later, but it was reported to me a few hours ago that the number of member (at least 8) was a bit low so the course had to be canceled! Well, it is okay, since I was sure that it would be a bit busy to deal with 2 courses this summer while the semester at my university is going on, but I wonder if the financial aid would be also canceled too! I hope not, but I am sure it would. Ah, I had a dream to walk around NY since my childhood, though:( Anyway, the course at UCB will surely be opened, so I should switch my motivation to it.

東京の深夜を歩いたり走ったりするということは、東京といえど「休憩」とか「闇」とかもっと言えば「死」があるということに直面するということでもあって、これはそのうちまとめようと思っているけれど、通常時mortalityの実感性の比較的低い人が親などの肉親以外の全ての人であって、mortalityの実感性が比較的高い人が親などの近しい肉親であるのと似ていると最近思う。 他者(自分以外の全ての人)ではあるが他人ではない(非常に近しい肉親や友人など)人に対するmortalityの実感性もまた後者に当たるわけだけれど、そうではない人たちの存在が社会の持続性を担保しているわけだ。曾祖母が死んで、母も父も祖父母もいずれ死ぬのだ、自分も・・・と、初めてmortalityを自覚して恐くなった小学校の低学年のときに、学校に行けば死ぬことの信じられない(=mortalityの実感性が低い)先生や友達がいて、世界が続くことを信じられるような気がしたのと一緒。大人になったって、プライベートでマイナスなことが起きても職場にいったり友達と集まれば、切り替えられたりする。ただ、大地震等の災害があるとそんなことは平時くらいにしか思えないのだということを見せ付けられる。この世に昼と夜があるのは(とくに昼に対して夜があるということは)そういう可能性や現実を毎日確認するためでもあるかも。

Wednesday, April 28, 2010

イタイイタイ

Back from a kind of 飲み会(drinking party) over 焼肉(Korean-style grilled meat)@水道橋 with a personnel manager who deals with 内定者 from national universities and a member at overseas power project to explain us, four students (2 BA of science@u of tokyo,1 MS@titech and me), what he is really doing exactly. I am getting used to see the entertainments at exclusive restaurants (45.000yen for 6 members this time!), but I think I should give my liver a rest once or twice a week. I have to keep this figure of mine at least (I should not lose my figure like I did in Kuwait and Syria).

How nice it is to cancel a subscription of NIKKEI (economical paper) before it expires, to throw away the brochures of companies and to contact those who I have not got in touch with for years (I am just planning to get together some alumni (especially several good friends) at the class at the time of 2nd grade of high school. Most of them have got started their career this spring, so I hope now is a good chance to see, but I have no idea if it succeeds or not! 高校生の私に会いたい最近。彼女は今の私を何て言うかな。I might be able to see myself of a high school student by meeting them up. I wonder what she would say to me. イタイ過去は忘れて思い出は美化したいけど、20歳前後(今も?特に私)ってそもそも全てがイタイ).

世間の商社マンのイメージと実際の乖離って意外と激しそう。女は芸者にならなくていいからまだいいかも。

Tuesday, April 27, 2010

get marubenized?

Back from 内定者懇親会@多摩(15-22) today, it IS amazing that I have been socialized well enough not to be so isolated even there, but at the same time I wonder how much I could be 'marubenized' (what a good word-maker I am) for the coming next several years at least. I am sure that I should keep in touch with the worlds I feel comfortable to stay in and I feel I should stay in for some reasons (even though I should not objectively and I feel uncomfortable to be there) so as to keep/cultivate myself. It must be a good place to begin my first career with some possibilities to be kept and broaden, but it definitely not a place to work at until the age of 60, when it is believed that I would be retired from business. Well, it is absolutely precious to see people from other 'ethnic groups' (such as 体育会系/運動会系) and how the things are going among them, especially in the world of 総合商社, which is said to be unique only to Japan.

Off topic a little bit, I was a bit depressed to know again that it surely was hard to find my real partner. There were 70 students (内々定者s) and more than 60 of them were men. All of them are close to my age, and many of us have much in common with one another (academical background and hobbies, etc). Even though, I felt instinctively impossible to find 'the one' from there. This is not because that they were bad or something (indeed each of them was respectful), but I felt so. If it is really impossible, it never be possible to find 'the one' even from the other parts of Japan or the world. Well, I will have an excuse in my job there for not having a chance to find 'the one' (e.x. because I am terribly busy for works, which should/must be done by me who is well qualified to do it), but for first the work itself must be worth (great) enough being judged so.

Sunday, April 25, 2010

進路選択総括(私の就職活動供養)

Although I have already told each of my acquaintances with a great gratitude for his/her help for years, I am happy to report to all of you here that I would be working at this company (April 2011~). Here let me look back on the last seven months (or more) I had been struggling for.

(結果的に他にも内定を頂いたけれど、がっつり決定してから)虚脱感から回復するのに数日はかかると言われ、んにゃ1日でと豪語してみたものの、やはり3-4日は必要と実感する春の(はずの)日。とりあえず方々にご報告兼ね節目とあって日頃の感謝を振りまいた(つもり)で、正式に人事グループ10名程度と握手してから2日が経ち、実家に顔向けできるようになり、ここに最終的に何かまとめて私の就職活動は成仏できる気がする。

大学入学後から自分が果たして社会や世界で実際的に用のある人間足るのか、足るとしたらそれは何ならばあるかないか分からない己の能力を(あるとして)自分や他人にとってポジティヴな方向性に最大化できるのか、という3-4年で決着つけるべきテーマが何をするでも頭の片隅にあって、心からこれでいいんだ的安心は一瞬たりとも得られたことがなかった気がする。そのテーマに向き合うにあたって、色々な外界刺激物(ヒト含む)から影響されつつ、各選択肢を丁寧に(=ぐだぐだ、だらだら、行ったり来たり)検討するわけだけれども、悶々としたりすっきりしたような気になったり、おそらく全ての人が程度の差こそあれ通過する道なのだけれども、私の煮え切らない不器用さ全開だったこともあり、およそ合理性とか効率性とはほど遠い悩み方に邁進していた。時間切れというか時効を迎える(=時間が解決してくれる系)ことに、最後はどこか期待するほど、もう疲れ切っていたようにも思える。もう「やってみること」が自分には必要で、それをただ待っていた。

「こういうのがいい」とは言えても「これでなきゃ」という拘りを持つに至るほどの説得力も情熱も経験も持たないし、man of ability以前にman of possibilityの次元から卒業することに恐れ、あるいはその卒業の仕方に自分で責任は取るけれども、ある程度の流れにもちょっと転嫁したい心情もあるわけで、いやぁ、本当に面倒くさい子だった。これが、その会社の面接のフィードバックで言われたような「良い意味での割り切りと拘り」と取れるなら合格。

ただ、今全てが終わって思うのは、あれがいいこれが嫌だという自分の複数のセレクトから、最終的に結果的に抽出されたこの一滴というのは、思えば意外でもあるけれどよくよく検討してみると、非常に理に叶っているみたい(まぁ、自分の決定を正当化している部分は否めないけれど)。ファーストキャリアとしては金融ほどではないかも知れないけど、融通は効く。まだ私のしがみつきたい(残しておきたい)選択肢(可能性)は残る。残るっていうか、全部同時進行可能。世の中、収まるところに収まるようによくできている。

本当にNNTに陥ったらそれはそれなりにもうちょっと強靱な精神とか、面白い(深みのある)人生に繋がったかも知れない。だけど、最近思うに、結局どの道を通っても、凡人であれ天才であれ、行き着く境地とか状況は具体的には異なっていても本質的にはそんなに変わらないんじゃないかという、漠然として根拠のない確信がある(なんか宗教っぽいけど、私は十分宗教じみてるし(自分教の教祖的に)もう否定しなくていいや)。だからっていうのもあるけど(なんかどんどん冗長になってるけど今そういう気分なので許して)、その人その人なりに考えたりいろいろトライしてみたりするのは非常に大事。だけど、そこに答えがあると信じて頑張っても(常々updateされていてよく見ると幻影だったりするから)結構キツいし、逆に答えなんかないんだからこその過程重視で頑張るのも(限界がなくて)結構キツい。何のために、とか何を(どれを)、とか何で、っていう5w系は時に不毛に人を追い詰める。とりあえずhowに誠実にやれていれば納得のいくwhatとかwhereが見えてくる、ぐらいのスタンスのほうが救われるんじゃないかと。自分はどう暮らしたいのか、の「どう」のほうを追っていたら、ああそうか的whatが出てくるんだろうね。

私はいわゆる「就職活動」を一生懸命やったタチではなかった。筆記対策もしなかったから意外なところで面接前に落とされたし、納得して(それほど演技しないで)志望動機を語れる企業以外は受けなかった(保険・リスクヘッジなし)。選考過程中は確かにもちろん一喜一憂させられたけれど、総じて、時間とそれなりの行動の経過が自分で絞りきれない選択肢を絞ってくれるという嬉しい感じがどこかであったからだと。だから、複数の企業の2次or最終面接で50代~のおじさまたちが本当に真摯に私の進路について相談にのってくれた(能力・パーソナリティー的には採りたいけど、社風に合わなさそう・会社踏み台にして(あるいはできない社員等に失望して)すぐ辞めそう(本人には過大評価だとしか思えないけど)etcだから採らないけど、この子は何をすると幸せなんだろうね(どんな男がいいだろうね、というのは余計なお世話だったけど)と考えてくれる)というのは、自己肯定的な側面でもそうだし、ちょっと社会参加(アンガージュマンほどじゃなくて、ああ関わってるなあくらいのノリ)できてる感も手伝って、非常にいい経験だった。

何点か誰かの役に立ちそうなこと(一般化できるレベル)を箇条書きすると

・リクスーはスカートじゃなくても全然いい。
・慢性的健康(悪)状態は医学で改善できるなら全ての合理的な手段に訴えてみる。それでもだめならそれをひっくるめて自分が幸せに生きられる道を考えればいい。
・学生(勉学が本分)らしい学生生活を送ってきた人にとって、その後も学生らしい生活を送る予定であったとしても、大の複数のいい大人たちが本気になって自分の話を聞いてくれる(タダで!)この機会(就職活動というより採用、選考過程)はお得であるから逃すでない。説明会とかは選考に必須の場合以外は参加しなくていい(あるいはネットや人を通じて業務内容や業界知識が手に入る場合を除いて)が、この際、ああもういいかも、と思うときまで色々な人と話をするといい。働き方のモデルに出会うことは難しい(簡単な人もいるかも知れないが)が、複数の人のパターンからあぶり出すことは大いに可能。
・入ろうと思っていない企業での面接でも、こちらにある程度の真面目さと相手が話を続けたいと思わせる能力が備わっていれば、非常に誠実に対応してくれる。面接はビジネス的(交渉)側面もあるけれど、いい意味で甘えていい側面もある。みんな初めは子どもだったから。
・資金をけちる(けちれる=節約できる)ところ(交通費とか)と、景気よく出すところ(靴、本、交際費とか)を、中長期的視野でコスパを考えて割り切ったほうがいい。
・本当に入りたい企業の筆記試験(Webテスト)なら少しは(一部の天才・秀才以外は)勉強したほうが絶対にいい。

最後に
・どうあがいても(ある程度あがくことが必要条件だから、今あがいているんだくらいの認識で)その人の身の丈にあったところに最終的には収まるようになっていると信じるならば、気分は楽であります。

ということは一般化できると思う。
あとは、

就職活動を自分がする、というよりは、世の中の就職活動とやらに参加してみる、というスタンスも楽です。人の言うことは(私がここで言っていることも含め)、適当に聞いておくのが身のためです。色々なソースから最大公約数とか最小公約数を見ていくと、死ぬほど脱線せずに済みます。くたばれ就活!とデモしたい気分は抑えて、その就活を利用するほうが便利(システムとしては問題あるけどうまく使えば大いにプラスになる)。


と、まあ今晩はこんなところで。お粗末様でした。

Wednesday, April 7, 2010

眠れぬ夜のぼやき

2009年10月からいわゆるシューカツが全国的に始動してからというもの、私は私なりに最善だと思われるやり方で、常に最善だと思われる選択肢を採ってきた。相対的にとか客観的にどうかではなく、少なくとも主観的にはそう思っている。あれやこれ以外は採りえなかった。

確かに、超氷河期と世の中がいくら捲くし立てても、奥底では超然とした「甘さ」があったと言われれば否定できないのは事実だが、今振り返ってみても、今の状況も鑑みても、過去のそれぞれの時点でそれ以上のこともそれ以上の思考もできなかったと思う。

確かに、私には具体とか実践というものに対して最後までアレルギーを引き摺っていたから、「よく分からない人」で終わっているだろうし、実際のところ自分でもまだよく分かっていないのだけれど、とにかく世の中に出ないことには埒が明かないわけで、新卒の人間が狭量な視野・経験で色々なことを限定し過ぎるのはアホらしいし、少なくとも私は限定するに値する人間ではないという結論に至っていること(=ようするにこの思考過程に共感できない陣にとっては「なんでもいい」意思のないヤツとしか受け取れない)も、多くの企業で最終的に落とされる原因だということくらい、とっくに気づいている。

もっと合理的に、プラグマティックに、やろうと思えばできるはずだけど・・・主な原因は2つだ。(1)絶対そこでしかありえないという熱意、情熱、必死さを演じ切れていない(←最終近くで落とされるパターン)(2)そもそも地頭がない(←ある種のところで2次で落とされるパターン)(3)オーバースペックor個性的過ぎ(←一流企業以外からES段階で落とされるパターン)

そこそこの能力と健康を授かって大切に育てられてきた。高校卒業まではそれを最大化することに注力してきたし、かなりの程度どうにかなったと思う。ただ、私のそれからの大学生活の送り方は多くの日本の私企業が欲するようなそれではなかった。(では他に欲してくれるところがあるのかという問いはさておき)やはり、身分不相応過ぎる大学に入ってしまったことが、自分の存在意義から改めて検討し直す期間をあまりにも長く取りすぎ、いわゆるリアルに充実した生活から遠ざけてしまった。あるいは、どこに行っても結局私はこういう人生を送るしかなかったとももちろん言える。

嘘をつかずに採用してくれるところでないと、何十年も幸せに勤められない。どこも採ってくれなかったら、所詮そこまでだったということで、かえって身の程が分かっていい・・・という表面的な諦めは過信と傲慢の裏返しにしか過ぎない。なんだかんだ言いつつ、結局いまだに自分のことが諦められないのだから手に負えない。本当に社会化されていないのだから、呆れても何も言えない。決定的な問題点として、この堂々巡りの思考のブレークスルーが最後まで結局できなかったことは大きい。

何もかも中途半端で、ロジカルな思考など到底できず、そうして初めからもともとありもしなかった可能性をどんどんさらに縮小させていく。シューカツフォーマットさえも踏襲できない中二病患者の行く末やいかに。

思考停止、どん詰まりとはこういうことだ。私の思考様式もレベルもこの4年間全く変わっていない。

とりあえず、持ち駒が尽きるであろう4月下旬まで負(腐)のオーラを出さないよう注意して、その他改善を図りながら全力で当たってみる。5月のメーカーの第二募集も挑戦する。そうしたところで、渡米じゃ。何らかのポジティヴな契機になるか。الله أعلم 神は全てを御存知。

Friday, April 2, 2010

Weekly Report(?)

I am deadly exhausted at this deadly hectic job-hunting schedule (this week would be peak), but here fortunately I have got two acceptances to

1. Yale Language Institute, 4-Week Seminar:Special Topics in the Law (May31-June25)
2. IARU GSP @UCB (July24-August13)

I managed to pass the selection of a scholarship for both of them, so my university will give me a financial aid (¥200.000=$1.800) for Yale and pay almost everything ($3.502+2/3 of air ticket) for UCB. I am sure nobody applied for these, because I passed them!

This is a good opportunity that I have wanted to get, but I get nervous when I wonder if I can catch up the others, especially at Yale, who are supposed to be from grad schools. I need to cram the knowledge and improve my speaking/listening skills by the time of it.

Also, this means that I will attend the new semester (starts in a week) only in April (I do not think I can attend fully because of interviews, etc.), May and July, then I have to cram the contents of courses in the latter half of August and pass the final exams at September. Well, this seems really thrilling and exciting.

Sunday, March 28, 2010

嵐の前の静けさ

4月1日から筆記、面接被り過ぎ。ここで物理的に諦めざるを得ないなら、初めっからあんなに(とは言っても20いかないけども)ES要らないじゃん。(郵送料、写真もったね・・・)。そもそも持ち駒にさえならないじゃん。面接に呼ばれた順番からして気に入られてそうな志望度の低い企業をどうするか。高志望度のところから内定いただけるなら切り捨てるが、お先全く知れず。経団連の倫理憲章、中途半端過ぎて(伝統大手系は足並み揃えて4月1日から)かえって若者の雇用機会奪ってない?それより採用活動時期分散化憲章でも制定しようよ。人間って一日にいくつまで面接筆記等受けられるのかね。

Thursday, March 18, 2010

それだけこれだけあれだけどれだけ

個人的に日曜から今日に至る現実逃避スパイラルにこれ以上嵌って合理的なことはないので、そろそろこの辺で打ち切りたいと思っている。ESなんて私はこのブログをもう少し他人に伝わりやすく変調したテンポでやっているので、就活本のES例ごときものが本当にわんさか集まるのだとしたら、私のは人事も驚愕衝撃で切り捨てるか、ツボに嵌ってくれるか(こちらの可能性はビールのアルコール度数くらいか)で、とりあえず書類が通るというのは自分の所属している大学名に思いっきり感謝だ。私のように人間的魅力のないヤツほど、学歴とか権威にはぶら下がっていたほうが身のため。

何をスパイラルの要素としていたかというと、12年前のドラマ「ガラスの仮面」で、紫のバラの人が所謂おかずかね。人間は他者からの存在承認があったほうが楽に生きられるわけで、昨今のブログとかtwitterめいたものは、言うまでもないがそういう欲求の表出的な要素が多分にあるわけだ。紫のバラの花束に「いつもあなたを見ています あなたのファンより」というカード付きで、折々にグッドタイミングで手元に届いいたら生きる意欲も湧くというもの(ただし、イケメンに限る?)。でもmixiとかtwitterで他人に強制的に雨よ霰よと「つぶやき」を浴びせることに慣れると、私みたいな孤独な人間は「もうひとつの非正規の(容易でない)ルート」をまた探すことになり、かえって居場所を失う。紫のバラの人は、「不可視でオルタナティブの存在を示唆し続ける+only meの全肯定」だから魅惑的なのだ。facebookも含めて利点はあるからある程度は利用するが、そこにあるのは繋がりを求める掃出しの欲求の渦の絡まりと言い切るのは第一段階で、第二段階は既述のようにそこからの「次」を求めざるを得ない人種、あるいはそこから消極的にはみ出て「次」さえも求める気力を失った人種が肝だ。

140字というのは、言葉を際立たせ鋭敏にするか、惰性となるかのどちらかで、「わかりやすさ」とか「手軽さ」、「合理性」だの「だだ流し」を活性化させる要素が、生き馬の目をかえって抜きにくくするのだろう。一方で限定性というものが、無限の可能性を生む逆説も健在で、就活の話に戻せば、私はその可能性に賭けているのだとも言える。

要は、私にも紫のバラの人いないかなーという俗な少女漫画根性でしかない。脱線だけど、無料の婚活サイトに登録したら40過ぎの(しかも低スペック)おっさんばっかり申し込んで来て、やっぱりな感満載。40過ぎて今22の知らない子にアプローチって哀しすぎる。

昨今、非常に健康状態が良好で、申し訳なささえ覚える。何の苦労も挫折もなしにここまでのんべんだらりと人生を延長し続けてきて、客観的な困難の一つや二つ常時抱えていなきゃ、ミネルヴァの梟も飛び立てないっていうか、お仕事ないってとこだ。理不尽で不条理な苦難や不幸こそが人間を鍛える。電車の席には限りがあって、自分には座る資格がないと思って席を立てば、他の誰かが自分の代わりに幸せになれる。ただ、幸せという概念は非常に個人的だけれども、エゴと表裏一体の自己犠牲の精神で、幸福の席に限りがあるという前提で席を譲ることで救われる人種も確かにいる。悲劇のヒーローないしヒロインを気取るまでもなく、その他の自己努力が正当化されるならば、席の一つや二つ金を払ってでも譲りたいところだ。幸福から学ぶものは少ない。特に、頭の悪い者にとっては、ね。

要は・・・、たなせいがかっこいいし、頭いいし、寧々もまた別の意味で頭良かったなあ、という。それだけです。

Sunday, March 14, 2010

飢えているときは夢想

リアルで私を知っている人が読むとキモかろうけど、「ガラスの仮面」の紫の薔薇の人(田辺誠一)と、「救命病棟24時」の進藤先生(江口洋介)と「JIN―仁―」の南方仁(大沢たかお)と堺雅人(役関係なしに)と堤真一(同)を順に妄想すると1週間もつ。いい男は皆40過ぎ。おじさん最高。・・・はい、ESに戻ります。

Friday, March 12, 2010

The results

of last exams have been just revealed; I have 31 credits more to take next year (Apr. 2010-Mar. 2011). Although the things are not that easy like I expected, but still it is very possible to graduate next year. The plan that I will be flying around the world in the last semester (Oct.2010-Mar.2011) is hopeless, though :-(

What I have to do now is
*write applications, CVs and essays as many as possible
*get a job at least until the end of April
(*pull my wisdom tooth out)
*pass at least 7 or 8 exams of next semester (Sep.2010)
*pass 2 compulsory exams (Civil Law 3rd, European Political History) at this time of next year
*then just graduate on Mar. 2011

Hmm, it seems not so busy once I get a job, but it is a long way to reach the goal. I really want to kick this deadly hectic schedule out...

Tuesday, March 9, 2010

I am alive.

Since when has this blog become a place to make sure for those who know me just if I am alive or dead? Why does it take two hours to get through with e-mails that I get in a day every day? Why is it snowing now even in the middle of March? March? March? Can't belive. Time flies. I was sure it was still around December or so. Indeed, a few days ago I could not understand when I heard from X that she has been back from Kuwait since January. January? Is she talking about future? (We were talking of course in Japanese) Eh? I exclaimed, and froze. Do I feel muzzy? No, I am quite normal. Anyway, CV! CV! Essay! Essay! How many deadlines are listed on my schedule? Alas!

Friday, February 19, 2010

My latest news

Thanks for encouraging me my dears! My beloved first wisdom tooth now hurts as much as I can sleep and study. الحمد لله! Pus was accumulating between the gum and the tooth, but it has already been taken out and a kind of medicine was infused into it yesterday. In addition, I'm taking medicine, which makes me so sleepy that I failed to keep awake last night and fell asleep in the arms of Morpheus. (But today's-just-finished exam was luckily not hard that much. Seems that I am not bad at making ad hoc efforts) I have not had any meal since yesterday, but this is what 断食 (fasting in Japanese) means and somehow it enables us to feel refreshing. Well, I started to wonder what I can eat for lunch now after one day's 'abstinence'. Jellylike nutritional tonic would be welcomed even in my present mouth.

Yahoo, my 14 supposed-to-be-recorded-at-Guinness exams (52 credits in total, amazing) seem to be over just around the corner (next Tuesday). I have given up taking two of them (hope this decision won't be a mistake), so if I can pass all of them I took and I will take next Monday and Tuesday, I will get 44 credits in the end. Now I have 32 credits (only!) at the Faculty of Law, the total credit would be 81 this year, adding 5 credits from the Faculty of Literature, and I will only have to take 3 compulsory subjects (10 credits) next semester. (The amount of credits we, the law students, have to take is 90. If I add the credits I have taken at College (at fresh and sophomore) it will be 180 in total. C.f. we are given 2 credits for a lecture of 100 minutes per week for a course of 16 weeks.) Then, if this counting my chickens before hatched is revealed to be correct in the end, I can graduate next September, according to one of my friend. (I am not sure, because it means I stay in this university only for 3.5 years. I will ask the administration.) Even if I could not, it means I will have a lot of free time to do something that I can do only when I am a student!

Thank you guys for cheering me up. Seems I will manage to overcome this period, only having a 'nice' (!) trouble with my tooth, not having caught a cold at all and (this is what is important) not taking a turn for the worse of my skin. I am always the most blessed one in the world. I am thankful to everything. Hope you guys also do well. (May every athlete at Vancouver do too! I am encouraged by their good job. Do not miss figure skating today and on 23rd!) May God bless all of you.

Thursday, February 18, 2010

A Wisdom Tooth

I started to suffer from a terrible pain of a wisdom tooth suddenly yesterday. Busy as I was because of a pile of exams, I managed to make time to see a dentist, who was ranked No.1 around Hongo (on the Internet evaluation), where my university is located. I have found it rooted at the most difficult place in mouth, and it seemed that I would have to 'bear this unbearable pain' at this hectic moment for the coming next several days with quite 'nice' exams. Why do I have to get sick , not a usual cold, terribly like this every time I have exams, even though I do not study that much? I have an appointment tomorrow too. Gosh, does the God want me to realize the importance of health so frequently like this? Please, it is enough. Does not He know that I am always relieved to see myself in a mirror every morning recently and thank (from the bottom of my heart) everything in this world for giving me again 'today', another day to live? Anyway, I am still alive very well. I am! I am grateful to Him for this. If I have to choose a certain pain from this one or that one, I will definitely take this one, a wisdom tooth. I am blessed so much. I am taking an operation asap. Thanks for reading. I have got positive. Please do not worry about me! I will be glad to report how the things go, for those who have not experienced the wisdom tooth operation!

Monday, February 15, 2010

不自由だからこそ人生はもっと輝く

傷つけられるより、傷つけるほうが、結局自分がもっと傷つく。ありきたりだけど、死刑は取り返しがつかないのと一緒で、取り返しのつかないことのほうが人生には多いのかも知れない。そもそも、時間がこうやって取り返しがつかないように流れていっている。恐ろしい。ごめんなさいと言っても、もうどうにもならない。己の至らなさ、あくどさに泣いても遅い。

タイトル:某公共放送の説明会で医療福祉モノのVTR(「プロフェッショナル仕事の流儀」の一部)を流されて、暗闇で号泣。よくあるフレーズでもある。そんなの負け惜しみじゃないかとか、慰めだろうと思えるときもあったけど、まさしく、己の人生を逃げずに慌てずに達観しているわけでもないけど、がしっと向き合って生きている人の顔が本当に美しかった。味のある、深みのある顔に最終的になっていくような、心の持ちようで。そういう人生の先達に直に会ったら多少人生観も変わってくるのかも知れない。

OB訪問や就職活動の過程等で「目指したい人」に出会えてしまえる人って、ハードルが低いのか、それとも感性が広く豊かなのか、俗に言うアンテナが高いってことなのか、そもそも出会う人数母体が違うのか。

ああ、早く試験よ終わってくれ。

Tuesday, February 9, 2010

もう天職人でいいです。

「ピューリタンは天職人たらんと欲した。われわれは天職人たらざるをえない。」という最低限のスタートラインには立てた気がする今日この頃。ただ、己がどこから呼ばれていると思い込むか、思い込みがある種の成り行きやら運の類であるとして、ある程度の条件が確保されていれば、どこでも楽しく労働できそうだと最近は思っている。私から搾取するものなどない?困ったな。

Thursday, February 4, 2010

どうにかこうにか一歩一歩

この頼りなさ所在なさが愛らしく誇らしい。

Monday, January 25, 2010

I'm in the pink

I'm looking forward to taking part in this program this summer. Especially, I feel UCB is calling me! It'd be a golden opportunity to step on the ground of the States for the first time and to catch a glimpse of Middle Eastern studies there (almost for free, our home university will pay for it if I pass the selection). In order to participate in it with light steps, I need to deal with the exams ahead of me well and tackle a job hunting for first:(

Well, I'm doing well these days. Sorry for those who I haven't got in touch with. I hope I'll be able to report my best way to go at the end of April.

Take care, dear my friends in the world.

Monday, January 18, 2010

年頭所感

一年の24分の1にあたる約半月が経たないと筆を持つ気になれないというのはもはや末期だろうか。遅ればせながら私の直接存じ上げる方も見知らぬ方も、おめでたくもないけれど年頭の慣用句的ご挨拶ということで、新年おめでとうございます。なるべく多くの人が、その人の定義する幸せを感じられ、納得のいく生活を送れますよう、心より祈っております。突き詰めると(突き詰まってないないけど)そういうことです。それだけです。

この間、三連休の中日(10日(日))の日照が素晴らしくて、お天道様の恵みに涙。箸が転がるだけでも楽しいお年頃、と言いますが、花が咲くだけで感動するお年頃のようです。星が瞬くだけで、風が吹くだけで、水が流れるだけで、ご飯が三食頂けるだけで、自分が何て幸せだと思えるだけで…。

と、同時に、考え方が内向きにある意味保守的になってきているのも否めない。日本人がだんだん内向きになってきて…という話は最近耳ダコですが、自分もその一員かも。多少なりともあった上昇志向は今やほぼ皆無。向学心はあれど、申し訳程度にはあった社会貢献欲も萎み、何でもかんでもどうでもよくなった。

ここまで来るとちょっと心配。もともとかなりのレベルの器用貧乏で、無趣味だから、俗に言う生き甲斐みたいなものが即物的にはない。そのうち社会人になれたら、ある程度仕事に生きられるのか・も、知れないけど、端的に言ってしまうと、このまま目覚めなくても私は幸せだ、とすら。

こういうだらけた精神状態が影響してかどうか、疲れているのに眠いのになかなか寝付けない。しかし一度寝たら12時間、16時間は余裕で寝てしまう。(たまにではなく毎日も可!)外せない用事があるときは対策して何とかなるけれども、かつて4時間半で文武両道していた高校生時代からは考えられないくらい腐ってしまっていて、特に偉そうなことはしていないのに徹底的に疲労困憊してしまう。ダメ人間に拍車がかかる今日この頃。こんなのが生きていていいんでしょうか、世の中の勤勉な皆さんごめんなさい。 早く就職していくら非生産的でも生産活動の環に入り込みたいです。

p.s.アパートのワイヤレスを盗むことも最近叶わなくなり、大学にポータブルじゃないPCを持ち込まないと自由にアラビア語が読み書きできないこともあり、ちょっとネットが身近にある有難味を感じ始め。