Monday, May 17, 2010

不倫は文化だ

と言ったかの人を称えたい。不倫が文化であるという人ならほとんど全てが食も文化だと認めるだろうから。然るに本当に不倫が文化だと心から言う人にとっては、その文化(不倫と食)に差異はなく、同様に素晴らしい文化だと言うだろうから。

まあ、「ユ」とか「イ」で始まる宗教の人たちさ(特に後者)。大学の食堂で納豆にハラールって書いてある。書いてあれば(信用できると彼らが判断する人たちがそう言えば)食うんだよな。自分で判断しろよ、自分の食い物くらい。他人の物差し(まあ、彼らの戒律のほぼ全てが自分でない明らかに「他」のものの物差しであるわけだが)でしか食っていいのかいけないのか決められないのって幼稚に思われるけど、彼らにとってはそうじゃないのはよく知ってる。都合がいいと増えるんですよ、信徒は。

日本食を好む人全てが日本を理解している(よく知る)わけではないのは確かだが、日本を少なくとも理解したいと思って来日しその国で勉強しようと思っている人たちの中で、決して日本食を口にしないグループはそうでないグループに比べてその理解度合いにおいて何も劣らないのだろうか。何も劣らないとしたら、我々人間にとって食とは何であるのか。異教徒に否定され価値を減じられるようなものばかり食っておる汚い人間(まあそもそも彼らにとって人間として同等ではないだろうけれど)が喚いても仕方ないのだが。

アラブ料理に一口も手をつけないけれどもアラビア語が達者でアラブについてよく知っている人って、アラブ料理をこよなく愛してアラビア語が達者でアラブについてよく知っている人より劣らないのかしら。ま、この世のこんなちっぽけなことなんて、彼らにとってはどうでもいいのだろうけど、まともに相手してるとたまに嫌になる。