Friday, October 31, 2008

勉強会その一(10月30日)

Overstating the Arab State: Politics and Society in the Middle EastOverstating the Arab State: Politics and Society in the Middle East
Nazih N. Ayubi

I B Tauris & Co Ltd 1996-09-15
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Nazih N.Ayubi, Over-stating the Arab State, 1994            

Preface and Acknowledgements
ほとんどのアラブ国家は’hard’で’fierce’であって’strong’ではない。大規模な官僚、軍、監獄制度を持っていても、徴税や戦争での勝利、ヘゲモニックなパワーブロックや、抑圧的で「コーポラティヴな(組合協調主義的な)」レベルを超えて、モラルや知的な段階に国家を移行できうるイデオロギーを生み出すことには劣っている。(xi ¶2)

本書の対象:エジプト、シリア、イラク、チュニジア、サウジ、クウェイト、UAE、アルジェリア、イエメン、レバノン、モロッコ(同¶3)

「文化」は重要だが支配的な変数ではない(xii ¶1)
‘East looking at East’のセンス、日本から(同)


Chapt.1 The Middle East and the State Debate: a Conceptual Framework
(中東と国家についての議論:概念的枠組)

著者の問題意識(p.1)
・多くの「国」に分かれていて、国の規模や資源の多寡に差があるのに、なぜアラブと彼ら自身を呼ぶのか。
・なぜこれらの「国」は次々と常に失敗する政治的統一の試みのマルチチュードに熱心に加わるのか。
・なぜアラブ諸国のレトリックは、ナショナリズムや社会主義といった広く普遍的でさえある概念に基づき、実際の’ruling caste’(支配階級制)は語られないのか。
・広範な官僚制や軍があっても、なぜ税制度や法運用に「浸透」しないのか。
・なぜ地域や国際同盟を簡単に切り替えることができるようにみえるのか。
・国内政策を一夜にして完全に逆の方向へ変えることがなぜ可能なのか。

一般化:必要だが、多様な歴史的特徴のある’cases’の痕跡を失くすほど広範囲に渡ってはいけない。
特定化:その’essence’の外形を超えてしまうほど理解できなくなるような’special case’にそれぞれの事例を変えてしまうほど極端になってはいけない。

・「政治経済」と「政治文化」アプローチ
‘articulation(統合)’,’ non-correspondence’(非対応関係) and ‘compensation’(相殺)の概念

・2つの矛盾した目標
1、OrientalistsやFundamentalistの特異性等の主張を排した理論的、比較的概念に中東(アラブ世界)を当てはめる。
2、アラブの学者によって書かれた文献をできるだけ参考にする。

・本書のタイトルについて(p.3)
1、工業化や社会保障だけではなく、公的職員、公的機関、公的支出などといった量的用語での国家の拡大について述べることを意味する=étatisme(国家社会(管理)主義)的。over-stating=over-staffing=over-developed state同時にover-stretched, over-extended
2、同時に、皮肉にも、対照的にも、本当の国家のpower、効力、重要性は過大視されているという意味でもある。(a)’infrastructual power’(b)ideological hegemonyの欠落によって、自己存在の保持のために圧政に訴えがちな’fierce’な国家ではあるが、’strong’ではない。

コーポラティズムの形を明確にとりやすい。なぜなら、’philosophical individualism’も、西洋の資本主義国で見られるような政治が発現できるほど社会階層が発達していないから。中東のコーポラティズムはより「有機的」で連帯主義的で共産主義的立場。

公私の二分法は生産手段の違いに留まらず、道徳(morality)や社会的空間に政治的イスラムが「公」を持ち込むということもまた意味する。(p.4)

The State Debate(国家論議)
言論界:bringing the state back in 実際:less of the state (moins d’Etat)
1980年代から高まり始めた社会や経済の役割についての関心。しかし、イスラム的共同体(umma)やアラブナショナリズムに気を取られ、領域的官僚国家などとしての役割には関心示さず。国家の役割に対する無関心が改善されたのはつい最近。

(p.5)
Marxism Mark1:国家は社会の反映。とくに階級の現実。
Marxism Mark2:事物をその中で形作ることができる社会を伴った自律的政体

グラムシは「基盤が意識を形成する」に代わって「何が意識を形成するかを基盤が決定することは可能である」とした。グラムシの国家の定義:実際的で理論的な活動の全体的体系で、それとともに支配階級はその支配を正当化と維持するだけでなく、被支配者の生きた合意を取り付ける努力をする

ウェーバーの定義:与えられた領域内における物理的権力の合法的行使の独占を主張する人間の共同体
(p.6) 3つの正当化・・・「伝統的」で「カリスマ的」で「法的」な支配の基本的合法性

グラムシではdominationはhegemony(legitimacyより包括的でより法的でない)の場合に、国家の基本的構成要素として調節される。

hegemony-----egemonia------haymana,
Ibn Khaldun のiltiham(合同、連立)は-社会的統合やイデオロギーの一貫性をoverpowering physical capacityとなっている国家(ghulb)に加えることができる。「自然の権威は、絶えず圧倒的な競争相手の政党を通して、集団の感情(’asabiyya)から導かれる。しかしながら、この権力(権威)の継続性の状況は、屈従的な集団にとって、リーダーシップをコントロールする集団と合体するものである」

グラムシ:支配階級は国家の高圧的権力や直接的な経済的権力のみに依存していたわけではなく、むしろそのhegemonyに頼っていた。階級はleadingかdominantな方法でhegemonicになる。

(p.7)グラムシのhegemony>ウェーバーのlegitimacy
なぜならグラムシのhegemonyは制度の代理人によって政治構造が受容される過程に限定するのではなく、文化的イデオロギー的合意まで掘り下げ、educatorとしての国家の役割を強調するから。
the gendarme-state:法と秩序の観点での国家           現在の
the corporative-state:経済的利益とその機能の観点での国家    中東諸国
⇔the integral state=the state in its totalityは政府に限定されず、市民社会の側面を含み、hegemonyとリーダーシップに基づく。the integral stateはthe ethical state、educatorとしての国家にリンクする(学校や裁判所を通して)。

市民社会が脆弱で、権力者や官僚機構の階級統一が強固であることは「強さ」ではない。satatolatry(国家崇拝)からthe integral stateへの移行にはhegemony か、社会のすべてのレベルでの関係性を利用する方法を取るしかない。
(p.8)hegemonyはイデオロギー上のコントロールや社会化を担う代理人の間で「世界観」が拡散し、広範に行き渡る意識が広く大衆によって内面化され、common senseとなるときに達成される。
Althusserの概念:the ideological apparatuses of the state (国家のイデオロギー的機構)

(p.9)最近まで、アラブが西洋から借用する政治学(そして国家)の概念は形式主義的で道具主義的だった。これはヘーゲリアンの、国家は市民社会の「外」や上に実在するという国家観に負っていて、立憲主義者らは、その分離した至高の存在としての国家を強調するために、私法からmoral personalityの概念を借用した。moral personality (shakhsiyya ma’nawiyya):国家は、弁証法的な方法でバランスを取った、ある特定のその「mind」と論理を持った実在である。それらの一般性に対して特殊性(具体性)への配慮だけでなく、それらの変化に対する秩序も含む。

このmoral personalityは、具体的な「人々」を具体的な「領域」において、「主権」の原則に基づいて看視する。この原則には2つの明示がある。(1)外的な、公式な独立と他の国家と向き合った平等を暗示する。(2)内的な、統治者か臣民の上にある政府の権威を暗示する。ウェーバーは(2)が国家の最も重要で適切な要素だとした。国家に対する臣民間(市民)での法的平等性と不平等性の現実との間に不均衡がたびたび見られたという事実は、伝統的な憲法理論のなかでは主に語られて来なかった。

(p.10)ウェーバーが言うような社会学の国家概念は中東では通用しておらず、官僚制の法合理的タイプを受容しようとしたが、多くは、これがウェーバーの「プロテスタントの倫理」(protestant ethic)に繋がっており、それがまたムスリム社会とかけ離れていることに気づいていなかった。

Marxism Mark1が、経済や社会経済の入力を強調したのに対して、アメリカの政治学は文化的、社会心理的入力を強調した。政治的主要アクターとして国家が無視され、その比較的自律性やはっきりしたアイデンティティ、社会を形成する能力が過小評価され、経済か文化のどちらかから「誘導」することに満足していただけだった。

The State in Comparative Perspective(比較的視点による国家観)
(p.12)植民地国家-----最初に法的意味において登場。社会的、構造的要素が発達する前に。このような未成熟な国家のlegalityはsociologicalな国家になることを制約する。なぜなら、legalityは本当の国家を強固な経済や行政や文化的基盤のもとに作る必要性に間違った印象を与えてしまうから。

しかし中東では アフリカのように明らかに植民地化された過去があるわけではないため、当てはまらない。ただ、官僚制は過剰。

(p.13)WW2後に独立し発展した国は、その国自体の生産過程にそれ自身が重要な役割。資本家と労働者階級は、その「周辺的な」国家(デモクラシーの危機を抱える中東のほとんどの国々で)との関係において貢献するようになる。⇒とはいえ、資本家と労働者階級の貢献だけでは説明できない。Economie mondiale constituéeの中で、周辺国家はlocal societyと世界システムとの間の架け橋と見做される。貿易関係を広げ、労働の国際的な境界の構成要素を国境内に溜め込んでいく。legitimacy-buildingとviolence-applyingの実現方法を混合させながら。

国家はreceiverとしてだけではなく、階級をreflect反映させ、represent表象し、condense凝縮する。階級を創出するような周辺国家においてはとくに。

(p.15)中東諸国は社会における階級の現実をただ反映するだけではなく、そのような現実の創出者になっているということ。

The Non-Individualistic Path to the State(国家への非個人主義的な道)
アラブ世界の特異性?state⇔dawla, دولة
安定性と国の立場が第一。第二に普及や権力や富の転倒。宗教文化的にはumma,امةが第一。

(p.16)限界:英語、仏語⇔独語----アラブ、イスラムの概念と親和的⇒Gemeinschaft (umma, jama’a), Geist (英mindの意味と、精神,思潮,気風,本質,知力)(ruh)روح breath of life, spirit, human life, ghost, essence, sense of・・・ , e.g. sense of responsibility روح المسؤولية(masuwlがresponsibility) (pl )ارواح

自由の概念を個人主義ではなく、loyalty(忠誠心や愛国心)から導いた独特の、集合的なオーラ(aura)によって色付けした。さらに、言語と法が国家の最も至高の表現だと考えた。これらはアラブ、イスラムの思想と近い。

19世紀近代ヨーロッパの思想に出会い、「修正主義者reformist」Jamal al-Din al-Afghani(1839-97), Muhamma ‘Abduh(1849-1905) は、生気論者vitalistや有機的政体論へと傾向し、ヘルダーのロマン主義とBildungへの強調と、スペンサーの社会ダーウィニズムとの比較を導いた。このtight bond(al-‘urwa al wuthqa) は非常に反啓蒙主義的。(p.17)有機的政体論(political organism)は、世俗的Shibli Shumayyilの下で中東に広まった。トルコのナショナリストZia Gokalpのsolidaristic corporatism(連帯的協調組合主義)など。

汎アラブ主義-----ニーチェ、シュペングラー、ベルクソン
新イスラミストはこの潮流を受け継ぎ、「歴史の自然化naturalization of history」(din al-fitra)を加えた。

Hamid Rabi’-----独、伊の歴史学校の影響。cultural nationalist、カトリックのモデル、個人の権利が第一、直接の市民と国家との関係。このモデルはアラブ諸国に適さず。Rabi’はpolitical function(waziya siyasiyya)に導かれたcultural heritage(turath)の復興を示唆したため。
⇒エジプトorアラブのナショナルな自己意識は差別性(特殊性)と正統性の面においてより古いイスラムの源泉を探すことを試みている。

(p.18)イスラムの政体はヨーロッパ的な意味での(領域的に定義された)国家ではない。politico-religious community (umma)である。ummaの目的はメッセージ(da’wa)を広げること、権力と権威(sulta)の機能は文化的/文明的使命(risala hadariyya)を獲得する道具。イスラムの「国家」は、公私の境界がなく、政治的理想と倫理的原則を混同に基づいた特異なコミュニケーション機能(wazifa ittisaliyya)を持った「教義上の(doctrinal)国家」(‘aqa’idiyya)である。

ヨーロッパの国家観では、国家の文明的機能は単なる「政治的」機能にまで減少している。イスラム国家は対照的に、「文明的意思」(civilisational will, al-irada al-hadariyya)がかつてあったローマやギリシャ文明の伝統に追随している。da’waを軸に回り、個々人にイスラムの理想を気づかせる環境を追求する。マキャベリ以降のヨーロッパの国家観は抽象的になりすぎ、社会や文化から離れすぎた。どんな道徳や文化的存在からも無効である存在として。逆に、イスラム国家はある倫理的理想を提供する。過去、現在、未来を永遠につなぐものとして。

イスラムのturathを介して、シオニストのように、近代的なだけでなく、歴史的共同体の文化的価値に忠実な有効な国家を持ちたかったら、現代アラブも同じことをするべきだという主張は明確だ。
(p.20)著者のcorporatismの概念は、イデオロギー的か「道徳的」信条を連帯の概念として推奨するのではなく、国家や社会の構成ツールを全体的に理解する上で便利だからツールとして使っているので、G.O’Donnellに近い。

The Arabs and the Issue of the State (アラブ人と国家の問題)
(p.21)統合に関する問題は、宗教道徳的な’tight bond’(al-‘urwa al’wuthqa)や言語文化的な紐帯まで幅広い。

19世紀まで・・・ムスリムは政治をumma(民族、宗教的共同体としてだけでなく、結果的に普遍的なムスリム共同体と同義に)やkhilafa, sultan(より宗教的政治的性格の強い政府や統治)で考えてきた。

dawla(ヨーロッパ的stateを指す)はコーランに存在したが、その動詞の原義はturn, rotate, alternateで、Abbasid時代には運、栄枯盛衰などの意味で用いられ、最近になってstateの意。現在では、Rifa’a Rafi’ Al-Tahtamiによる、共同体的概念よりも領域的な概念としてのwatan。

(p.22)
ところが、イスラム思想家は新しいこの国家の概念を急いで信奉することはしていない。
・Afghaniと’Abduh・・・ummaとtight bond、イスラムの統治者
・’Abd al-Rahman al Kawakibi(1854-1902)・・・Islamic league(al-jami’a al-islamiyya)、民族的意味としてのummaも。ムスリムと非ムスリムの統合としてのal-watan。政治と宗教行政(al-din)、政治と「王国」(al-mulk)の行政を峻別。

アラブ人は19世紀から「権力の示威行動(manifestation of power)」には関心を寄せてきたが、社会、経済、国家内の知的基礎には関心払わず。第一にjustice(‘adl)、libertyは二の次。

Laroui・・・アラブ国家はすべて身体や筋肉であって精神や心は少々、libertyの理論は全くない。Laroriの国家概念は歴史的にブルジョワと結びついてきた、社会の合理化を目指す道具の集合体。
(p.23)実際のアラブ国家は2つのプロセスの結果。1、独裁スルタン国家2、高位行政の改革と西洋から拝借した交通やコミュニケーション手段などの改革過程。しかし、tanzimat(政治機構と構造制度)や改革は個人に、現代の国家は一般意思や公共道徳の明白化なのだということを思わせるに至らなかった。国家は社会にとってはalienに留まった。現代のアラブ国家は形としては強いが、実際国家の暴力性は脆弱さの表れでもある。
(p.24)なぜ?liberty(huriyya)と結びついたことがないから。liberty:政治社会的意、huriyya:心理的形而上学的意。伝統的社会には国家と社会の均衡を図るものがもっとあった。政体は絶対的独裁だったが、その「政治的」範囲は限定されていた。現代国家は中央集権的かつ権威主義的で、集団や個人の自由の犠牲のもとにその範囲を広げた。

Schematic Argument and Conceptual Framework(図式的議論と概念的枠組)
(p.25)階級覇権が欠落している社会は、要求の統合過程ではなく国家の分捕りと国家への抵抗行動によって説明される。支配層特権の保護が行われている状況では現状維持(経済発展などが阻害されないで)がなされ、彼らは「合同的」なやり方で自ら他の集団を選出する。これは湾岸や石油輸出国にあてはまる。
⇒政治技術は政治的co-optation(編集者注:反対者(の意見)を現会員が取り込むことによって組織の存立・目的達成を安定化させる)、政治的孤立(’azl siyasi)。政治的様式は「論理」や経済戦略のエピソードによっても統治される。(p.26)このような社会にはすべての階級や集団を包含するような覇権的イデオロギーはない。ナショナリスティックにはなりうるが、それがイデオロギーとはならない。

The Concept of ‘Articulation’ (「統合」の概念)
(p.28)articulationとは、articulatory(統合的な)実行の結果としてアイデンティティが修正されるような要素間において関係を構築すること。modes of production(生産), modes of coercion(抑圧), modes of persuasion(信条)間での統合⇒日本は卓越した例

湾岸やアラビア半島に見られる「政治的部族意識」。「生産の部族的様式」の抑圧的or信条的側面は、仮にそのような様式の経済的基盤が失われても存在し続ける。

・(p.29)’articulation’(統合)と’non-correspondence’(非対応関係)が意味するもの
階級の様相は流動的になりがちであるため、支配的社会階級の出現を許さないということ。もうひとつは、この事態は「相殺(compensation,asynchrony)の原則によって、「政治的なもの」(国家)が支配階級の欠落を相殺する方法で社会形成にprimacyを置きがちな状況を生むということ。つまり、政治的側面は社会的側面と、代表制の意味によってではなく、相殺(埋め合わせ)の意味によってリンクするということ。

日韓伝統衣装フェス

この御時世、プライバシーもへったくれもないと、醜態晒す決意。プライバシー云々するほど偉くない。顔が云々するほど己の顔に振り切れていないなんてガキでもあるまいし。半年前の振袖に比べてとても健康な顔。
日本着物コンサルタント協会のスペシャリストがものの数分で繰り広げて魅せたハイビスカスデモンストレーション。他には桜、カーネーション、薔薇の3つ。

後ろ姿は正面よりも多くを物語るとかそうでないとか。多言無用。どうあがいてもこれが私。


ものの数分で。神業。CAUTION! この頭には何も入っていません(笑)



ミス・コリア2004もわざわざクウェートへ。韓国美人は底抜け美人。台湾、韓国の学生とはどうしても日本人並みの「近さ」と同時にどうにもならない「遠さ」がアンビバレントにシンクロするけれど、日本とユーラシア大陸の間に日本海(他の名称を要求する国もあろうが、ここでは便宜上)があるということの大きさは、いかにも「王朝」的なこの装いで弥が上にも眼前に突きつけられる。島国日本、どこへゆく。




ちなみにこのイベントはすべてクウェート政府の予算。何百万、もしかして何千万?世の中結局お金だよね、という台詞は、かつてのホリエモンではなく、ここクウェートのためにある。少なくない出稼ぎ労働者曰く、頭空っぽの寝て食べるだけの成金牛らしいが、彼らを冷ややかかつ温かいまなざしで見守ってあげるのがここでの流儀。ありがとう、クウェート。私の胃袋はオイルでいっぱいだ。





Sunday, October 26, 2008

Le bonheur fragile

‘Le bonheur fragile’ 脆い幸せ

Nous avons été au musée national du Kuwaît hier et nous avons suivi un film au planétarium. Ce film trés banal, usé, ordinaire et suranné a eu l’idée partiale et pas équilibrée sur la possibilité d’existence de hommes de l’espace, et pourtant, j’ai eu le coeur troublé et je n’ai pas pu nier l’heureux hasard et le miracle étonnant d’origine d’humanité une nouvelle fois. Aucune des existences d’humanité n’est normale, naturele, nécessaire et fatale. Je ne suis pas le fataliste, mais comme est-il possible de ne pas respecter notre bonheur trés fragile? Comment pouvons-nous avoir une confiance absolue en la fermeté de nos jambes sur notre mére, la terre? Je ne veux jamais mentionner la supériorité d’humainité qui on cède facilement à la tentation d’exagérer, mais je ne peux être quelque chose sans remercier celui pour qui je ne sais quoi et je veux être autorisée à faire ça. Ce n’est pas mal de penser, retourner au point de départ et me laisser aller au sentimentalisme pour la meilleure vie!

10月30日 日本語抄訳追記
クウェート国立博物館にクラスで行った。最後にはプラネタリウムで地球の誕生とやらのフィルムを鑑賞。ただそれは特に陳腐で在り来たりな「科学的」見地から物を言おうとしていたわけで、やけに古びた偏りが見えないわけでもなかった。とはいえ、と同時に、なんだかしんみり感動してしまって、人類の起源の偶然性の喜びとか驚くべき奇跡とやらに改めて頷いてしまったということ。どんな人間もノーマルではありえないし、当たり前でも必然でも運命的でもない。運命論者ではないけれど、しかしどうしてこんなにも脆い幸福に感謝せずにいられるだろう?どうやって母なる大地につくこの両足の確かさに絶対的な信頼を置けるだろう?人間の優越性の誇張なんていう、駆られがちな誘惑に私は誘われたくなどないけれど、なんだか分からないけれど何かに感謝せずにはいられないし、こうすることを許して欲しいとも思う。たまにはこういうことを考えたり、原点に戻って感傷に浸ってみるのも悪くない気がする。

Saturday, October 18, 2008

傲慢さ

傲慢さとは全ての人間において一様であって、ただそれを明るみにだす手段と方法に違いがあるだけである
L'orgueil est egal dans tous les hommes, et il n'y a de difference qu'aux moyens et a la maniere de le mettre au jour.


もし私たちが少しも傲慢さがないのなら、他人の傲慢さに不平を言うことはないであろう 
Si nous n'avions point d'orgueil, nous ne nous plaindrions pas de celui des autres.

傲慢さはいつも埋め合わせられ、虚栄心を断念する時でも、何も失わない
L'orgueil se dedommage toujours et ne perd rien lors meme qu'il renonce a la vanite.

10月18日

たぶん一番親しくしているポーランド院生のアダと、もう一人の日本人女子と2、3時間話しているうちに、私の「知識人ぶった」話し方に対して、sophisticatedだとかintelligentだとか褒めそやしてくれたので、私はeggheadなのだと自嘲気味に、しかしそのegg具合を愛しているし、どうしても誇りに思ってしまう・・・というニュアンスで話したら(伝わっているかどうか分からないが)、ポーランド語にも近い言葉があると言って教えてくれた。Jayoがeggで、Gtowaがhead。合わせてyayo-gtowy。発音は、ヤヨ・グオウフ。ポーランド語も、お隣のハンガリー語も難しいことで有名だが、(実際、ハンガリーからの2人の留学生のアラビア語は想像を絶している。まぁ、5年とか学んでいて、1年の留学経験があるとかという年季入りなのだが)それでも、日本語ほどとはかけ離れていないよね、と日本通の彼女と笑いあった。(彼女は私がかつて訪れたkrakow(クラクフ)の、寿司レストランでバイトしていたらしい。日本史の知識も大学で身につけたらしく、それに加えてお茶の種類も日本人顔負けに披露するものだから、どうしてまた日本という国や文化に嵌る外国人はこうも徹底的なのだろうと、他の国や文化にも果たして当てはまるのか、しかしそれでも私には土台無理な話だと、いつものように結論づけてしまう)

連日のAl-WatanやInternational Herald Tribuneからいくつか面白いトピックを紹介。

○Al-Watan的には今日の金融危機は我々には影響ない、という調子が目立つ気がする。経済のことは何も分からないのでいかんとも判断しがたいが。

○ここの空気は言うまでもなく乾燥している。どのくらい乾燥しているのかというと、ハンガーが足りなくなったために、二重に服をハンガーに重ねて部屋に干しても、4時間もあればほぼ乾く。しかもばりっばりに。普通に一着ずつかければ、2時間もあれば十分だ。なのにもかかわらず、ワンフロアーに乾燥機が3台も置いてあり(この寮は8階建て)、フル稼働しているのを見たり、ガソリンスタンドの価格表示が20円/Lなのを見たりすると、省エネとかアイドリングストップとかという概念は、あと150年は絶対に輸入されないと思うのであります。で、そんなお国のトップ記事は、湿度が高くて発電所の調子が悪い云々・・・!

○過激主義者の思想リハビリ制度が始まるそうです。もちろん目的はテロ防止とか、イスラムの価値を破壊する者に対してで。ただ、こういうのはかなり問題含みで、政治的にも政治哲学的にも、法的にも、法哲学的にも、社会学的にも・・・かなり危険な匂いがするのですが、イスラム法(Sharia)的にはOKなのでしょう。何人かの教授による報告書が数百ページに渡って提出されたということです。私もリハビリが必要かも。どうぞよろしく。

○基本的にクウェート人は豪邸に住んで、フィリピン人やエジプト人やバングラデシュ人やスリランカ人をお手伝いとして雇っています。外出するときも、そういったアジア人のお手伝いを連れて移動する姿は、一見異様でもあり滑稽でもあり。ただ、やはり、と言うべきか、こういう出稼ぎブローカーとのトラブルや、雇い主による暴力など、問題は色々あるそう。ここで言う「人権」というのは正真正銘の、何代にも渡って住んでいる、筋金入りのクウェート人のためにあるようです。こういうときはフランス人の強引さがやはり恋しくなるもので、世界はそれなりにバランスを取っているようにも思えます。

○クウェート大学学生選挙の結果は、やはりイスラム教主義者(と訳していいのかな、Islamists)が圧勝。事前の世論調査(?)ではthe Mustaqilla(Independents)が優勢だったそうですが。2位にそのMustaqillaが来て、3位にthe Democratic Circle。ただ、Independentsの勢力は年々上昇傾向にあるのは間違いないなさそう。

○Al-Watanは中東地域の情報源として読んでいるけれども、Opinion面のeditorialなんかは、教養がないというか、学問やってないというか、てんでレヴェルが低くてお話にならない。イスラム教の人にありがちな、なんていう危険なフレーズを使うことはしないけれど、「クウェートは完全な(perfect)法体系を持っている。」とか、(もう日本では流行っていないのかな)“言うよね~”という感じ。まぁ、人口300万人の、殆どが出稼ぎ労働者のこの国に、そこまでのレヴェルを求めるほうが野暮というもので、日本で同じ人口規模の自治体に新聞が作れるかというと、そういう問題ではないけれども、やはりそれなりに難しいのではないかと思ってしまう。例えば朝日なんかと比べたら、朝日なんかはあれでも色々屈折してああいうものがでてきている部分があるだろうから、イスラム系紙(と一般化することはないが)ストレートに単純でお子様で高校生の小論文みたいな調子は、無教養と呼んでも然もありなん、というのはやはりまずいのでしょうかね。

○Paul Krugmanがノーベル経済学賞でしたが、彼の人となりを彷彿させる、funnyな文章をMaureen DowdがHard-boiled eggheadsと題して、Palinについて書いていて、面白かった。

○Thomas L. Friedmanは昨今の金融危機の端を発したアメリカの経済政策等について、Americans need to get back to collaborating the old-fashioned wayと言っていて、要は、返せない奴に貸すか?みたいな、基本に戻ろうぜ、という極めて単純化すればそういうことなのだろうけれど、こういう分かりやすい言葉で言えるほど自信のある人というのはなかなかいないものだから、すっきりします。

○‘Other countries have the mafia. In Bulgaria, the mafia has the country.’(1面)と言えるほど、ブルガリアのマフィアはその名を轟かせているようだけど、日本のyakuzaは、あれはあれで誰かが結構研究していましたね。面白そうです、と言ってはいけないのかな。

○お隣もお向かいもアフリカ系なのだけれど、いかんせん廊下にまで香水の匂いが酷くて、ドアを閉めれば問題ないのだけれど、共存というのはそんなに簡単なことではないと、いつもながらに思います。

○アフリカ系仏語話者の発音が、生粋のフランス人のCDに入っているような発音に比べて、かなり聞き取りづらい。初めは何がなんだか分からない感じだったけれど、やや慣れてきた感もある。生粋のフランス人にとっても分からないらしい。安心・・・とか言ってはいけないと分かっていても、安心。

10月17日

仏語で考えるときと、英語で考えるときと、日本語で考えるときの私は違う。もしかしたら、仏語や英語で考える背後に佇む日本語は同じなのだろうけれど、多かれ少なかれ影響は受けていると思う。仏語圏アフリカ諸国からやってきた何人かの留学生に触発されて、仏語のリーディングとライティングをまた始めてみた。そのときに覗かせる仏語の私が、痒いように心地よく、かの言語が持つ色々な問題に抗し切れなくなってしまう。フランスからも知っている限りで3人の仏人留学生が金融やらビジネスやらを学んでいて、そのうちのひとりの男性が、英語があまり得意でないので仏語を使ってくれる。英語の得意でない○○言語母語話者というのが言語学習には最適なのだが、いかんせん、英語英語の世の中でそういう人たちがなかなかいなくなってきている気がする。そんななかで書いた文章。初めに仏語ありきなので、日本語は抄訳。

Je suis désolée ne pas te tutoyer avec des amis qui parlent français, parce qu’il est encore difficile pour moi de faire la distinction entre ‘ton’ et ‘ta’. En fait, j’ai plus l’habitude de vouvoyer, c’est-à-dire, d'utiliser toujours ‘votre’.

(teで話してくれる人たちに対して、活用のひとつ少ないvousで返してしまうことが申し訳ないと思う。)

vous(丁寧な二人称)からte(親しみを込めた二人称)への移行には、それなりの壁が伴うということだろうか。昔の映画ではteからvousへの移行とともに恋が始まる・・・みたいな臭すぎる純な瞬間があったものらしいけれど、年齢が同じくらいで立場が同じくらいならば、今どきvousで始める人はいないだろう。けれどね、私だって使おうと思えばいつだってteを使える。それでも踏み切らないのは、きっとvousの(私が勝手に込めている)誠実さとか距離感に後ろ髪を引かれているからなのだろう。もしかしたら私は日本語でもvousしか使ったことがないのかも知れない。そう思うと、vousに安住することの是非は、砂漠の真ん中に置いて眺めておくだけにしようと思えてくる。


De temps en temps, je pense à la mentalité des personnes qui ont été nées et éleveées dans les pays qui ont été autrefois envahi par la politique coloniale, par example, un grand nombre de pays d’Afrique et d’Amérique du Sud. Je ‘naturellement’ suis contre le colonialisme, pourtant, en même temps, malgré soi, je suis trés contente de pouvoir communiquer facilement en utilisant les lamgues dominatrices, qui sont faciles d’usage. Mais, peut-être c’est l’inquiétude inutile et arbitraine par moi, qui feins l’apparence de bonté.

(ときどき、かつて植民地政策の犠牲となった国々、例えば多くのアフリカ諸国や南アメリカ諸国で生まれ育った人たちのメンタリティーに思いを馳せてみる。私は「当然に」植民地主義的なことに対して反対のはずなのだが、しかしそれでも、同時に、自分自身のそういった思いとは逆に、様々な理由によってならしめられている、その「簡単な」用法の言語(部族語を介す必要がない、という意味などで)で、「簡単に」「実用的に」支配者側の言語でコミュニケーションができてしまうことに満足している自分がいる。しかしながら、おそらくこれは私の余計な、そして恣意的な心配であって、その私の顔が極めて善人ぶっていることだろうとも思う。)

これらの添削をお願いした同じ寮のアルジェリア系フランス人の女の子に、初め、その植民地言語を極めてポジティヴなものとして直されてしまった。私の元の文に舌足らずなところがあって、その場で、口頭で、仏語で説明し直す能力もなかったから、お開きになってしまったのだけれども、アルジェリア系と言っても、バカンスで年に1度訪れる程度の彼女に、それこそ不要な、無用な、余計な、inquiétudeを抱いてしまったのではないかと危惧したのは取り越し苦労だったのかも知れない。

添削と言っても、難しいと思ったのは、単純な日常の内容(例えばどこそこへ行ったとか楽しかったとか)ではなくて、私の面倒な世界観を、可能な限り、それこそuniversalに「理解」してもらえるように努力しても、そういうことに関心のある人でなければ決して内容にまで踏み込めないのである。歳をとればとるほど、頭がいかついてくればくるほど、添削の先生が誰でもいいというわけにはいかなくなってくる・・・と、これは確かに真なのだけれど、外部にばかり原因を求めて終わりにするのは不本意だと思い、以下の文を書いてみた。

La différence entre langues elles-même n'est pas des problèmes. Le problème est ‘la différance’ (par Jacque Derrida), qui signifie que l’existence toujours produit la différence et le retard lorsque nous essayons d’être. Quand j'essaie de comprendre les autres, particulièrement qui vivaient dans des milieux différents, j’ai tendance à m’excuser plausiblement en utilisant les mots, par example, la culture différente, l’attitude différente et la façon de penser différente...mais le plus différent est l’existence produite par soi-même!
(言語の違いそれ自体は問題ではない。問題はデリダの言う「差延」というやつで、存在を現前させようとする歳には常に差異と遅れが生じる、というあれである。他者を理解しようとするとき、特に異なるバックグラウンドを持つ人に対して、私は、文化の違いとか、態度の違いとか、思考様式の違いなどというもっともらしい言葉を言い訳として使う傾向がある・・・しかし、最も大きな差異というのは、自分自身によって生産された存在(だった)のに!)

Friday, October 17, 2008

私の名は、君の名は。

実を言うと私のアラビア語名はbadrriya(バッドリーヤ)になっていて、語学センターの所長さんが初日に付けてくれたものなのですが、後で複数のアラブ人に聞けば、これはかなり古い名前だそうで、日本で言えばおそらく'ヨネ'とか、そういうレベルの、50歩譲っても'和子'とか、そういう年代モノらしいのです。とはいえ、預言者ムハンマドの娘とか妻とか、美しい系の名前だとそれこそ名前負けですから、'満月'というこの名にも慣れてきたことだし、結構気に入っています。太陽よりも月でいたいですね。皆さんには絶対に見えない裏側があるほど奥深い人間なのかどうかは謎ですが。

明日、明後日と御存知の通り、金土がイスラムでは休日です。これだとなぜか一週間が短い気が。頭が腐り始めた兆候でしょうか。

Wednesday, October 15, 2008

何の季節だろう?


クウェートの物価は日本のそれとほとんど変わらないか、物によってはずっと高く(電化製品や文房具など)、生鮮食品に限っては安いようだ。クウェート国籍を持つ「クウェート人」には月に100KD(=4万円)が政府から支給され、私たち30カ国の奨学生を含めて、その恩恵に与っている。街を走る車はベンツかフォードかトヨタのレクサス等の高級車が9割で、クウェート大学の学生の多くがそういった車を乗り回して登校している。ブランド物を惜しげもなく披露し、でっぷりとたわわに実った、とでも表現したくなるような「石油」腹を突き出しながらふんぞり返って炎天下の街を闊歩している・・・というのは決して悪意が込められているわけではなく、現に私の腹も石油で満たされているわけで、私のアラビア語力も石油でできていくし、使用人的立場にある、色黒で大体はやや細身のインド人やスーダン人やスリランカ人やバングラデシュ人やフィリピン人のおばさんたちはヒエラルキーのほぼ最下位に置かれながら、食っても食っても餌を欲しがるデブ娘たちに飯を3食用意し、娘たちが汚すトイレを掃除し、娘たちが排出するゴミを回収し、祖国に送金している。

言うべきことは色々あるのに、それをひとつひとつ消化する時間がないのが惜しい。

貧しさや豊かさがある。階層も階級もある。社会的にプラスに働くこともマイナスに働く要素も各々、それぞれが揃ってその人自身を形成しているのは言うまでもない。しかしながら、最低限の基本的な衣食住に困窮したり、生命が脅かされたり、生きる希望を失ってしまうほどの過酷な労働を強いられたり、銃弾の飛び交う環境で身を潜めていなければならなかったりするような「不幸」は避けましょう、避けたいですよねというのがとりあえずの、おそらく、地球上すべての人がおおよそにおいて納得できる世界的なテーゼだと思われるし、そうであってほしいとも思う。しかし、絶望的な格差に涙を落としても、結局は己の生を引き受けていく。甘受する、という言葉もある。身の丈や、身分や、一分を知るということ。ならば涙のすぐ乾く人は、その一分を知るときに、己の血肉、細胞、脂肪が何でできているのか、腹が何で満たされているのか、それに思いを馳せ、一分を再画定する作業を繰り返さないと、腹はいつまでも突き出たままのような気がする。己の細胞やバックグラウンドや排出したものにまで思いを致すことは、かなりの難儀であって、それに耐えうる人間性を持ち合わせている者は決して多くない。そのほうが社会はスムーズに動くし、精神安定剤の需要が減るくらいだ。・・・なんて、口をパクパクしながら言うことでもないのだが。

クウェートでは、日本で言うような「普通の」ノートが存在しない。「普通の」とは、いわゆるCampusノートとか、小学生ならジャポニカとか、紙がそれほど白く厚くはないけれど、1000年持つとかという王子紙で、再生紙を使用し、糸で留めてある、30行×30枚綴りの薄いノートのことだ。高くても100円、まとめて安ければ一冊あたり20円程度の優れもの。ところが、ここでは最低800円、平均的には1200円で、紙もおそらく再生紙ではなく、やたらと白く、リングがでかく、人口の少ない町のタウンページを遥かに凌駕する厚さで、非日本人学生によくあるように、鞄には入れず、剥き出しで抱えられる。これをあえて解釈すれば、「書き」や「書かれている」ことを重視し大切にするイスラム文化?とも言えなくもないかも知れない。日本のものと比べると、可動性に劣るところでは、腰の据わり具合が決まっているとも言えるのか。庶民のリテラシーが広範囲に渡らないとか、無理矢理こじつけて見るのも愉しい。「書く」ということは実は大変なことなのだ。初めに文房具の物価に言及したのは、そう言えばこのためだった。

Because you are a woman, above anything else.というフレイズがショッピングモールの水平エレベーターの脇に書いてあった。 イスラム特有の女性観・・・というわけでもないが、イスラムの女性観をよく表しているといえる。大事にされ過ぎて、身を隠し、家に篭っている彼女らを、「私たち」のパースペクティヴでは、「社会的地位が低い」と判断されうる。ところが、例えば当の日本でも、男女の雇用格差や賃金格差は未だに程度の差こそされ残っているし、アメリカでだって、男女の社会的ステイタスとしての扱われ方が完全にイーヴンだと言える人は少ないだろう。これは完全な憶測と感想にしか過ぎないけれど、家で篭って家のことだけをやり、動かずにでっぷり太り、男性の庇護のもとでぬくぬくと温かく暮らすほうが、社会の風圧に晒されず、「ラク」なのであって、「合理的」なのかも知れない。ただ、「近代的な」ここクウェートでは、そうでもない女性が多そうなのだけれど。至高の女たちよ、どこへゆく。

もうひとつ、それに関連した話。私たちの部屋のトイレの水が出なくなり、すぐに業者を呼んでもらった。2人のインド系(こういう下働きはほとんど出稼ぎである)男性エンジニアが、女子寮に入るわけだから、これは大変だ。寮母が「ラジ~~~ル、ラジ~~~ル!!」と叫び、女たちは身を隠し、部屋から出ない。「ラジュル」とは「男」であり、日本語で言えば、「おとこ~~~!おとこ~~~!」と言っているようなもの。「男が来るから気をつけろ」という意味だ。ルームメイトの日本人はそのとき半袖を着ていて注意され、慌てて長袖を羽織った。なんとも面白い話。

これも雑感だけれど、「隠す」という行為は見えないものを秘め、想像する余地を残しているわけだから、ぶっちゃけた話、スカーフを被っているほうがよっぽど綺麗な(感じのする)子は多い。脱いでみたらそうでもない、そこにあるものとして限定されてしまう。可能性の問題。

女は社会的にも生物的にも弱い存在であり、男に守られるべき、というイスラムの文化に反して(?) 、女子学生のほうがよほど英語に長け、賢く、優秀で努力家であるケースが散見されるのは何故だろう。「開明的」なのは女性のほうであるのかも知れないとさえ思う。

同じ状況を共有している2人の間で、男が分かっていないことを女が分かっているという状況はすぐに思いつくけれど、その反対は(私が女だからか)思いつかない。アラブの男は(とすぐに一般化するのはよくないけれど)概して“平均的に”アラブ女性より単細胞的な感は否めない。

昨日、寮の歓迎会があり、私たち外国人留学生に向けてアブラ(寮母)が延々と長々しい話をした。まとめると、私たちはあなたたちが心地よく過ごせるようにベストを尽くす。完璧ではないが、ベストを尽くしている。あなたたちの要求(夜9時半以降に外出したい、旅行したいなど=いわゆる「普通の」ムスリマには考えられないこと)には、あなたたちの大使館の許可を取って、その「責任」のもとで行動して欲しい云々・・・。この話の中に何度「責任」という言葉が登場しただろう。クウェート航空の一連の騒動でも感じたことだが、彼らは(意外にも)「責任」の所在を明確にしたがり、その仕事はいかにも官僚的ですらあると思える。書類がすべて、であったりもする。ここで生活していると、一日に何度も「インシャアッラー」を耳にする。自分のこれから取る行動に対して言及する際、最後に付ければ完璧だ。あとは自分の基準で「頑張り」さえすればいい。人間の力は偉大なアッラーに比べれば何とも非力なもの。この世は人智に及ばないことばかり。完璧ではないが、頑張る。あとは、どうにもならない。アッラーが何でもお見通し。私の(いい加減な)印象では、「自分が頑張る範囲」にのみ、人間がタッチできる「責任」があって、そのあやふやな「範囲」の線を一歩出れば、天に(メッカに?)飛んでいく感じ。「範囲」の中では、「責任、責任」と言いますのよ、ということだ。その「範囲」が意外と広いのか狭いのか、これから徐々に明らかになりそうだ。

クウェート大学の学生自治会の選挙が一昨日行われた。驚くべきポイントは、party(政党・・・と訳すしかない)が存在していてAl-E’atelafiya(ぶつかって跳ね返るという意味らしい), Islamic Alliance(イスラム同盟)、Independents とDemocratic Circleの4つ。前者2つは保守系で後者2つがリベラル系。学生選挙が始まってこの方29年来、リベラルが勝ったのは1回だけ。あとは80~85%の支持率を誇る保守系が依然として優位にあるらしい。日本の場合は自治会=民青=共産党、と繋がっているように、彼らも議会と繋がっていて、予算の勝ち取りがカギとなっているそうだ。ただ、写真のように、学生の関心は(異常に?)高く、男女が集える(=同じ空間に存在できる唯一の場所という意味で。なぜならば大学の授業は全て男女別で、男子向けの講義が女子に開講していないとかその逆もよくあるくらいに、建物自体が入り口からして分かれているのでこういったスペースは非常に限られているので。)ところでは、男がパンフレットを振りかざして党の名前を連呼し、腕を天に突き上げ、精神の興奮状態に陥った輩が時たま摘み出され、乱闘状態にすらなってしまい、取り巻きは身の危険さえ感じてしまうくらいで、日本で言う自治会が完全にアウェイな存在であるのを思えば、今クウェートは政治の季節ということか、はたまたこの政治性が今までもこれからも続いていくのか、面白いところでもある。これがpolitical awareness/consciousness(政治意識)の「未開」の「発展段階」にあることを意味するのか、日本のような無関心やア・ポリティカルな状態が「成熟」を意味すると見ていいのか、確か、「成熟」をテーマにしたシンポジウムだったか連続講義の宣伝が本郷に貼ってあったのを思い出すと、語るべきものは既に「成熟」という点でしか私たちには残されていないのかとさえ、自嘲してみたりもする。

クウェートの英字紙Al-Watan(=Nation)はさずがに中東とイスラム地域をカヴァーしていて、なかなか日本では馴染みの薄い地域も展開している。スーダン南部では、イスラム地域の北部に比べてリベラルであると思われていたのにも関わらず、細身のジーンズを穿いた女の子たち数十名が逮捕されたらしい。今では解放され、数名は途中で逃亡したため、行方不明。いわゆるスキニータイプのジーンズは、数年前、どこの国が流行の発信地点だっただろうか、と思い起こすと、アウトサイダー(外部者)が作り出す流行の波に人身や精神さえも翻弄される彼女らの運命に、ため息でもついてみようかという気にもなるものだ。

Al-Watanは中東・イスラム地域をカヴァーしているのに対し、その他の地域には関心がないらしい。そのためかどうか分かりかねるが、The New York TimesのInternational Herald Tribuneが付いてくる。寮の玄関ロビーには、それが山のように積み上げられ、ご自由にお取りください状態。お得な環境だ。The Japan Timesと同じように、The New York Timesの文章表現と比べると、やはりお粗末な英語の感は否めないものの、こんな小さい(と言ってはいけないが)国でよくやっているのではないかとも思う。そういえば、1ドルが100円切ったなんて数日間気づかなかったけれど、よほどの番狂わせが無い限りマケインはないのかな、なんて思わせるのには、日本よりは十分だったりもする。手がどうしてもObamaと書きたがらない白人がどれだけいるのかにもよるらしいけれども。ああ、アラビア語で新聞を読める日は一体いつ来るのだろうか。

それにしても、フランス語しか分からないベニン(アフリカ)の女の子と、なんちゃら語(ごめんなさい、マイナー過ぎて覚えられない)しか分からないタジキスタンの男の子は、どうやって英語を介さずにアラビア語をこれから学んでいくのか、「長い」とか「短い」ならジェスチャーで説明できるものの、抽象概念が入ってきたらどうなるのか、(フランス語なら通訳してくれるセネガル人やコートジボワール人や私?!がいるけれど)私は心配であります。またまたそれにしても、いくら言語の多様性が重要と言っても、日常会話レヴェルに満たない英語よりアラビア語のほうがよほど得意な各国のアラビア語学習者は、これからどんな職で食べていくのか、こちらも興味津々であります。

今日はここまで。当たり前のことですが、コミュニケーションというものは、相手のレヴェルに合わせて進んでいくものであります。ここ1週間、(私にとって)難しいことを考える機会がなく、やはり独りでは限界があり、以前にもまして頭が腐ってきた私は、日本に帰ってから皆さんにご迷惑をおかけしないか心配でもあります。英語と、少々のアラビア語と少々のフランス語ばかりを使っている日々では、日本語も鈍ります。鈍らないように日本語の本を持ってきたのに、読む時間がないとは。いやはや。

Monday, October 13, 2008

How I am

夕暮れのアザーンから殺那、再びの声に外を見遣れば闇に沈む神の街。この数時間で私はどれだけの単語を書き付けることができただろうか。すべてはマクトゥーブ(=書かれた)とするなら、私の生もまたここに刻まれてゆく、一日の終わり。

夕暮れ。アザーンの響き渡る街を部屋の窓から。


勉強風景(今はもっとカオスな机上)



ある日の寮の昼食(思っていたよりも美味しいので食事が唯一の楽しみ。ただし高カロリーと油分に注意)
ビーチ(右下はポーランドのアダ)

部屋に貼ってあるメッカ(Makkah)の方角
総計33kgのスーツケースと15kgのバックパックに詰めただけある本(現実はアラビア語で精一杯で読む暇なしという悲しみ)
支給された毛布とシーツセット(今では1000円程度の布団をもう一枚購入しました)
広すぎる部屋


Friday, October 10, 2008

10月7日(火)

寮の部屋も食事も通学バスもかなり快適だが、ひとつだけsuckingなのは、持参PCにネットがつながらないこと。インターネットという唯一の外部世界への扉が閉ざされたままで、この幽閉生活を送るなんて、精神的に無理というもの。というわけで、しばらく自分のPCのWordで打って、CD-Rに移して、コピペして・・・という方法しか思いつかない。日本語でのメールもしかり。

クウェートへの道のりは果てしなく遠かった。説明する気も失せるくらい事態は込み入っていて幻滅なのだが、近況報告と記憶のために一応記さねばならない。日本語と英語も鈍らないよう。

Oppose your affection to find rationality.という諺がアラビア語を今更オン・ザ・トピック(on the topic)にしようとは思わない。ただ、今回の諸悪の根源は、日本人留学生の受け入れに際しての事務手続きに誰がどの程度どのように「責任」を持って業務に当たるのか、ということが、(少なくとも)私たち当の日本人学生の目には甚だ不透明であり混沌として映ることに関連がないとは言い難いように思う。アラブ圏における「責任」概念の所作等に無知である私がとやかく言う資格はないかも知れない。しかし、これだけは言える。航空券の発券がうまく行かず時間を食うのも、日本人担当者のちぐはぐな対処や的を射ていない思考回路、作業プロセス(それが怠惰という後天的な気質によるものなのか、その人の固有の人間性や能力なのか、はたまたアラブ圏の文化(がそうだとすれば)に影響されたものなのかは判別し難い)によって生じたビザのスタンプ不取得という状況、それに伴う日本人学生や関係諸機関の体力的時間的金銭的消費等を総合的に考慮したとき、得をする者が誰一人存在しないということである。

早ければ早いほど、安ければ安いほど、スムーズであればスムーズであるほどよい、という合理性を追求するうえでの最低限の根本的な前提条件はかくも脆く、普遍的でないという事実は、今に明らかになったことではないが、実際に大変な状況に身をおけば、回りを見ても、自分を見ても、誰一人「良い」思いをしてはいないのだ。日本的(非アラブ的?)に言い換えれば、誰も得をしていないのだ。

どうして「良い思い」をあえて捨てて「大変な思い」をしなければならないのだろう。人間、楽に生きる必要はないのだ、なるようになればよいのだ、死ぬことはないし、クウェートに永遠に着かないこともない、何をカリカリしているのだ・・・?と言う反論もありうるかも知れない。 「良いほうが良い」という「良い」の価値も共有できないこの断絶に絶望する必要はないのだろう。今回のことも(これからのことも)単なる日本人担当者のミスだと言ってしまえば済む話かも知れない。それでもなお、私も脳裏に蠢く「なぜ?」の渦は、きっと無視できないほどに、後で煌びやかに登場する羽目になるような気がしてならない。まるで、付き合い始めの男の癖に感じた違和感が、後の離婚の原因になるように。

最後に、「今回のこと」をある程度具体的に紹介しておこう。今回のクウェート奨学生の合否決定がなされたのが8月1日であるにもかかわらず、航空券の予約が最終的に決定されたのは10月入ってからであったし、ビザの発給は9月26日か30日を選べと言われたのが24~25日にかけての真夜中であった。関西から数人がわざわざ東京に出てくる必要があるため、事実上不可能であった26日に代わって赴いた30日にはクウェート大使館はラマダンの最後の休みで閉館しており、ビザにスタンプを受けることができなかった。クウェートの日本人担当者はこれを知っていたのか、確信犯的に無視したのか定かではないが、とにかくスタンプは受けられずに出国する羽目になった。このことに関して連絡しても応答は得られず、後にこれが意図的に無視されていたことが判明した。

成田や関空で小規模のトラブルをそれぞれ経たあと、6時間のフライトでバンコクに着き、12時間トランジットを待たなければいけないという素晴らしいチケットのおかげで、午後3時から時間を潰した後、午前3時の出発に備えて午前1時ごろ搭乗手続きを開始しようとしたところで、ビザにスタンプがなければクウェートに入国できないため搭乗を拒否され、その交渉や連絡調整に努めたものの、日本大使館自体に権限はなく、クウェート航空本部の指令がバンコク支部に必要であったり、クウェート空港の入国管理の承認等が必要であったりして、結局フライトには間に合わず、関空組は空港で野宿、成田・中部組はホテル宿泊となって1日見送った。

当初、日本人担当者は、日本に帰らせることを示唆するなど、特異で奇抜でシュールでとんちんかんな発言を繰り返し、私たちをやきもき&どぎまぎさせたが、様々なプロセスの後、無事に搭乗することと相成った。特定の人を誹謗中傷したいわけではないが、日本人大使館員には「想像力」だの「思いやり」だのがないのだろうかと訝しく思う。私たちがどんな思いでどんな決意で休学届けを出し、パッキングをし、空港までの長い距離を重い荷物を運び、家族と別れ、今こうしてここにいることに、どうして思いが働かないのだろう、と。どうして言えるものだろうか、「万一の場合、(日本に帰ることになるかも知れませんから)クレジットカード持っていますか?」なんて。

今回の予期し得なかった出費を誰が負担するのかについては、まさしく「責任」の所在を追及することであり、その損害賠償が確実になされるよう、日本大使館に対してはあきらめずに訴えていくしかないように思う。金額的な問題もあるが、これは突きつけられた「責任」概念との挑戦状に受けて立つことでもある。ただ、事態をより面白くしているのは、途中にクウェート人を媒介すると言っても、当事者の双方は日本人であるということかも知れない。

もうひとつ、仕事をしないのかできないのか分からないが、もしできないのだとしたら、これほど痛々しいことはない、というのが素直な実感であると言えるかも知れない。

Sunday, October 5, 2008

出発前夜

私に連なる大事な大事な大事な人たちの思いに背に、
溢れんばかりの感情はただ、それぞれの変わらぬ日常。
多くのことは望みません。
朗らかに生きていればそれだけで十分なのです。

祖父母よ、母よ、父よ、
あまり老け込まないでください。
ただただ元気でいてください。

私の知っている人が
誰一人、悲しい思いをしなくて済むように。

神様はどうして「ありがとう」以上の言葉を
お作りにならなかったか。

私は、今日、日本を発ちます。

Friday, October 3, 2008

ウィットか違和感か

朝日新聞の大好きな「反貧困」。何日か前に、路上生活女性たちが「連帯」して「生きにくい」路上生活を乗り切っていこう的記事が。その中で、藝大院修了の女性の話。藝大を出たはいいけれど、年収は200万程度。(超一流でもなければ、芸の道にこだわって、講師etcで食いつないでいくのは大変なこと、これ自明)知り合いの男性の、お金にこだわらない生き方に魅力を感じ、路上生活を始めたとか。(細部は違っているかも。大筋で合っているはず)同じ路上生活の女性たちと協力していきましょうというような運動を始めたらしい。

朝日的には、見よこの格差社会云々・・・以上のものは言っていない気がしたのだけれど、まずひとつは、そもそも路上生活が生きやすいわけがないだろうということ。女性ならなおさら、踏んだり蹴ったりされて、卑猥な言葉を浴びせられるのは、これある意味仕方のないことでは?誰でも路上生活を快適に行える社会である必要が果たしてあるだろうか?路上よりも、家の中に住んだ方が快適だから、多くの人が屋根の下に住んでいる。他の方のケースは様々だろうが、とくにこの女性の場合は、自ら、その生活文化やイデオロギーに共感して、自発的に、積極的に、路上生活を始めたと読める。200万では確かに生活は崖っぷちだろう。しかし、路上生活にまで足を踏み入れる必要性は必ずしもあったとは言えない可能性も、(あくまでも)この文面からは読める。

路上生活者がその生活を快適だと喜び、我も我もと路上生活を始めたくなるような社会は異常だと思う。これは論証不要。施設でいじめに合ったとかという理由も多いらしいが、どんな理由でも、路上生活自体を快適にするよう、路上生活者を守るよう、どうにかせよ、というのは何か違う。

やはり、当面の生活資金と、アパートの賃借に必要な資金を低利子で提供して、職業訓練を受けさせ、定職に就くよう指導するのが、行政のやれることであり、限界だと思う。はっきり言って、街行く人々に、一般市民に、ホームレスの問題をどうにかしようよ、と呼びかけるのはかなりお門違いな感じがある。こういうことに関心がある人は既にボランティアやNPOで活動しているし、それ以外の人が(自分を含め)、ホームレスや格差の問題に無関心なのでは決してないと思う。違和感を感じていなかったら、どうして彼らから目を逸らすことがあろうか。問題は、この違和感である。

それでも、そういうことが既に行われていても、世知辛い俗世に背を向けて、あえて路上を選んだ人(が本当にいるとすれば)に対しては、我々は成す術を持たないし、自分で選んだ(としたら)以上、「生きにくい」なんて文句をつけてもらっちゃ困る。

これは単なる自己責任論ではない。生活能力のない人を社会がどこまで面倒見るべきかという、政治思想上の伝統的な問題。本当に生活能力がないのか、自ら放棄したのかは、区別すべき重要な点だのに、一緒くたにしているから、朝日の視点がぼやけて、こういう突っ込みをする人が出てきてしまう。もしかしたら、朝日的だと従来思われている方向に、微弱ながらも抵抗したい、記者のウィットだとしたら、その可能性を初めから採ってあげなくて申し訳ないと思うけれども。

3 nights left

自分の布団で寝るのも、今夜を入れてあと3回。寮のベッドは最低限に硬くなく、枕や布団やシーツが清潔ならそれでいい・・・という具合に全く期待していない。寮の食事は、噂どおりに高カロリーで不味かったら、異文化理解は即中止し、市場で新鮮なバナナでも買って、日本で今流行のバナナダイエットに切り替える。学校の授業も、噂どおりに手抜き感満点だったら、いつもの教科書を、アラビア語専攻の頼もしい友人に教えてもらいながら、じめじめと進めていくしかない。英仏独西をバランスよく回して、ある程度の量を確保しつつ、忙しい日本の生活では絶対に読む気の起こらない積読たちを消化する。・・・今現在描いている、マンネリ化してストイックなクウェート生活。こううまく行くまいが。

私はクウェートに何をしに行くのか?中東文化圏生活の経験とアラビア語習得が表向きの理由。人生のモラトリアム、が準裏的理由。もっと敷衍すれば、日本以外の環境に身をおいて、皮膚の改善に努める。良くなれば1年後、化粧ができるので就活し、良くならなければ、他の道を考える。要は、心身の改善。これが、本当の理由である。だからすべてを賄う奨学金がもらえれば、どこでも良かったし、できれば2月に応募したカナダの方が明らかに環境は良さげだったのだが、カナダだったら、こんなに皆に送られることもなかったろう。カナダは想定の域を出ないだろうし。

最近、かつて登録した就活サイトや企業から怒涛のメール、日に20通は下らない。これからの約半年間。皆色々な経験をして、社会人の厳しい顔つきになっていくのだろう。それが羨ましくもあり、哀しくもあり。

ノイローゼになるとか、欝になるとか、色々脅かされるけれど、私はどこまで落ち込み、どこまで落ち込まないのだろう。欧米生活のそれとはまた質が違うだろうから、想像がつかないけれど、江口洋介のDVDがあれば大丈夫なんじゃないかと楽観。(日本生命の最新CMもかっこいいです)

携帯も解約。1年後に携帯を不要とするようなキャラになっていたらウケる。最後まで渋っていた保険にも加入。病気と事故、盗難の3つを付けて1年で73,500円也。最安値に近いほう。仕方ないかな。今までクレジット付帯の保険で済まし、使うこともなかったけれども。

I've just started packing. 遅すぎるとの評判。私はまだ決めていないのだ。どの私を日本から持っていくのか。

Thursday, October 2, 2008

身の丈


ラマダンもいよいよクライマックス。写真は30日にカアバ神殿に集ったムスリムたち。ラマダンのあとにはعيدالفطر ('aid al-fitr=the Feast of Breaking the Ramadan Feast)と呼ばれる祭りがあるらしい。シリアの友達も、トルコの友達も実家に帰って、在クウェート日本大使館も、在日本クウェート大使館も休み。ちなみに10月6日は1973年の第4次中東戦争への勝利として、シリアは祝日。要するにずっと休み。
   私は特定の宗教に没入する気は毛頭ないけれど、キリスト教であれ、ユダヤ教であれ、イスラム教であれ、人智の歴史と哲学etcは心から咀嚼したいと思っている。神がいるから信じるのではない、信じるから神がいるのだ、とは真理だけれど、かくも人間は信じられるのか、信じることの功罪を考えて、荘厳な雰囲気の宗教施設(教会にせよシナゴーグにせよモスクにせよ・・・)に身を置いて、高貴で霊験あらたかな空気や祈りの声、一心不乱に祈る信者らの全身全霊をかけたような思いつめた態度を目の前にして、信じることの重さに押しつぶされそうになりながらも、必死で涙を堪えるしかないのだ、ただのひとりの日本人にとっては。神は、彼らの祈る心の中にいるのであって、私の中にあるのは、神に代わる「ような」ものでしかない。ただ、ローマ時代の遺跡の中にしばらくいると、歴史の中に自分が埋もれて、舞い戻って行くように、その連綿とした「思い」を受け継いで繋げるのが、宗教のひとつの役割なのではないかと思えてくる。
   人間は、真理の不存在を知りながら、それを追い求めて生きていく。それが生の営みなのだと思う。特定の宗教に縋れば、真理は上から与えられるものであって、自分でcreateする必要はない。そもそも自分でcreateなぞできるものかという問いもあろうが、それはひとまずおいておいても、宗教の力を借りれば、絶対的に楽である。悩みは宗教の提供するその価値観と枠組みの中でぐるぐる回るのみだ。宗教の助けがない人は、自分でどうにかしなければならない。宗教は最低限のラインを提示してくれるが、そうでない場合は全くの自由裁量だから、個人間の差が大きい。言うなれば、宗教は信者の知を守っているのだろう。ユダヤ教のタルムードは、実に難解で、不明瞭な点が多く残る。信者は必然的にその議論を敷衍する。問う。考える。ユダヤ人に飛びぬけたインテリが多いのも納得できる。
   言語によって、思考に向き不向きがある。ちょこちょこ読んでいるAndré Comte-Sponvilleの Présentations de la philosophieの冒頭。" Philosopher, c'est penser par soi-même; mais nul n'y parvient valablement qu'en s'appuyant d'abord sur la pensée des autres, et spécialement des grands philosophes du passé.・・・"(哲学者、それは、自分自身で考える人。しかし誰も他の思考にもたれずにきちんと最初に到達できるわけではない、とりわけ過去の偉大な哲学者たちには)なんて、英語や日本語で言うとものすごく陳腐なのに、フランス語で言うと、その音も手伝って、ものすごく高尚に聞こえ、しかもその単語の他の意味たちまでもがじんわりと味わいを見せてくるから素敵。
    きっとその言語や文化にそれぞれの「身の丈」があって、適性があるのだと思う。「身の丈」は一度打破して、また戻ってくるのによい場所にしか過ぎない。

頭の悪い美人

美人なのに頭が悪いというのは救いようがない。いわゆる今流行の「おバカ」ではなく、頭がよろしくない人のことである。そういう場合は開き直れるキャラでない人がほとんどであって、余計に痛ましい。

女子アナと呼ばれる人種は、最近はほとんどの場合、外見とコネ採用なわけで、彼女らに知識や教養を求めるほうがお門違いというものなのだろうけれど、昨日の「笑ってコラえて」(私のお気に入り)で、日本に居住する外国人で、その国籍数の少ない国を所ジョージが任意に抽出して、会いにいくというコーナーで、セルビアが選ばれた。全国に20人足らずで、フランス人の8000人やイタリア人の2000人からすると桁違いに少ない。必然的に日本に居住するセルビア人というのは、インテリになるわけで、番組がスポットを当てたのも、東大の院で宗教学を専攻する男子学生だった。彼は、高校生のときにテレビで見た剣道に惹かれ、やがてベオグラード大学で日本語・日本文学を専攻し、文部科学省の奨学金を得て慶応で一日16時間という猛勉強を続けたのちに、日本人の「ユニークな」宗教観念に研究対象を見出し、現在に至る、仕草も態度も日本人より日本人らしい努力家の好青年だ。彼によって召集された8人のセルビア人がパーティーを行い、それを夏目というアナウンサーが訪ねるのだが、番組の「リトル・セルビア」を作って欲しいという依頼のもとに行われるわけであるから、当然彼は玄関で女子アナを「ドバルダン」(=こんにちは)で迎えるのだが、そのアナウンサーは、セルビアの「こんにちは」さえも調べずに来たらしい。その後、セルビアの民族衣装を着せてもらって、「自分でもかわいいと思う」とおおはしゃぎの様子だったが、会話の内容を見ても、ある程度の知識層であるだろう彼らと話がうまくかみ合わず、かわいい顔でにこにこしている姿が実に痛々しかった。

私がここで言っているのは、机上の勉強ができる「頭の良さ」ではなく、最低限の礼儀やコミュニケーションの基礎を真摯に実践できる人のことだ。こういう場合に、美人はつくづく不利だと思う。美人であるがゆえに、美人でなければあらかたあきらめられたであろうことを要求され、失望されるなんて。しかしまあ、美人は美人であるということだけで生きていけるから、頭が腐ってしまうのかも知れない。私も美人だったら、こんなに(?)勉強しなかっただろう。東大にももちろん美人はいっぱいいるけれど、美人すぎてどうにもならないほどの美人には出くわしたことはない。あえて言えば、もちろん美人だけれども好みの分かれそうな美人ということだ。

ブスはブスなりに苦労が絶えないが、それは内向きの苦労であって、誰かを落胆させたり傷付けたりはしない。美人は美人ということだけで生きていることに気づかない人も多く、自分の頭が腐っていることにも悲観したりしない。傷つけるのはただひたすら、寄ってきた愚かな男どもや、それにとどまらない、周りの人々だ。

ブスは、頭の鮮度を維持する努力をするだけで、ブスなのに偉いというイメージを抱かれることがある。ブスなのに仕事ができれば褒められるし、気が利けば株も上がる。これは単なるルサンチマンでも僻みでもなく、この歳になると、心からそう思える。ブスは美人の気持ちを想像するのに難くないが、その逆は困難だ。

ペイリンも黙っていれば知的な美人に見えるのに、しゃべり始めるとただのバカであることが露呈するからもったいない。テレビ局のリポーターくらいが彼女には合っていたのかも知れない。ブラウン管を通じて、彼女の美しい笑顔を振り撒いたほうが、マケインがくたばったときに代理で務めて、破局的な結果に陥るよりも、公共の利益に適っている。にこにこ笑っていればすむ仕事がどうして世の中にこんなにあるのか、幼少時は疑問だったけれど、綺麗なだけの彼女たちを生かすために昔からある知恵なのだと最近とくに思う。

身の丈に応じて生きることの大切さ。「身の丈」が早く、適切に分かるのも実力だ。その実力を備えなければ。