Monday, September 29, 2008

出発日

二転三転四転・・・を繰り返してきたクウェートへの出発日がようやく決定。何が起こるかわからないアラブの論理。離陸まで侮れないけれど、ひとまずこれで準備する気が起きるというもの。切羽詰まらないと何事もやる気の起きない性分ゆえ。
10月5日(日)午前11時タイ航空成田発、バンコク時間午後3時着。一晩空港で夜を明かし、6日の朝というか夜中バンコク時間3時にクウェート航空バンコク発、クウェート時間朝6時過ぎ着。

この奨学金はかかる費用は全部クウェート政府持ちゆえ、チケットもまた然りですが、そのチケットが正規の値段なのでしょう、818KWD(クウェートディナール)、1KWD=400円、日本円で約33万。この値段を出すなら、もっと乗り継ぎのましなのを・・・。空港を出られたとしても、バンコクを観光する気分じゃないし、かと言って12時間缶詰は私史上前代未聞。何もない(本当に何もない、喫茶店もない)モスクワでダマスカス行きに6時間の乗り換えでブーブー言っていた自分序の口でした。

それにしても、本当に行くんだなぁ、という間の抜けた感慨。写真は、麻生の所信表明演説を聴く過去の4首相s。何となく写りが良かったので、時事通信より拝借。

I will fly to Kuwait on Oct 5th from Narita via Bangkok, where I will have to wait for 12 hours to trasit!

少子化対策

Here, I would like to propose new and revolutionary measures to counteract the falling birthrate. For women who want to seek higher education in the graduate school level, not directly from the undergraduate, after working a few years to save money for tuition fees and living expenses for the coming 2 or 5 years, the period with fecundity is too short. For example, graduated from the undergraduate at 23 years old, working for 4 years from 23 to 27, and studying again from 27 to 29 (or to 32) women have left only from 5 to 10 years to have a baby. So, how about making possible to begin their primary education one or two years earlier than now, namely at 4 or 5 years old? As long as I remember, the first one or two years at elematary school were too boring and easy for boys and girls of abilities, so it is not impossible to make shorten those years or make the beginning just one year earlier. If women could finish their education and careers to prepare the future one more year earlier, they can surely afford to have a baby with more time to spare.  個人的願望です。

anger and Beruf

It cannot be helped if I become indignant with an inept doctor, who has terrible difficulty in handling symptoms which are beyond his ability. If I was not attracted by social science and my symptom of atopie was returned when I was a high school student, I would definitely be determined to learn medicine and become a dermatologist, who is not ill-tempered just unlike most of the dermatologists in Japan, thinks twice sympathetically and genuinely about patients and never be negligent in keeping studying earnestly my specialty and never be a slave to a certain principles and positions. Never too late to learn? No, it is too late and I would like to believe that it will not be my "Beruf".

Sunday, September 28, 2008

暴論:Hopeless Japan?

オバマは演説だけでなく論戦もうまくなった。これはひょっとするとひょっとするかも知れない。今度行われる副大統領同士の論戦で、ペイリンが株を下げれば尚のこと。

小泉の引退で、猪口邦子のコメントが「小泉チルドレンと呼ばれることが誇りだった」首相との会話はメモにとり、教科書にしていた。「100冊もの理論を読んできたが、本にはない政治の原点を学ばせてもらった」。

・・・だそうです。唖然。別に小泉のところに誰の名前を入れてもいいのですよ。そりゃあ、小泉さんから学ぶことはないわけではないでしょう。誰からでも何かしら学ぶところはある。学術書と生の政治の世界の違いに目を見張ることもあるでしょう。

それにしてもそれにしても、「誇りだった」なんて、どの面下げて言うものなんでしょうか。学者としては準一流には入るだろうし、国外にウケている日本人研究者といしては特に旦那は超一流なのに。桜蔭中からすぐアメリカに行ってしまうとそういうメンタリティーになるものなのかな。本当に心からそう思って言ったコメントならば学者として失格、困った人だと思うのだけれど。(猪口氏は現にいろいろ“困った”と言われているそうだが)

朝日新聞が載せそうな読者投稿に、障害者施設だったか老人ホームだったか、どこの誰でもいいのだけれど、要は、そこでボランティアだか働いている人が、そこの人を見て、首相が変わっても政治に希望が持てていないようだ云々・・・と。

政治に希望が持てないことはそんなに悪いことか?政治に希望を持つ必要があるのか?オバマのChange!には確かに希望が感じられてしまう。実際に、黒人系が大統領になるというのは画期的なことだ。アメリカの選挙キャンペーンというのはお祭りみたいなもので、あれで興奮するのが大衆というものだ。しかし、なぜあれ程までにオバマ、マケインに希望を託してしまうのか――言うまでもない。この8年間と比べたら何だって希望に見えてしまう。

ここからの暴論仮説。政治の希望を託してしまうのは、現状やここ数年の状況が悪いけれども、まだ人為的に政策的に解決や改善が可能であり、それを可能とする人が存在すると信じられるからである。これは、独裁状況下において、「大統領なんて誰がやったって同じさ」と言う庶民のケースは考慮に入れない。ある程度、民主的で、人々が圧制に苦しんでいるとは言えない体制下での前提だ。

現代社会の仕組みは言うまでもなく複雑化、専門化しており、政策決定過程も、その政策自体も複雑で、何かをすればドラスティックに何かが簡単に変わるわけではない。一気に、庶民の目にも分かる程度に解決するとしたら、年金問題も消費税も、100年に一度の賢人でも出てこない限り不可能である。昨今、物価が上昇しているのだって、福田康夫が能なしだったのではなく、世界的な大きな潮流であって、程度は調整できても、日本だけ何の影響も受けないなんていうのは、鎖国でもしない限り不可能である。

つまり、希望を政治家に持てるという段階では、まだ人為的にある程度の早さで分かりやすく(イラクから軍を撤退させるとか)対処できる問題があるということである。もしくは、「彼ならやってくれるだろう」ということは、「彼」以下の能力の人間しか今まで首長の職に就いたことがなく(就くことを阻む何らかの要因があった)、満を持してのご登場という場面だ。返せば、日本では誰がやっても変わらない=誰も解決できない問題くらいしか残っていない、今度の人も変わらないだろう=今日本で首相になりうる、考えうる政治家の中で最高レベルの人間が今までも出ていたし、今回も出た、ということでもある。道路を作って云々・・・と、庶民に分かりやすい時代は終わったのだ。21世紀は何事にも困難な時代だということをゆめゆめ忘れてはならない気がする。

そもそも、様々なこと(経済etc)において、頭打ちになっていて、メディアや学問も発達して、言論の自由が許されている国で、現在の政権を絶賛したり、希望を持っていたりしたらそれこそ不気味だ。政権が何かを隠しているか、コントロールしているとしか思えない。暴論を承知で言えば、国民が政治を批判したり失望するのは社会の色々な面が健全な証拠だ。

考えてもみよう、旅行先で、「今の政治はどう?」と現地人に聞いて、「すごくいいよ。今回の大統領は素晴らしい」とか「前の大統領はダメだったけど、今のは社会保障もよくしてくれるし・・・」などと答えられたら、大丈夫かなあ、と思ってしまうのが普通では。簡単に解決可能な問題が残っていたんですか、「素晴らしい」って、あなた洗脳されているんじゃないの?etc

では、日本や自分自身の未来に希望が持てない場合は?希望の有無に政治を持ち出す必要があるのは、全員ではないはずだ。社会の極端な弱者とか。もちろん最低限度はあるにせよ、もはや国家に全面的に頼ろうという時代からはシフトしつつあるように思う。寄付金や入所者による利益だけで運営されている障害者センターとか。社会の度量や文化の問題もある。それを形成するのが政治だという向きもあるかも知れない。しかし、例えば、長時間労働の減少とか男性の育児休暇の取得推進とか、非正規雇用労働者の待遇向上とか、政府が音頭を取ったとしても、結局やるかやらないかは民間の話。何でもかんでも政府が政府が・・・というのは、政府離れできない政治リテラシー的に未熟な国民という気がする。

国家は退場すると言って、意外と退場しなかった。しかし、確実にその影は薄まっている。国家と一言聞けば、暴力暴力と騒ぐ輩に限って、社会保障をなんとか・・・と要求するものだ。そんなに都合よく行くほど世の中簡単ではない。

結論:政治に希望が持てない日本はまだいいほうだ。しかもそれはまだ「失望」であって「絶望」ではない。「絶望」する人が国民の半数以上くらいに出てきたら、状況は相当に異なるだろうが。

旅行の妄想

<The places I wanna go to in the coming year>


クウェートにいるとき、2度長期休みがある。冬の1ヵ月半と6月の3週間。人生最後のストレスフリーな休みと考えて、まず間違いない。日本に帰って待っているものは試験だけだ。しかも今度は落とせないというプレッシャー付き(?)で。


高1の子をかてきょうで見させてもらっているが、休学に加えて留年でもしたら、その子が中2(14)から大学2年(20)の間を私は大学生として過ごすことになる。14から20なんて、一番人生で精神的変化や成長が大きい見所満載の6年間を・・・私は・・・(略)ということにならないように、教科書も持っていこうと思います。持って行くだけではなくて、ちゃんと何度も読もうと思います。


冬の1ヶ月半はうまくいったら、イスラエルorパレスチナorレバノンorシリアあたりで展開しているNGOや国連でインターンと言う名の小間使いとか。アラビア語が使えたらよいけれど、職務レベルでは英語になってしまうだろうね。でも履歴書に書ける経験が欲しい。


そういうのに通らなければ、ひたすら旅行。まずはシリアの友達やその家族に会いにいき、シリアに来てしまったら次いでにトルコの友達にも会いにいきたい。しかし彼はアンカラにいる。アンカラまで行ってしまうと、もうイスタンブールまで行って、ヨーロッパに行ってしまいたくなるorアルメニアは入れるかなぁとか考えてしまうけれど、それでは語学力の向上にちっともならないので、南下南下。


シリアの入国スタンプやビザがあるとイスラエルには入れないというのはやはり本当なのか。行きたいなあ、イスラエル。あとは無難にヨルダン、エジプトで長期滞在して、色々な人と話すのがいいでしょう。今度はアラビア語で口説いてもらって、アラビア語で断りたい。とはいえ、フスハーで話してくれなさそうな予感。オマーンとかイエメンもいいな。寮でどこの国の子と友達になるかで行き先も変わってくる。ご実家訪問みたいな。

もしくは、エジプト→リビア→チュニジア→イタリア→アルジェリア→モロッコ→スペインの北アフリカ横断地中海の旅も魅力的。モロッコの友達に会いに行けそう。最後のほうはフランス語オンリーになりそうな嫌な気配もするけれど。

クウェートから100ドル程度で行けるインドもone of my lists. お腹壊すの必至だけど若いうちに行かないと。いつになくくだらない妄想でした。

Saturday, September 27, 2008

資本主義の奴隷です

私のPCもさすがに、「優秀」を「憂愁」と変換しなくなった。・・・というのも、かどうか分からないけれど、お得感でいっぱいだからかも知れない。

生協で売っているセイコー電子辞書のシルカレッドカードが、現品限りで各2800円だった。(市場価格は8000円前後)この際、仏独西の紙辞書をクウェートに持っていくだけで数キロになってしまうし、と思い切って購入を申し出てみたら、在庫があるのはスペ語だけだった。仕方なく、スペ語を2800円で購入し、フラ語を5000円の生協価格で注文したら、数日後、生協のお姉さんから「11月まで2800円で販売することにしましたよ」とのお電話。レジの前でだだをこねた覚えはないが、上に掛け合ってくれたのだろうか、素晴らしきお姉さんである。あとは、前科のように、失くしたり盗まれたりしないように祈るばかり。せっかく入れても貴重品ゆえに旅行に持っていかないのは本末転倒だけれども。悩ましい。

昨今の原油高。最近はやや下がりつつあるけれども、一時は180円/L近くいったのでどうなることかと。しかし、今日言ったセルフGSで、最後に出てくるルーレットに当たり、会員価格(定価より3円引き)よりさらに5円引きに。結果、160円/Lが152円/Lへ。

というわけで、庶民らしい、ささやかなお得感が、精神衛生上よく、資本主義の手先と言われようが何であろうが嬉しいのである。よくあることだけれども、資本主義の奴隷め!と言う人ほど、リッチなのである。お金のことで一喜一憂している私はそれでいいと思っている。

自己責任説

弟の宿題でOfer Sharone, Constructing Unemployed Job Seekers as Professional Workers; The Depoliticizing Work-Game Job Searchingを読み、設問に答える機会があった。以下、そのレポート。原文は電子ジャーナルで読めます。

①過去の研究では、失業中のアメリカ人にとって、職探しは個人的で私的なことであって、公的な構造的な原因や政治的解決の可能性のある社会問題とは認識していないとされていた。この失業の非政治化や仕事が得られないことに対する自己叱責は高学歴の求職者層にも根強い。個人ではどうしようもないレイオフから生じる困難にも関わらず、個人的な努力こそがキャリアの成功を導くというアメリカンドリームというイデオロギーによって、実体験との間に乖離が生まれるためである。この個人主義的言説のイデオロギーは、主観的理解の形成において、様々に異なっているはずの実体験を隠蔽している。

②JPの活動では、いかに自分自身を売り出し中の製品として売り込むかという点で、1、履歴書2、人的ネットワークの構築3、積極的態度の重要性を強調している。1では、採用に落ちれば、それが自分の弱点を反映しているとして、履歴書は常に編集と訂正を繰り返し、膨大な時間をかけて一生作り出していくものとされる。2ではまた、エレベーターに同乗した人に対して売り込めるのに十分に短く印象的な自分のコマーシャルを磨くことを勧める。他にもカヴァーレター、サンキューノート、企業研究、適切な面接時の服装や異なった面接の質問への応答などを助言している。3では、求職者は常に積極性、自信、熱意や楽観性をもち、前向きな発言や態度をすることが重要で、そのために自分に不利な情報の提供は慎み、言葉の言い換えを行い、JP内でも言ってはならないタブーが存在する。

③第一段階のboost期では、多くの求職者が朝早く起床し求人情報をチェックして応募するなど、精力的に一生懸命に職探しに取り組むが、その繰り返しを経て次第に第二段階のbust期では採用に落ち続けることで失意と自己叱責に苛まれ、自分を売り込むことに不安を感じネットワークの構築に困難を感じるようになったり、ただひたすら実績の量化を求められる履歴書の改訂に苛立ちや疲れを感じたりするようになる。

④work-gameとはプレイヤーである求職者に、職探しというゲームにおいて「勝つ」ための戦略に全神経を集中させ様々な対策を採らせる、職探しのプロセスであるが、これに集中し過ぎると、その求職というゲーム全体を規定し構成している条件や規制などの大きな文脈が視界に入らなくなる。この自助努力言説、つまり個人主義的イデオロギーに対して反抗心を抱かないのは、第一段階のboost期ではそのゲームの個人的な戦略に熱中しているからであり、第二段階のbust期では自己叱責の観念やゲームの負け犬としての意識が、求職者から反抗心を奪っている。ゲームを規定する年齢差別や外部委託などの市場の客観的な求職者を受け入れない外部の条件が大きな原因であるかも知れないのにも関わらず、求職者は自信を喪失し、「自分が悪いのだ」という主観的経験だけに原因を求めるようになる。というのも、当初の第一段階における「自分や置かれた状況をコントロールし、自分にとっても現実を自分で構築する」というイデオロギーは、就職に失敗した場合に、求職者に自分自身を責める道しか残さないからだ。しかも、JPのプログラムでは失敗談は公にされず、自助努力パラダイムへの疑問はその人自身の内的障害として捉えられ、さらにディスカッションにおいてその疑問や失敗談を語ることは、ゲームに熱中している第一段階の人間にとっては、許されざる非難の対象である痛ましい負け犬でしかないことが、この傾向に拍車をかける結果となっている。


¶47 この論文が職探しを仕事のタイプのひとつとして取り上げたことで、その動的な過程が明らかになった。専門化された職探しの実践、戦略の強調、自分自身で個人をコントロールするというイデオロギーが重なって、魅惑的なワークゲームを構成するに至った。このゲームに参加することで、典型的なパターンである初期の楽観主義や熱中的な入れ込み、そしてそれに続いて起こる失意や就職活動からの脱落が生まれる結果となる。このワークゲームの力学は、個人主義のイデオロギーの再生産がなぜなされ、失業の構造的な原因への反発心がなぜ失われるのかということに対して重要な暗示をしている。
¶48 今までの文献は、個人主義のイデオロギーが、それに相対する失業者の主観意識を形成するはずの実体験を打ち負かしていることを述べているが、この論文では、正確に言えば個人のコントロールをするという実体験を生み出す一連の実践とそのようなイデオロギーが連結しているために、それが共鳴していることを主張している。ブラウォイ[1979]は出来高払いの製造業において、ワークゲームをする際に、プレイヤーがあまりにも戦略的活動にのめり込み過ぎるために、そのゲームが埋め込められている、より大きな法則や権力が背景に消えてしまうことを発見していた。職探しのワークゲームを行うと、個人的や私的、戦略的であることの重要性を過剰に増大し、構造的で公的、政治的な重要性はあいまいになってしまう。
¶49 そのゲームは一時的なものにもかかわらず、効果は持続する。この論文はブラウォイの理論を「勝たなかった」プレイヤーにとってのゲームの結果を明らかにすることで発展させた。求職者にとって、第一段階において自らの経済的運命をコントロール経験を付与された同じ求職者によって、第二段階における個人的な敗北感を味わうことになる。仕事が見つからなかったという実体験は、個人的にゲームに負けたということであり、それゆえに「負け犬」となる。求職者が自分自身を責めるために、労働市場での負の経験によって、個人的にコントロールすることへの自助努力の仮定に疑問を呈したり反抗したりすることには大抵ならないのだ。さらに、公にはしていないが自助努力イデオロギーに懐疑的である者も、そういったネガティブな思考やサボタージュを非難されないように、その疑問を公衆の面前で表明することは避けるものだ。



まぁ、つまり、なぜこの論文を弟の大学の英語の先生が選んだのかは容易に想像できますね。もちろん、一理あるけれども、かといってすべて外部の状況やコンディションに原因を帰すわけにはいかないわけです。自己責任説かどうかということですね。

もちろん物によるけれど、日本語の論文や学術書より、英語のペーパーバックによる学術書のほうが、値段的にも重量的にも文体的にも気軽に読めるなぁ。日本語のはどうしたって構えてしまう。

錆付いた扉

歯医者の待合室で、幼稚園児か低学年くらいの男の子がある行動を始めた。その行動はかなり見覚えのあるもので、私の頭の中の錆付いた引き出しをこじ開けようとした。しかし、思い出せない。その動きの名前。・・・母親が言った。「そんなところで蛙倒立しないの!」・・・ああ、蛙倒立だ。

自分の年齢、置かれている境遇、ポスト、立場、身分、住んでいる場所、読むもの、考えること、生き方・・・の移り変わりで、使わなくなった言葉や言語(方言も含めて)や感情や表情や動きや知識や思考方式がある。

変化すること自体はやむを得ないし、変化がなければそれはそれで大問題でもある。しかし、そうでなかった場合の、otherwiseの自分を、たまには想像してみたり、錆付いた扉をたまには開けて掃除するのも大切なことだ。扉が錆付いていることはおろか、そこに扉があったことさえも、気づかなくなったり、もしくは気づかないようにしているとしたら、遅かれ早かれもうその扉は開かなくなってしまうかも知れない。

女神たち

優秀な(=仕事ができるという意味での)人には自然と仕事からやってくる・・・と誰かの上司が言っていたらしい。自分のことなんて分からないけれど、他人を見ていると大体そうであると思う。実力社会の芸能界なんかでは特にそうだろう。藤原紀香が作品に恵まれないと評する人がいるけれど、恵まれないのは女優としての演技力に欠けるからだろう。自然淘汰とはよく言ったもの。女神は前髪だけしかなくて、後頭部は禿げ、とは有名な話だけれど、女神が今そこにいるかどうかは、女神の存在を認識するに耐える人にしか見えないものだ。私の周りには私に似つかわしくないほど、賢くて優しくて深くて味があって私に良くしてくださる方々がいらっしゃる。渡クに際して、実感する日々。私は、いつ女神たちと目を合わせたのだろう。

女神のうちの2人である、トルコ人のケリム(22)とシリア人のムハンマド(21)と昨日偶然同時にチャット。学期中はそんなチャットなどしていられず、いつも拒否してしまうが、今月はラマダンということもあって、お二人とも暇らしい。とはいえ、トルコとシリアではラマダンの様子もかなり異なる。語弊があるが、シリアでは「まだ」プリミティヴで、トルコではモダナイズされた感じといえばいいだろう。ムハンマドくんの家には計25人(!)の親族が日暮れと同時に集まり、夕餉をたべる。朝、日の出前に食べためてから約15時間後だ。慣れれば問題なさそうだが、確実に身体には悪そうなのは否めない。大学通学ボイコット。一方、トルコのほうは、言ってしまえばラマダンに日常を支配はされていない。ちなみに2人とも日本語学習者で、ムハンマドくんの方はいわゆるオタクで、完全に日本文化を愛してしまっている。ケリムの方は、一族郎党全員が医者というエリート一家(本人は断固として否定するけれど)だけれど、本人は法学部で、日本で言う国Ⅰを受けるようなパブリックマインドのキャラなので話も合うし、賢いし、色々と学ぶものが多い。・・・書くつもりはなかったが、これにアメリカ人の友達を加えれば、「私の男友達を紹介します」コーナー。

Friday, September 26, 2008

床屋談義

小泉元首相が政界引退。後継は次男の進次郎氏。長男と同様、顔がいい。しかし、長男は日大二部在学中に父親が首相となり芸能界へ、次男は関東学院大卒後、プーしている最中に父親が首相となったため、コロンビア大院でジェラルド・カーティス(Gerald L. Curtis)に引き取ってもらえたらしい。その後はCSISでAdjunct Fellowだから、臨時助手といったところか。ただ、彼のプロフィールはなし。実態はどうだったのか知らんが、コロンビア以後は平民だったら相当優秀な人でないと務まらない。

小泉家は刺青の御家系だから、別に日大二部でも関東学院でもいいのだけれど、カーティスはおそらく、世襲としての日本の政治家二世のメンタリティーとか生い立ちとか教育だとかを「研究対象」として間近で観察できるいいチャンスだし、それに小泉に恩を売っておけば日本政治の研究上、かなり有益だしと思って・・・と、素人なりに勘ぐってみる。

このブログでは、床屋談義は慎みたいのだけれど、自分の許す範囲のぎりぎりまで言ってみよう。安倍に続いて福田も1年で職を投げ出したことについて、ああだのこうだの(首相の椅子が軽くなったetc)と皆さん仰っているが、悪いことばかりでもないように思う。そりゃあ、実務上の問題や、日本の政治外交上のプレゼンス等、デメリットも豊富だけれども(たびたび変わる日本の首相の名前を言える非日本人はよほどのマニアだろう。私もタイの首相の名が覚えられない)、“お気軽に”その職に挑戦し、“お気軽に”辞めたくなったら辞められるだなんて、中学校の給食委員くらい(*)、ある意味「お手軽な」役職で、独裁もなければ、多くの人が経験できる(世襲とか資金とかの問題はおいておけば)、かなり「民主的な」風潮と制度なのではないかとも。アメリカの大統領選のように、コストも時間も膨大にかかり、余程のことがなければ任期を満了するへヴィーな制度は、少なくとも私には耐えられない気がする。(もちろん、マケインが高齢のために任務を続けられなくなって、ペイリンが任務代行することは大いに考えられる話だし、オバマ暗殺説も根強く囁かれているくらいだから、ブッシュの8年間やブレア、ベルルスコニーニ、小泉の長期政権時代は「あの」時代の特殊性に帰すに吝かではないが)

私が床屋談義を嫌うのは他でもなく、それが「誠実でない」からだ。発言者はその発言に対して何の責任も負う必要がなく、立派な見識があろうがなかろうが、「好き勝手」言っているにすぎないことが大概である。新橋のサラリーマンがマイクを向けられて喋るのを私は批判しないし、おばちゃん通行人がワイドショーの受け売りを自慢げに話すのを咎めるほど狭量ではない。ただしかし、自分を「知識人」だとか「教養人」として認識あるいは売り込む人間は、少なくとも、自身が口にする現象の背景や影響力に思いを馳せ、慎重に慎重を期すべきだと思う。いわゆる「学者」的物言いが常に良いわけではないが、意識の問題として。

日本だけではないと願いたいが、日本の地上波報道番組はその形を成していないことが多い。どこの馬の骨か分からないような漫画家やタレント、スポーツ選手が、コメンテーターと称して、(えらっそうに)言いたいことを言っている。私はその度に穿ちたくなる。いつお勉強なさったのかしらん?

素人は口を閉ざせと言っているわけではない。誰でも何でも言えるのが民主主義だ・・・とか、そういうレベルの話ではないのだ。見よ、背後の複雑性を。感じよ、当事者事情の機微を。もっと誠実になれぬのか・・・etc ま、その無責任さが庶民の声を代弁しているらしく、「輿論」か「世論」を形成していく番組の目玉らしいのだからいいんだけれどね。

ただ、最近目に付いてしかたないのが、アーチェリー・アテネ銀メダリストの山本氏だ。驕る平家は久しからずよ。

*中学生だって、学級委員長が任期途中で「もうやだ」とか言ったら、教師に止められるだろうし、ましてや生徒会長だったら、ねぇ。給食委員長くらいだったら、いつでもその首は挿げ替え可能かな、と。

Thursday, September 25, 2008

Prédateurs, sauveurs ou dupes ? 

Prédateurs, sauveurs ou dupes ?  
乗っ取り屋、救援者それとも騙されやすいばか者?

Des « fonds souverains » au chevet des multinationales
多国籍企業の枕元における政府系ファンド

Un paradoxe à l’ère des privatisations : les fonds d’investissement détenus par des Etats et des banques centrales — joliment appelés « fonds souverains » — ont opéré leur entrée en force dans le capital des multinationales, notamment financières. Ces dernières en sont d’autant plus friandes que la crise des crédits hypothécaires, née aux Etats-Unis, fragilise leurs bilans et les rend assoiffées de liquidités. « Ils ne nous aiment pas, mais ils veulent notre argent », a résumé la ministre des finances de la Norvège, un pays dont le fonds — comme celui des Etats du Golfe — redouble d’activité à mesure que la hausse du prix du brut multiplie ses avoirs. La Chine, qui, elle, s’inquiète surtout de la valeur de ses placements en dollars, a fait racheter des actions des compagnies française Total et britannique BP (ex-British Petroleum) par State Administration of Foreign Exchange (SAFE), un fonds qui gère les réserves de sa banque centrale : il vient de payer 1,8 milliard d’euros pour obtenir 1,6 % de Total et 1,24 milliard d’euros en échange de 1 à 2 % du capital de BP. Une présence encore marginale, mais qui pourrait croître…
( ... )
民営化分野における逆説、つまり厳密には「政府系ファンド」と呼ばれるような国家や中央銀行による投資ファンドが多国籍企業、とりわけ金融系の資本に大挙して押し寄せてコミットを行使している。後者は、アメリカで発生した抵当権信用貸し危機が彼らの貸借対照を弱体化させ金融資産の流動性の渇きを彼らに返したことにそれだけいっそう好意的だ。「彼らは私たちを嫌っているが、我々の資本は欲している」ノルウェーの金融大臣はそうまとめた。ノルウェーの、湾岸国家のようなファンドは 原油価格の高騰がそれらの財産を増加させるにつれて活動をいっそう強めている。中国は特にドルにおける同国の価値順位を憂えていて、外国為替のための国家行政局(SAFE)によってトータル仏社とブリティッシュBP社(前のブリティッシュ・ペトロリアム社)の行動で埋め合わせをさせた。SAFEはその中央銀行の資金を管理しているのだが、それがトータル社の1.6%を獲得するために18億ユーロ、BP社の1から2%と引き換えに12億4000万ユーロを支払ったばかりだ。その存在は未だ周辺的なものだが、成長する可能性があり・・・

Une force de frappe de 3 000 milliards de dollars
3兆ドルを動かす力

Mais qui sont donc ces fonds souverains, dont la force de frappe financière est estimée à près de 3 000 milliards de dollars (une somme supérieure au produit national brut français), et que recherchent-ils ? Sont-ils des prédateurs, des sauveurs ou des dupes ? Au-delà du fait que leurs revenus sont propriété de l’Etat, ces fonds — auxquels il convient d’ajouter un certain nombre d’entreprises publiques ou quasi publiques — ont des caractéristiques, des ambitions et des modes de fonctionnement différents. S’ils inquiètent, c’est qu’ils portent en eux la possibilité de mélange des genres — celle d’user de leurs participations financières à des fins politiques et stratégiques, ou celle de passer du statut d’investisseur passif à celui de preneur de décisions, lesquelles pourraient prêter à conséquence.

しかし、それゆえにこれら政府系ファンドの金融的影響力は3兆ドル近く(フランスのGNPを超える)と推定されているが、彼らが求めているものは?彼らは略奪者、救済者それとも騙されやすいばか者なのだろうか?彼らの収入は国家の財産であるという事実を超えて、これらのファンドは―そこにおいてはある程度の数のほとんど公的であるか公的企業を加えることが望ましいのだが―特性、情熱そして異なった機能方式を持っている。彼ら自身、それらの金融的な参入を政治的、戦略的目的に利用するというようなもの、もしくは受動的投資家の身分を決定者にまで高めるというようなものというようなものの混在した状態を彼らの中に孕んでいる可能性を憂慮しており、これらが重大な結果に帰しうるのだ。

Même s’ils n’ont fait la « une » des journaux que ces derniers mois, ils existent depuis plus d’une cinquantaine d’années. En 1953, le Koweït créait son Fonds de réserve pour les générations futures, le premier de ce que l’on n’appelait pas encore des fonds souverains. Rebaptisé Kuwait Investment Authority (KIA), ce fonds avait, au fil des ans, investi dans de grandes entreprises occidentales, parmi lesquelles l’allemand Daimler-Benz (en 1969) et le britannique British Petroleum (en 1984). Au dire de ses dirigeants, KIA s’est toujours comporté en actionnaire « responsable », soucieux avant tout d’engranger les dividendes sans se mêler de stratégie. En 1990, lors de l’invasion du Koweït par l’Irak, le contrôle de KIA échappait de justesse au régime de Saddam Hussein. Il a fallu attendre la récente flambée des prix du pétrole pour que ce fonds, par ailleurs largement entamé par des malversations et de mauvais placements, redevienne un acteur important de l’économie mondiale.

たとえ彼らがその「ひとつ」にならなかったとしても、何ヶ月も続く新聞のうちおよそ50年ごろからそれらが存在している。1953年にクウェートは未来世代のために貯蓄するためのファンドを創設し、それが、政府系ファンドと我々がまだ呼んでいなかった最初のものであった。改称クウェート投資機構(KIA)、このファンドは何年もの間、ドイツのダイムラーベンツ(1969年)とイギリスのブリティッシュペトロレアム(1984年)などの間で西洋の大企業に投資してきた。指導層について言えば、KIAは常に「責任のある」株主として行動し、何よりもまず戦略に介入することなく配当金を蓄蔵することに注意を払った。1990年、イラクによるクウェート侵攻の際、KIAの管理はサッダーム・フセイン体制からかろうじて逃れた。このような一方で公金横領や悪い投資によってはるかに傷つけられたファンドにとって再び世界経済の重要な当事者になるには昨今の原油価格の高騰を待つことが必要だった。

C’est sur le même modèle de « fonds pour les générations futures » que les autres fonds souverains se sont constitués au sein des Etats exportateurs de pétrole et d’autres matières premières : Abou Dhabi, Qatar, Oman, Dubaï... D’autres appartiennent aux pays émergents d’Asie qui, grâce à leur forte croissance économique, ont dégagé d’importants excédents commerciaux qu’ils cherchent à faire fructifier : Singapour, Corée du Sud, Malaisie, Taïwan.

これは、アブダビ、カタール、オマーン、ドバイといった他の政府系ファンドが石油やその他の初期原料輸出国のただ中で構成されている「未来世代のためのファンド」の同じモデルにおいてである。シンガポール、韓国、マレーシア、台湾といったアジアの新興国におけるその他の所属国は、それらの強固な経済成長のおかげで、利益を生ませようと努力している重要な貿易黒字を引き出した。

( ... ) Le monde de la finance est sujet aux engouements, et depuis quelques mois les fonds souverains en sont sans conteste les grandes vedettes. Leur montée en puissance a créé beaucoup d’émules. En Russie, un « fonds pour les générations futures » a vu le jour le 1er février 2008. Le Japon, l’Inde et l’Arabie saoudite envisagent aussi de créer les leurs. Ces pays consacreraient une partie de leurs réserves de change et autres fonds publics qui privilégient les placements sûrs, tels que les bons du Trésor américains, à des placements qu’ils espèrent plus rémunérateurs. Comme pour les pays du Golfe durant les années 1970, et pour le Japon des années 1980, analystes financiers et médias extrapolent allègrement pour révéler qu’en 2015 les fonds souverains disposeront de 12 000 milliards de dollars. De quoi alimenter bien des scénarios-catastrophes... et aiguiser bien des appétits.( ... )

金融の世界はのぼせ上がりに陥りやすく、数ヶ月前から政府系ファンドは異論の余地なく大きな注目の的になっている。それらの目覚しい台頭は多くのライバルを生み出した。ロシアでは、「未来世代のためのファンド」は2008年2月1日に日の目を見た。日本、インド、サウジアラビアもまた彼らのものを創設しようと企てている。これらの国は為替貯蓄の一部分や米国国庫の債券のような確かな投資を優遇する他の公的ファンドをさらに利益のあがる投資に割くだろう。1970年代の湾岸諸国や1980年代の日本のように、金融アナリストやメディアは軽率にも2015年には政府系ファンドは12兆ドルを意のままにするだろうと一般化している。何が予想される最悪のシナリオを提供し・・・そして食欲をそそるか。

2008年5月 イブラヒム・ワルド
mai 2008 IBRAHIM WARDE

La France, puissance du Golfe

やっつけ仕事。翻訳は外国語力よりも日本語力の問題。もはや日本語力はアタマの出来の問題。悲しいですがこんなもの。精進してもどうにもなるまいが、精進することに意義ありということで。クウェートに行っても時たま仏語進捗具合を。1年後にDELF B1を目指して。長いですがモロッコの友達のために載せます。

仏語がシステマティックだというのはよく分かる。学校仏語と実用仏語の隔たりは、学校英語と実用英語の差とは比べ物にならないほどないに等しいと思う。英語は実は簡単そうに見えてかなり厄介な言語だというのも有名なことだが(相当な上級者でもaとtheを完璧に操れなかったり、完全な文法で書いてもネイティヴによって「自然じゃない」とか何とかいちゃもんを付けられるのに対し、完璧な文法で仏語を書けばそれで実用的にも十分だ。日本語も「の」が続くとWordに注意されるが、仏語は3つくらいde=ofが続いてもまるで問題ないetcなど、古くから法律規約条約言語として重宝されてきたのも頷ける)、初めに接する外国語を仏か独か、それこそラテン語にしてしまったほうが後々広がりが効く気がする。もちろん、ここでは印欧言語に限った、しかも文法語彙体系としての話をしているのであって、その言語帝国主義的側面は切り捨てている。

La France, puissance du Golfe
フランス、湾岸の権力

Le président Nicolas Sarkozy serait-il un « va-t-en-guerre », un adepte de la confrontation sur les terrains les plus « chauds » du monde ? Après l’Afghanistan, où il a multiplié ces derniers mois les gestes d’un engagement plus actif, le Golfe — où il vient de conclure un accord pour l’installation d’une nouvelle base militaire permanente à Abou Dhabi, près du détroit stratégique d’Ormuz, face à l’Iran.

ニコラ・サルコジ大統領は「好戦者」、世界で最も「熱い」地域における対立の支持者となりうるのだろうか?アフガニスタン以後、そこでは彼はこの数ヶ月より積極的な合意を示す行為を重ねていて、湾岸、そこでは彼はイランに対置する戦略的なホルムズ海峡に近いアブダビにおける新たな永久的軍事施設の設置について合意に達したばかりである。

L’arrangement signé le 15 janvier avec les autorités des Emirats arabes unis, lors d’une visite de quelques heures du chef de l’Etat français, est un « accord de présence », qui ouvre la voie à l’installation d’une base interarmées (1) avec un effectif de 4 à 500 militaires, dont un tiers seraient installés dans l’actuel port de commerce d’Abou Dhabi. La base assurera le soutien des navires de la marine nationale en mission dans le Golfe et l’Océan Indien, ainsi que l’accueil de l’ensemble des moyens militaires que la France déploie régulièrement dans le cadre d’exercices interarmées menés en coopération avec les armées des pays du Golfe.

1月15日、フランス大統領への数時間の訪問中に、アラブ首長国連邦の当局によって調印された調停は「面前協定」であり、それは(注:陸海空軍といった)複数の部署の基地設置への道を開くもので、4から500の兵力を備え、現在の貿易港アブダビにその3分の1が配置されるものだ。湾岸諸国の軍と協力して複数の部署によって行われる演習の枠組みにおいてフランスが定期的に展開する総軍事費の受け入れと同様に、その基地は国の海軍の支援艦船を湾岸とインド洋の任務において確保することになるだろう。

Si l’on en croit M. Sarkozy, les Emirats arabes unis, liés à la France par un accord de défense réciproque depuis 1995, demandaient l’implantation de cette base, « pour que la France participe à la stabilité de cette région du monde ». Ils auraient exprimé « le souhait qu’une partie des forces qui sont stationnées à Djibouti migrent dans le Golfe, une région essentielle ».

もし、1995年からの相互防衛協定によってつながっている、サルコジ大統領とアラブ首長国連邦が、「世界のこの地域の安定にフランスは参加するために」、この基地の設立を要求したと信じるならば、彼らは「重要な地域である湾岸に、ジブチに駐留している軍の一部が移動するという希望」を表明しただろう。

Les responsables français font valoir que les petits Etats sunnites du versant sud du Golfe — îlots de prospérité, emportés par un développement fulgurant dû à l’augmentation des prix du pétrole, mais inquiétés par l’activisme et l’intransigeance de l’Iran chiite, la grande puissance du Golfe « persique » — sont à la recherche de garanties de sécurité auprès de leurs partenaires occidentaux, notamment américains.

フランスの担当者は以下のように主張している。湾岸の南側のスンナ派小国家は――原油価格の上昇に負っている輝かしい発展により支配された、繁栄する島、しかしイランシーア派の積極行動主義と強情さ、「ペルシアの」湾岸における強大な権力に脅かされている島――彼らの西側のパートナー、とりわけアメリカ、に近い安全の保障について調査中である。

Les Etats-Unis sont très présents : l’état-major de la Ve flotte est installé à Bahreïn ; le quartier général du Central Command et le Centre d’opérations aériennes pour tout le Proche-Orient sont au Qatar ; des garnisons et des dépôts sont stationnés au Koweït ; les Emirats arabes unis et Oman offrent des facilités aériennes à leur aviation…

アメリカの存在感は大きい。監視艦隊の参謀部はバーレーンに設置され、全近東のための中央司令部の司令官と航空監査センターはカタールにあり、駐屯地と兵站部はクウェートにあり、アラブ首長国連邦とオマーンは航空機産業のための航空施設を提供している。

Cette création d’une base française dans le Golfe peut être interprétée comme un nouvel indice de l’alignement de M. Sarkozy sur la stratégie américaine au Proche-Orient. Mais aussi comme le désir de certains de ces émirats d’échapper à une emprise américaine totale, en diversifiant leurs partenaires ou « parrains ». L’école militaire supérieure de Saint-Cyr ouvrira prochainement à Doha une branche qui formera les officiers des armées de terre du Qatar et de plusieurs autres Etats du Golfe. Des navires de la marine nationale française font déjà escale aux Emirats une trentaine de fois par an. L’armée de l’air y organise deux fois par an un stage pour les pilotes de chasse. L’armée de terre effectue dans la région vingt-cinq exercices annuels, avec échanges d’unités et d’officiers. Un exercice inter-armée Gulf Shield (Bouclier du Golfe) mettra aux prises, en février et mars, 1 400 militaires émiratis et qataris, ainsi que 400 français.

なるほど湾岸におけるフランス軍基地の設立は近東におけるアメリカの戦略へのサルコジ大統領による追随の新たな兆候のように解釈されるかも知れないが、しかしまた首長国の、彼らのパートナーや「ゴッドファーザー」を多様化させながら、アメリカの完全支配から逃れたいというある種の願望とも解釈される。サン・シールの軍士官学校は近くドーハにカタールや他の湾岸諸国の陸軍の士官を要請する支部を開く予定だ。すでにフランスの海軍艦隊は湾岸諸国に年に30回停泊している。空軍はそこに年に2回戦闘機パイロットのための研修を開催している。陸軍はこの地域で編成部隊と司令官の交換をしながら、年に25回の演習を行っている。湾岸防衛のある軍相互の演習は2月と5月に1400人の首長国とカタールの兵士、また400人のフランス人を動員して行われる予定だ。

C’est en tout cas la première fois que la France sera implantée dans le Golfe, qui plus est dans l’un des secteurs les plus stratégiques : le détroit d’Ormuz, par où transite 40 % du pétrole mondial. Le chef d’état-major particulier du président français, l’amiral Edouard Guillaud, y a vu « une petite révolution géopolitique », la France ouvrant pour la première fois depuis cinquante ans une nouvelle base, et de plus hors de son ancien domaine colonial africain. Le « dépouillement » partiel de la garnison de Djibouti — actuellement la principale implantation militaire française en Afrique, et qui devrait le rester — préfigure sans doute une reconversion du réseau des bases militaires françaises en Afrique, d’un entretien coûteux et objet de nombreuses critiques sur le continent noir. Cette reconversion pourrait être évoquée dans le prochain Livre blanc sur la défense et la sécurité, prévu pour fin mars.

いずれにせよ、フランスが湾岸地方に導入されるのは初めてのことで、ましてや最も戦略的な領域では。つまり、世界の原油の40%が通過するホルムズ海峡で。フランス大統領の特別側近のチーフであるエドゥアルド・ギュイオド将軍は、そこに「地政学的小革命」を見た。というのは、フランスはこの50年で初めて新たな基地を開きつつあって、その昔のアフリカ植民地の支配領域の外に、である。ジブチ駐屯地の部分的「開票」は―実際にフランスのアフリカにおける主要な軍事基地で、そうあり続けるであろう―間違いなくアフリカにおけるフランスの軍事基地ネットワークと高くつく維持費の配置転換、陰気な大陸における多くの批判を浴びる対象を予示している。この転換は次回の、5月末に見られる防衛と安全保障白書で言及されるだろう。 

L’ouverture de cette base d’Abou Dhabi — qui ne devrait pas être entièrement opérationnelle avant le début de l’an prochain — suscite d’autres interrogations : est-ce un changement de politique de la France, qui jusqu’ici avait choisi d’être au Proche-Orient « une puissance d’équilibre diplomatique et non une puissance militaire » (M. François Bayrou, président du Mouvement démocrate) ? Y a-t-il un risque d’être entraîné dans un conflit local ou régional, notamment avec l’Iran, qui souhaiterait contrôler le détroit d’Ormuz ? Cette décision, prise sans consultation, n’est-elle pas en contradiction avec le souhait affiché d’associer plus étroitement le Parlement au suivi et à l’approbation des opérations extérieures ?

このアブダビ基地―来年の開始を前に完全には実用化することにはなっていない―は、また別の問題を提起する、つまりこれは、フランスはこれまで近東に留まることを選んできた(『外交権力均衡と非軍事力』、フランソワ・バイロ、民主化運動会長)が、その政治変化なのか?地方の、もしくは地域の紛争、特にホルムズ海峡の支配を望んでいるイランとの問題に巻き込まれるリスクはないのか?相談なしで採られたこの決定に、より緊密に国会と追跡調査や国外軍事力行使への賛成を結び付けたい願望との矛盾はないのか?

2008年1月17日木曜日
フィリップ・レイマリー
jeudi 17 janvier 2008
Philippe Leymarie
(1) Commun à plusieurs armées : de terre, de mer, de l’air.

Wednesday, September 24, 2008

悩む力

悩む力 (集英社新書 444C)悩む力 (集英社新書 444C)
姜尚中

集英社 2008-05-16
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やっぱりどうしたってかっこいいから買ってしまう。基本的にいいこと仰るし。

○Homo patiens(苦悩する人間)>Homo haber(道具人)
○letzte Menschen(末人)「最後の人々」→「精神なき専門人」「心情なき享楽人」
○「悪魔は年寄だ。だから年寄にならないと悪魔の言葉はわかりませんよ」(ゲーテ『ファウスト』)
○「ブリコラージュ」的な知+「土発的」な知=自分の世界を広げるのではなく、適度な形で限定していく。世界を閉じるのではなく、開きつつ、自分の身の丈に合わせてサイズを限定していく。そして、その世界のあるものについて、ほぼ知悉できているというような「知」のあり方。
○宗教抜きで自分がやっていること、やろうとしていることの意味を自分で考えなさい。きつい要求。自分の知性だけを信じて自分自身と徹底抗戦しながら生きていくしかない。「一人一人教」「自分が教祖」

友よ

「黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る」 李白  
故人 西のかた黄鶴楼を辞し  
煙花三月 揚州に下る  
孤帆の遠影 碧空に尽き  
惟見る 長江の天際に流るるを


送る人の気持ち。送られる人の気持ち。
離れるときに分かる、たくさんの私に連なる人たちの存在。
人脈ではなく、コネでもなく、ただそこに、
「寂しくなるね」と言ってくれる人たちがいれば。
「ありがとう」という言葉のない言語はないけれど、
それ以上は何を並べても陳腐にしか聞こえないこの貧弱さを
呪うしかない。
     
高校の6人組が全員揃うのは今となっては社会人も忙しく、年に1度か。それでも、ここまで長続きするのは、女という生き物の生態を考えれば奇跡に近いのかも知れない。誰かの留学や就職や結婚や出産を口実にそうして集まれればそれ以上何を望むだろう。6人が6人それぞれにぞれぞれの問題を抱え、それなりに悩みもがき、それでも集まればただ、それぞれに求められる役割を演じれば、あとはもう2年2組の休み時間の教室。まさか何も変わっていないわけではあるまいが、しかし変わらないものが確かにあるのだろう。皆それぞれが「そういう奴だ」と認識して納得した上での心地よさは、おそらく今までもこれからも続いていくのだと思う。
     
魅力あるドラマは、登場人物がそれぞれすべて憎めない愛すべきキャラクターであることが必須条件だと思う。フルキャストから任意に2人組の組み合わせを作っても、どんな場合でも成立する。家庭に入った主婦とシングルのキャリアワーカーと、はたまた子供ができたかできないかで、女同士の関係は目まぐるしく変化するらしい。ただ、意外とそうでもないような楽観主義が、私たちの関係には合っているようだと思うのは怠慢かな。
     
雨の日も風の日も、病めるときも健やかなるときも、白いショールは私を暖かかく包んでくれることよ。鉄人28号のように、強くたくましく。あとは明治神宮のご加護のもとに、小さなバンビが微笑むだけ。(←旅立ちに際していただいた物ものたち)
     
自民党の新総裁が決定し、その人の名を聞くたびに、しばらくは頭をよぎるであろう出来事について。愛か打算か、当事者にしか分からないし、当事者にも、誰にも分からないかも知れない。彼をそう駆る衝動に私はしばし唖然と絶望し、また失望にも似た青い感情を抱き。しかし、彼が悪いわけではなく、何が悪いわけでもなく、ただその人間の可能性というか、はたまた限界というか、その性質に、21の私は膝を抱えるしかないのです。
     
しかしね、今後しばらく何年経っても、彼は彼で、私は私だし、XくんはXくんで、YさんはYさんで、ZくんはZくんなのです。成金になっても、汚い仕事に手を染めても、たとえ人を殺めても、ある程度は、そのままなのです。中学生のときの友達なら全てがそうなるわけじゃない。軽蔑もあれば、距離もとる。しかし、そんな感情や理屈では語れない場所に、言ってみれば年齢に、私たちは既に達してしまったことと意外にも多くを語り合ってしまったことに、気づかされることになるのです。
     
しかしね、これが30からの友達だったら、なかなかこうはいかないだろうと思う。すべてに丸印を押すには、それは少々歳を食いすぎているのだと。Donc!(ゆえに!)このハタチ前後の橋をうまくではなしに、器用にでもなしに、体当たりで力強く、朗らかに、高らかに大切に、渡ってゆきたいと願うばかりなのです。
     
すべての悩める若人たちに幸多かれと、旅立つ者は声を残して。

Tuesday, September 23, 2008

大きな知

Hier, je suis allé à Jinbocho d'acheter beaucoup de petits livres d'apporter au Koweït, et j'ai y depensé tous mon salaire au derniére mois! Je suis trés contente, parce que j'ai pu prendre les livres que j'ai voulu à bon marché, mais je pense qu'il est impossible d'apporter là tous les livres que je veux lire pendant que je suis au Koweit pour un an. Je dois choisir, mais c'est trés dommage!

要約:昨日久しぶりに神保町で散財して(先月分の収入全部)満足だが、1年分の書籍を持っていけるわけではないので残念だ。

(昨今の燃料事情で重量制限厳しく。その辺掻い潜っても20kgちょい超えが限界+10kgの機内持ち込み。本なんて重いからすぐ超えてしまうし、SAL便で送っても3kg5000円も。船便は怪しいので却下。やたら時間のかかる本を持っていくか、仏独西improvingに勤しむほかなしか。・・・医療費その他雑費が嵩む今日この頃)

L'entretien avec le vice-président professeur de mon faculté...
学部長補佐との休学許可願面接。N田先生でした。限りなく形式的な"雑談"。15分ほどの中に濃い格言ぎっしり。曰く、「かつての古代史の師は『古代の人になりきらないと古代史は理解できない』と言ったが。歴史を扱う人間に限らないが、研究対象との距離感、バランス感覚は重要。対象に没入する経験も貴重だが、それだけでは疑問。」「研究者に必要なのは、粘着力と運(ポストに対する巡り合わせなど)。」「M角先生は優秀だから、彼にしがみついていけばいいのでは」・・・!Ce n'est pas facile(簡単じゃない)です、先生。

出発日はアラブのirrationalityによって遅れていることを説明すると、「我々なんかからすると、イスラーム法も結局西洋のものと変わらんじゃないかという感じはありますけどね。彼らなりのrationalityのようなものがあるのでしょう。1年後、そういうのを聞いてみたいです(笑い)」・・・大きな知のオーラがビンビンだった。あれはファン多いな。帰ってきたら授業取ります、先生。

On the way from Jinbocho to Shirokane (le quartier où mon hospital est), こんなポスターが。「青(わか)いからこそ未来がある」・・・ほお、今時いいこと言うねえ、とよく見れば。―――公明党に言われたくなかったorz!

Ah, je dois lire vite Le monde diplomatique!

Monday, September 22, 2008

自分教へ

私の宗教入門 (ちくま文庫 し 32-1)私の宗教入門 (ちくま文庫 し 32-1)
島田 裕巳

筑摩書房 2008-08-06
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8月10日発行。さんざんこの手の話はしているから耳たこでしょう。島田氏はオウム関連で相当ご苦労なさった方で、色々あってわれらがM先生が先端研へどうぞした・・・んだったと思う。M先生様々みたいなことをどこかで仰っていて、やっぱりさすがだなぁと感銘したものでした。

それはさておき。本書は基本的に著者の山岸会におけるイニシエーションとしての実体験を中心に描かれ、内容はとにもかくにも、かなり「入門的」で、はっきり言って得るところはほとんど(?)ないのだけれど、「こういう」分野が好きで、カタルシスを味わいたい人とか、原点に戻って足場を確かめたい人には、電車の中で読むのに良いのではないでしょうか。

251頁より。「その宗教を信仰する信者たちは。聖なるものの価値を疑うことはないが、宗教学者はそういった信仰者の立場や発言を真に受けてはならない」「聖なるものの"暗号解読"が必要」

結局、平たく言ってしまえば、世の中みんな宗教だよね、の一言に尽きるわけだ。だけど、それでシニカルになれるのは結構簡単で、本当に難しいのは、著者の言うイニシエーションを本気で通過した人だけなんじゃないかと思う。まあ、みんながみんな、宗教やら学生運動やらやっていたら疲れてしまうからいいのだけれどね。

橋爪大三郎氏の宗教の定義は「ある事柄を真実と前提してふるまうこと」。デュルケームは「神聖すなわち分離され禁止された事物と関連する信念と行事との連携的な体系、協会と呼ばれる同じ道徳的共同社会に、これに帰依するすべての者を結合させる信念と行事である」。柳川宗教学は何でも対象としますよ、ということ。

イスラム教国で生活すると、ムスリムらから、必ずと言っていいほど、(彼らの信念に基づいて)勧誘を受けるらしい。実際、過去に入信してしまった(イターい、と言ってはいけないのだろうけれど)日本人留学生も何名かいる。私はこの世に「聖なるもの」は存在すると思うけれど、神は神の存在を信じている者(たち)の中に存在するだけなのであると思う。間違っても、アッラーを信仰できない人間を「かわいそうに」などと卑下してはいけないし、ましてやイスラム教が一番だぜなんて・・・と、まぁ、イスラム教については追々。

というわけで、今後一年間、私にオルグしようとする輩が山ほど出てくるだろうから、無宗教の信念が折り曲がらないように最後に引用しておこう。

「宗教学が宗教を対象としなければならないのは、宗教にとらわれることが最も自由を阻害する危険性を持っているからである。宗教学は制度や組織、あるいは観念としての宗教に対するとらわれからの解放を実現することによって、人間の精神性を深化させていくことを目指しているのだ」(p263)

まぁ、宗教あってこその自由だ、とかいう議論は置いておいて(汗)

「宗教学は客観性を強調する。そこで言われる客観性とは、対象のかかわりを断って、傍観者の立場に立つことを意味しない。ときには対象とぶつかり合い、火花を散らすことも必要となる。そのなかで本当に客観的といえる見方を確立していくことが、宗教学には求められている。その意味で、宗教学は自分という存在のすべてが試される学問なのである」(p265)

姜尚中が、(文脈を特定しないと語弊はありそうだけど)「自分教」というのを薦めている。私はしばらく、それで行こうと思う。

Sunday, September 21, 2008

あくどさ

Why do I use English to mention my illnesses? 

母語である日本語で記すと、そのリアリティーが書いている+患っている本人に突き刺さる。痛々しく、重々しく、ただひたすらに苦しい。しかし表音文字にしかすぎず、しかも未熟で未完成な私にとっての外国語で記すとき、それはあたかも自らの手を離れて、どこか遠くの「それだけで成立している」客観性をたちどころに帯びる。

話題は若干逸れて・・・アルファベットを使用する言語を用いるブロガーは、よくその本名を晒すし、署名記事もどことなく多いような印象を受ける。アメリカなどでは大学教授による公的なブログは散見されるし、一定の市民権も得ている。しかし、日本では、誰それのブログらしいという「公然の秘密」が前提であり、そのブログ本体に、漢字でフルネームが記されていることは極めて稀だ。思うに、我々漢字圏の人間はsakamoto ryoumaという音と、坂本竜馬という意味の二重構造の中に生かされているがゆえに、二重の個人特定が可能となり、二重のプライバシーの膜がそこにあるのだろう。私はこのブログで「音」は各言語で晒しているが、「意味」まではどうしても出す気にはなれない。「意味」はそれほど、誰かを傷つけもするようなセンシティヴなものなのだと思う。

これは偏に私の英語能力の未熟さによるものなのだろうか。いつか私は英語圏で一定期間生活して、日本語運用能力と大差なくなってきたとき、「暴力」と「violence」の両方に同じ暴力性を感ずることができるだろうか。否、おそらく無理だろうと思う。「beauty」よりも「美」の方に美しさを感じることは否定できまい。その語彙に負わせてきた、もしくは、その語彙は負ってきた、正負の個人的な歴史を、どうしてもありありと現前に思い浮かべてしまうだろうから。

醜い、と言うよりuglyと言う方が、そのリアリティーから逃れられると感じる限り、私はその言語に思いを託すのだろう。もし、アルファベット使用言語の達人になってしまったら?

そのためにアラビア語があり、(おそらく有り得ない話ではあるが)アラビア語が身体化されたとき、私は他の文字を求めるのかも知れない。自分にとってそのときに「未知」である世界観や文字体系に、己の思いを託すことで、この閉鎖された世界から一歩外へ赴き、救われるのだ。誤解を恐れずに言えば、私の苦しみが翻訳され、複数の言語の窓によって理解可能(異なる言語環境の人にアクセス可能)になったとき、その苦しみは複数性と多層性を帯びて、私の手を離れていく。

病は多くの人に理解可能であって欲しい事項であるとともに、「身内」に宣言した瞬間、自分の足元さえも支えられなくなってしまう。だから私は、ここを訪れてくれる人のほとんどが英語をよく読めることを知りながら、"あえて"(=知らないふりをしてもらうために)(=外部に向けているのだ、己の中では処理済みの事柄であるのだと察してもらうために)英語で書いているのだろう。フランス語だと、読んではもらえない。英語、という位置が重要なのだ。この毒々しさと禍々しさとあくどさを、隠すつもりが・・・パラドックス!

お疲れさま

ペルシア語には「あなたがお疲れではありませんように」という、日本の「お疲れさまです」に似た言葉があるらしい。詳しい文法等は全く存じ上げないけれど、日本語の「お疲れさまです」が、既に疲れているであろう相手に向かって、その「疲れている」という状態を事後的に認識かつ認定した上で労わるのに対して、ペルシア語のそれが、「疲れる」という状況回避の希望と可能性を捨てずに思いやりを示す点で、まだ未来が感じられて癒し系だなと思う。「お疲れさまです」と言われれば、疲れるようなことをしていなくとも、ああ、自分は疲れていたのか、と後から気づき、余計に疲れてしまうこともあろうが(もちろん、「お疲れ」で元気になったり癒されたりするケースもあるだろうけれど、要はケースバイケースかつその言葉を発する人間によるのだが)、「ありませんように」と願われると、いいえそんな、願われるに値するほどの苦労はしていないぞ、よし、と発起するのも悪くない。



アラビア語も、おそらくペルシア語も、たぶんヘブライ語も、ついでにセム系ではないけれどトルコ語も、あの辺の言語はロマンティックな詩的表現に満ちている。・・・と書いたけれど、自分自身が感傷的に誰かを求めていない限りは、かなり暑苦しい。アラビア語の歌は、統計を取ったわけではないけれど、おそらく80%、いや90%近くは「あなたが恋しい、どこにいるの、早く帰って来て、愛しているわ」系である。シリアの友達は日本人歌手のYUI(彼に教わるまで知らなかった・・・)のファンらしく、アラブ系歌手は好きでないらしいが、何となく分かる気がする。ただ、あれだけ愛よ恋よと暑苦しく脂っこく叫び、しかも偉大なる(!)アッラーがついていれば、年間3万人も自殺するような国だけにはならないだろうとも。これも統計を見たわけではないので、悪しからず。



愛の確かさも、神の存在も、疑う余地が初めからないならば、それを幸と呼ぶか不幸と呼ぶかは、まさしくその人間のメンタリティーの問題だろう。・・・淡白に「お疲れ」くらいが、日本人の私には合っているのかも知れない。

Friday, September 19, 2008

失われた1週間?

[Lost One Week?]

After my exams were finished, I have suffered from "Kaposi's varicelliform eruption" for this one week, more correctly, using a technical term, it is called "Eczema herpeticum". If you have courage to see its symptom, just click here. It is said to be liable to occur on atopic-dermatitis skin, from which I have tragically suffered especially for this one year. I believe that appearance is one of the strong bases to compose our identity, and this medical history of mine has provided me with some important turning points in my life. Anyway, the case of this time has been quite mild, compared to hellish Herps zoster which I experienced last January, and now I am getting out of depression. I just wanted to say how I am now to a few readers of this blog.

Our departure to Kuwait seems to be delayed, not because of my health condition but because of "the Arabic way of job"(!), and it is supposed to be at the beginning of October.

I will re-start to write blog every day from now on, and I am going to tell in Japanese why I do not use Japanese but English whenever I write on my illnesses, namely about my mentality.

Thursday, September 11, 2008

このスタンス

私の嫌いな10の人びと (新潮文庫 (な-33-6))私の嫌いな10の人びと (新潮文庫 (な-33-6))
中島 義道

新潮社 2008-08-28
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Nakajima Yoshimichi, Ten kinds of people I dislike, Shincho-bunko, Sep 1st 2008.

昨日試験の後に、片道1時間半かけて(C'est pas grand pour moi!=これくらい何ともないのだけれど!)、埼玉県は北坂戸にあるお気に入りの美容室に行って、1年ぶりに髪を切って、これであと1年何もせずにクウェートにいられまする。と、その道すがら斜め読みした、おなじみ中島先生の本。

中島氏の読みやすい一般向けの本としては

カントの人間学 (講談社現代新書)カントの人間学 (講談社現代新書)
中島 義道

講談社 1997-12
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こんなのとか

ひとを愛することができない―マイナスのナルシスの告白 (角川文庫 な 35-5)ひとを愛することができない―マイナスのナルシスの告白 (角川文庫 な 35-5)
中島 義道

角川書店 2007-02
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もあって、私みたいに捻くれている人間にはカタルシスを味わえる貴重な分野。たぶん意味の分からない人は一生分からないと思う。別にそれでも幸せならいいんですが。

さてさて今回は一番上の本の紹介ですから、手始めに著者の挙げる「嫌いな人」を列挙。
1,笑顔の絶えない人
2,常に感謝の気持ちを忘れない人
3,みんなの喜ぶ顔が見たい人
4,いつも前向きに生きている人
5,自分の仕事に「誇り」を持っている人
6,「けじめ」を大切にする人
7,喧嘩が起こるとすぐ止めようとする人
8,物事をはっきり言わない人
9,「おれ、バカだから」と言う人
10,「わが人生に悔いはない」と思っている人

ここで既に意味が分からないとか、反感を抱くような人は読んでも余り意味はなさそう。さすがに私だって付いていけない点は(この本に限らず)2,3あるけれど、結局言わんとしていることは私がここで日々もごもご嘯いていることと大差ないと思うのです。ただ思うに、中島氏が特別変わり者というよりは、心の底からそういうふうに思っていて、そうありたいと思っていても、中島氏のようにキレる頭を持っているわけでもなし、凡人でしかありえないと自認している人は、やはり思うところを押さえて生きていくしかないのであって、共感をかなりの程度感じる人は多いのだと思う。(だからそこそこ売れるわけだけれど)

珠玉の言葉を抜き出し。

「笑いは何よりも誠意を要求する、だが人びとに誠意など果たしてあろうか?笑いは悪意のないことを要求する、ところが人びとが笑うのはほとんど悪意からである。」とはドストエフスキーの『未成年』より。

美しくなんて笑えない!のだ。

「彼らが「専門家はバカだな」と言った瞬間に、その言葉はぐるっと巡ってその矛先が自分自身に向けられる。専門家と同じく自分もバカであることを自覚していない、専門家でないから分はバカから免れていると思いこんでいるどうしようもないバカさ、これが「普通のバカ」なのです。このように、バカの方が、利口よりも偉いかのような、人間として上等であるかのような、しかもルサンチマンにまみれた、一切の真実な問いかけを拒否するような、その怠惰な態度が、私は大嫌いなのです。」(p210)

よくぞ言ってくれた。反知性主義の末路。

「どんな思想をもってもいいのですが、当人がその思想をどれだけ自分の固有の感受性に基づいて考え抜いているかが決め手となる。」(p235)

「あることが真の言葉か否かは、その言葉の表面的な正しさによってではなく、その言葉を発するに至るその人が、いかに血の滲むような「経験」をしてきたかによって決まる。」「いか勤勉に「からだで考える」ことを実践しつづけてきたか」(p237)

痺れますな。Il m'a engourdi. 大好きです。Je l'aime beaucoup. このスタンスで生きていきます。

タフすぎる

とりあえず昨日をもって試験は終了!Mes examens finalement ont fini! めでたいめでたい。Je suis libéré! とはいえ放棄した憲法と日本政治外交史を再来年の7学期に持ちこしですが、この2つなら持ち越しても楽しそう。とはいえとはいえ、最近tough&flexibleがテーマである私、toughにflexibleになりすぎているのではないかという疑義あり。Why are they so eager to get units? Why can they be so? 私は急ぎすぎると色々なものを見落として、分からなくなってしまう人だから、ゆっくり、じっくり行こうと。それでも留年がかかる試験になれば必死になるし、それをオーバーしてしまえば卒業のかかった試験には死にもの狂いにはなるだろうよ。それでも、It doesn't matter how long you spend at uni (one more year or so) to make your life "fulfilled", especially in case of me, who is not kinds of "leaders of Japan and the world". It totally depends on you how to manage your life and what your "happiness" is. Of course, this is one of the privileges of UT, though. (In addition, it's quite cheap to be able to spend an academic year at uni, which allows me to do whatever I want, for $5,000. Compared to those of France and Germany, it's surely expensive, though.) というわけで、真面目な皆さんからは浮きつつありますが、こういう人種はまだまだいると思われます。とりあえず、これでやっとクウェートに頭が向かいます。Be much more tough&flexible!

あとはLe mondeの和訳とTalmudのレポートを残すのみ。Allez, encore un petit effort, tiens bon! Tiens jusqu'au bout!

Tuesday, September 9, 2008

家族とか親とか

シリア旅行中にアレッポ大学で知り合って、今は4月から東大の院(理系)にいるシリア人の友達からもらったお話。どこかで聞いたような感もあるし、すごく感動的というわけではないのだけれど、改めてときに思い起こす必要のあるテーマです。

A long time ago, there was a huge apple tree.
في قديم الزمان ... كان هناك شجرة تفاح ضخمة ...
A little boy loved to come and play around it everyday.
و كان هناك طفل صغير يلعب حول هذه الشجرة كل يوم
He climbed to the treetop, ate the apples,
took a nap under the shadow...
كان يتسلق أغصان الشجرة ويأكل من ثمارها ... ثم يغفو قليلا لينام في ظلها
He loved the tree and the tree loved to play with him.
كان يحب الشجرة وكانت الشجرة تحب أن تلعب معه
Time went by...the little boy had grown up,
مر الزمن... وكبر الطفل...
And he no longer played around the tree every day.
وأصبح لا يلعب حول الشجرة كل يوم...
One day, the boy came back to the tree and he looked sad.
في يوم من الأيام ... رجع الصبي وكان حزينا!
'Come and play with me,' the tree asked the boy.
فقالت له الشجرة: تعال والعب معي ..
'I am no longer a kid, I do not play around trees any more'
The boy replied.
فأجابها الولد: لم أعد صغيرا لألعب حولك...
'I want toys. I need money to buy them.
' أنا أريد بعض اللعب وأحتاج بعض النقود لشرائها...
'Sorry, but I do not have money...
فأجابته الشجرة: أنا لا يوجد معي نقود!!!
But you can pick all my apples and sell them.
So, you will have money.
ولكن يمكنك أن تأخذ كل التفاح الذي لدي لتبيعه ثم تحصل على النقود التي تريدها...
' The boy was so excited.
الولد كان سعيدا للغاية...
He grabbed all the apples on the tree and left happily.
فتسلق الشجرة وجمع كل ثمار التفاح التي عليها وغادر سعيدا ...
The boy never came back after he picked the apples.
لم يعد الولد بعدها ...
The tree was sad.
فأصبحت الشجرة حزينة ...
One day, the boy who now turned into a man returned
وذات يوم عاد الولد ولكنه أصبح رجلا...!!!
And the tree was excited 'Come and play with me' the tree said.
كانت الشجرة في منتهى السعادة لعودته وقالت له: تعال والعب معي...
'I do not have time to play. I have to work for my family.
ولكنه أجابها: لا يوجد وقت لدي للعب .. فقد أصبحت رجلا مسئولا عن عائلة...
We need a house for shelter.
ونحتاج لبيت يأوينا...
Can you help me?
هل يمكنك مساعدتي ؟
'Sorry', آسفة!!
I do not have any house.
But you can chop off my branches To build your house.
فأنا ليس عندي بيت ولكن يمكنك أن تأخذ جميع أغصاني لتبني بها بيتا لك...
' So the man cut all the branches of the tree and left happily.
فأخذ الرجل كل الأغصان وغادر وهو سعيد...
The tree was glad to see him happy
but the man never came back since then.
كانت الشجرة مسرورة لرؤيته سعيدا... لكن الرجل لم يعد إليها ...
The tree was again lonely and sad.
فأصبحت الشجرة وحيدة و حزينة مرة أخرى
One hot summer day, وفي يوم حار من ايام الصيف...
The man returned and the tree was delighted.
عاد الرجل.. وكانت الشجرة في منتهى السعادة..
'Come and play with me!' the tree said.
فقالت له الشجرة: تعال والعب معي...
'I am getting old. I want to go sailing to relax myself.
فقال لها الرجل لقد تقدمت في السن.. وأريد أن أبحر لأي مكان لأرتاح...
'Can you give me a boat?' 'Said the man'.
فقال لها الرجل: هل يمكنك إعطائي مركبا..
'Use my trunk to build your boat. You can sail far away and be happy.
فأجابته: خذ جذعي لبناء مركب... وبعدها يمكنك أن تبحر به بعيدا ... وتكون سعيدا...
' So the man cut the tree trunk to make a boat.
فقطع الرجل جذع الشجرة وصنع مركبا!!
He went sailing and never showed up for a long time.
فسافر مبحرا ولم يعد لمدة طويلة..
Finally, the man returned after many years.
أخيرا عاد الرجل بعد غياب طويل
....... 'Sorry, my boy. But I do not have anything for you anymore.
ولكن الشجرة قالت له: آسفة يا بني.. لم يعد
عندي أي شئ أعطيه لك..
No more apples for you...' The tree said'.
وقالت له: لا يوجد تفاح
'No problem, I do not have any teeth to bite ' The man replied.
قال لها: لا عليك لم يعد عندي أي أسنان لأقضمها بها...
'No more trunk for you to climb on'
لم يعد عندي جذع لتتسلقه..
'I am too old for that now' the man said.
فأجابها الرجل لقد أصبحت عجوزا ولا أستطيع القيام بذلك!!
'I really cannot give you anything...
قالت: أنا فعلا لا يوجد لدي ما أعطيه لك
... The only thing left is my dying root,' The tree said with tears.
قالت وهي تبكي.. كل ما تبقى لدي جذور ميتة...
'I do not need much now, just a place to rest.
فأجابها: كل ما أحتاجه الآن هو مكان لأستريح فيه
.. I am tired after all these years' the man replied.
فأنا متعب بعد كل هذه السنين...
'Good! Old tree roots are the best place to lean on and rest,
فأجابته: جذور الشجرة العجوز هي أنسب مكان لك للراحة...
Come, come sit down with me and rest.
تعال ... تعال واجلس معي لتستريح ...
' The man sat down and the tree was glad and smiled with tears...
... This is you and the tree is your parents!!!
جلس الرجل إليها.. كانت الشجرة سعيدة.. تبسمت والدموع تملأ عينيها...
هل تعرف من هي هذه الشجرة؟
إنها أبويك!!

イデオロギーに染まらない(共和党に言われるのでない)家族や親の大切さとかありがたさとか、そうして回る自然の摂理みたいなものは本来は本当に切なくて美しいもの。私は山口百恵の「秋桜」を聴くたびに泣く人です。その度に、自宅通学頑張ろうと思えます・・・(笑)

Sunday, September 7, 2008

どんなときも


氷上のプロポーズで一躍有名になってから、井上怜奈という人は本当にすごい人だと思っていた。最近、彼女がアフラックのCMに出ていて、これがまた泣かせる作りになっている。父親の死に、自身の癌、頭蓋骨骨折とPTSD、卵巣摘出、経済的な苦難・・・材料は揃っているわけだから、感動的なCMなんていくらでも作れるのだろうけれど、彼女の言葉が、笑顔が、すごく素敵なのだ。

「自分の好きなことをとことん追求して、そのプロセスを楽しむことこそが、人生の意味だと思うんです。プロセスって、いいときばかりじゃない。どん底のときもある。でも、今生きているんだったら、この瞬間を大事にして、悩むよりも楽しむほうがいい。私のチョイスはそっちですね。いいときも、悪いときも、人生を楽しんでいたい」

目新しいことを言っているわけじゃない。難しい言葉で難しいことを語っているわけじゃない。だけど、この平易な言葉の重みを重みとして、きちんと受け止められることを、私は誇りに思っていい気がする。 デモクラシーもプロセス、ゆえに人生もプロセス。何だってプロセス。

最近のマイスローガン。“タフに、フレキシブルに、どんなときも人生を楽しんで。大きな、大きな人になれ”

Saturday, September 6, 2008

多様性とやら






























現実逃避に世界の諸言語で自分の名前を書いてみました。
①エチオピアのアムハラ文字(下)
②韓国朝鮮語のハングル文字:요시노 미카 (1年生の夏に1ヶ月だけ勉強して挫折経験あり。文法は簡単だけど単語が覚えられなかった)

③キリル文字:Ёсино Мика
④ヒンディー語のデーヴァナーガリー文字:योशिनो मिका(当然だけど、もはや全然わからない)
⑤ヒエログリフ
⑥タイ語のタイ文字:โยซีโน มีกา(これは見覚えがあります)
⑦ギリシア文字:Ιοσινο Μικα(自分の名前が高尚に見えます。偏見ですが)
⑧アルメニア文字
⑨モンゴル文字(そういえば縦書きの文字表記の言語ってどれくらいあるのか。モンゴルのBちゃんはこれをメールでローマ字表記していたな。点とかもあって書道もできそう。文法も近い。現在ではこのモンゴル文字はほとんど使われず、キリル文字表記が一般的)
⑩スリランカのシンハラ文字
⑪ヘブライ文字(文学部のタルムード原典購読で、読めないのにじっと何時間も見つめていた)
⑫変体がな(我らが、という感じですが。縦書きにできればよかった)
⑬ビルマ文字(これも可愛い)




こういう「特殊な」文字(「特殊」かどうかは数で決まるものではないが)、少数の(多くて数百万人程度の)人々によって話される言語を内に秘めて、日本で生活している方々を見ると羨ましくてならない。その“他に”ホームがあるということ。私の知らない、決して届くことのないであろう思考様式を隠し持っているということ。世界を、感情を。変換、翻訳不能な、その貴重で貴重で貴重すぎる無形の財。「多様性」なんかでは収まりきらない、このまったき異なるものもの。



自分の名前を変換しまくり、さぞや自分大好き人間かというと、そんなはずはなく。では、自分の名前大好き人間かと言うと、これも違う。名前に関してはミスマッチ度が高い。違和感マックス。名前の重要さなんて、今更なお話だけど、でもやっぱり名前は名前なんだよね。名前という概念がなかったら、私はあの人をどう認知するのだろう。名前に規定される部分とそうでない部分。歳を取るにつれて、私はこの名前と一体化して雁字搦めに溺れるのだろうか。その名前を引き剥がしたとき、そこに残るものがあれば、それで生きていけるのだろうけれど。やはり結局、Je pense, donc je suis.ということか。何だかんだ言ってデカルトは偉大だ。



日本人は今1億2000万。いわゆる「経済大国」。国土は狭いが人はいるし、お金もある。国際社会の政治力学上は弱々しいけれど、どうしたってマジョリティーに入ってしまう。英語ネイティヴでないことにたまには僻んでみたりするけれど、そんなことどうってことない。多数派の名のもとに胡坐をかくなよ。自分がスタンダードだなんて思うなよ。見ろ、現前に広がる、この「多様性」とやらを。

・・・ということは往々にして忘れがちであるので、たまにこの「不思議な」文字たちを見ようと思う。

謎でない謎

ライス国務長官がリビアのカダフィ大佐を訪問。ブレア、サルコジに続く「大佐参り」。ブータンみたいなことは止めて、もっと観光しやすくしてください。リビアはブータンじゃないんだから。Go!北アフリカ横断計画。

ふと思うこと。①アラビア語だけが日常的に使われていて②石油資源のない国で、豊かな(ここでは単にGDPの高さで考える)国は存在するのだろうか?と。湾岸は石油で潤っているし、モロッコやチュニジアはフランス語も支配的で、この条件にすっぽり収まる国が管見では見当たらない。となると、アラビア語は近代化を妨げる非合理的な言語・・・という偏見にまみれた暴論も不可能ではない。

例えば、アルジャジーラのサイトにしても英語版は洗練されているのに、アラビア語版になるとどうしても文字の特性上無駄なスペースができてしまって情報量が英語版のそれよりも限定されているような気もする。(読めるわけではないから何とも断言できないが)

また、口語が書き言葉で表せないというのは我々日本人にとってはかなりショッキングだ。メールや手紙はどうするのか?まさかフスハー(文語)で書くのか?とアラブ人に問えば、困惑して、「携帯でメールは使わないし、ましてやPCにアクセスする人も少ないし、手紙なんて書かないし・・・」と言葉を濁す。となると、これはリテラシーや文化の問題?それとも科学技術が未発達ゆえに書きたくてもメールが書けないということ?(アラビア語入力は面倒なのはヨーロッパ言語中心の入力体系のせい?)

日本なら関西人はインフォーマルなメールや手紙でバリバリの関西弁を使う。なぜアラビア語ではそれが不可能なのか?昨年度の留学生の話では、エジプトの字幕はエジプト方言の「音」で表していたという。アラビア語の先生に聞いても「さあ・・・?」なんだよね。小説の会話はどうなのだろう。そこに方言を使ってしまったら、アラビア語圏に普遍的な作品とはなりにくいのではないか。そうすると、会話も文語・・・?この疑問は1年後くらいには払拭されるのかも知れないし、そもそも口語を書き表す必要性にどうして私がここまでこだわるのかもあちらさんには理解不能かもしれない。

それにしても、口語を(少なくとも合理的に)書き表せないというのは、いわゆる「未開の」部族に限定されるべき話かと思っていた。それとも、「近代的な」人々が、その口語を書き表せないというケースは意外とありうることなのだろうか。話は若干それるが、日本人以外に多いのが、外国語もしくは母語までも「話せるけど読み書きできない」というパターン。どうやってその言語を学んだのか、かなり謎になる。流暢に話していて、そこそこ教養のありそうな人も文章を書かせると文法がはちゃめちゃというケースはよくある。「書けるけど速くは話せない」のならばそのメカニズムはよく分かるけれども。これは言語習得に関する文化の違いに帰してしまっていいのか、エクリチュールに対する日本人の過剰な信仰?プラクティカルでない日本の「教養主義」?

未発達なのはアラビア語という言語のせいか?それともそれをとりまく状況、環境のせいか?・・・謎は深まるばかりだが、私がこんな謎に嵌っているのも、彼らにとってみたらもっと謎なのかも知れない。

Can it be possible to master languages without writing and reading them?

Friday, September 5, 2008

誰でもOK

共和党の副大統領候補サラ・ペイリン氏の長男は19歳で陸軍。イラクへ派兵される。17歳の娘は同じく高校生のボーイフレンドを相手に妊娠、結婚の予定。そしてダウン症の赤ちゃん。・・・劇的すぎない?

「サラは自分がスカートをはいていることを誇りに思っている人」とは某米国紙評。リサーチが足りないから何とも言えないけど、アメリカで軍に入るのってよほどそういう目的意識があるか、経済的に苦しい家庭の子息なんじゃなかったっけ。さすがに高校生で妊娠っていうのは"不真面目"だ!っていうのはアメリカでもまだまだ健在のようで。・・・この家庭大丈夫なのかな?

「庶民性」も大事だけれど、(前にも書いたが)反知性主義もここまで来る?という感も否めない。首相なんて結局誰でもやれる感が強まっている昨今だけど、アメリカも副大統領なら誰でもやれるのでは?ま、誰でもやれるってのがデモクラシーの本質ですか。

Thursday, September 4, 2008

シュールさ

去年安倍首相が辞めたのは「日本政治」の試験の最中で、今年福田首相が辞めたのはその前夜だった・・・というシュールな「日本政治」の試験は、今年は慶應の講師によって試験内容もシュールだった。

世界史ができていなければ、小論文の採点はしない・・・というのが慶應の法学部の入試だった覚えがある。慶應がどんな人材を欲しているかよくわかりますな。そうなると私はやはり俄然アンチ慶應か。いや、でも早稲田も嫌だな。ああ、結局手前味噌なのね。でも愚直なのは、好きよ。4年で卒業できないのも、好きよ。どこかの国みたいに3年で卒業して時間節約するような人生は嫌だわ。・・・なんて強がり。

来年の「日本政治」の試験の前後にまた誰か辞めてくれたら本当に面白い。小池百合子応援してます、だって彼女はアラビア語の星だから。

出会いの力

どんな人に出会えるかはその人の実力――2日の朝日でどこかの教授のいいコラムが載っていた。膝を打ちたくなるような感じで良かった。

換言すれば、同じものを見ても聞いても考えることはその人の実力によって決まってしまう。恐ろしいですね、もっと言ってしまえば、どんな人生を送るかもその人の実力。誤解を恐れずに言えば、この文章を読んで憤慨するような人は分かっていない=力のない人ということである。実力というのは出世とか名声とか偏差値の高さとかではないのは言うまでもない。

最近マイブームなのが、トーク番組を見ること。頭のいい人の会話のキャッチボール、コミュニケーションというのは本当に面白い。唐沢寿明は本当に力のある人だと思う。だから、彼の周りには力のある魅力的な人間がうようよと集まってきている。

身の回りの何をつかんで何を感じ考えてどんな行動を次に起こすかは、本当に力のあるなしがはっきりしてしまう。会話を一度投げて返ってくる言葉で、その人の頭の程度も分かってしまう。私は私の頭が空っぽであることを一人でも多くの人に分かられてしまうのが恐くて、いつもひっそりとやり過ごすわけだから、対人関係は広くはないけれど、こんな私にしてみればすごく色々な人に恵まれているのでかなり満足している。あ、このブログの所在をお教えするのも、もう私の頭の程度をご存知の人に対してであります。

賢い人もいれば愚かな人もいる。役に立つ人間もいれば役立たずの人間もいる。生きる価値のある人もいれば生きる価値のない人もいる。(理念上はみなに平等の生きる価値があるのだが、実質上はそうではないよね、という話をしている)そうやって世の中が成り立っているのだから、愚かであることを恥じる必要はないのだけど、いばる必要もないことを付け加えておこう。

誤解されそうだからもう少し付け加えよう。電車も一日数本しかこないようなテレビもあまりよく映らないような田舎で農作業をして近所の人に愛されて大地の恵みとか生きることの尊さとか誠実さとか謙虚さとかをよく知っている80歳のおばあちゃんは本当に実力のある人だと思うよ。

私は私だし

カルチャーショック ハーバードvs東大─アメリカ奨学生のみた大学教育─カルチャーショック ハーバードvs東大─アメリカ奨学生のみた大学教育─
ベンジャミン・トバクマン

大学教育出版 2008-08-12
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西洋法制史の試験が思い通りに書けず落胆し、行政法は切るのだけれどそのまま帰るのも癪だから書籍部でこれを立ち読み、読了したら、ますます嫌な気分になって、寝不足も手伝って若くないことを実感し、気づけば帰って17時から次の朝9時まで寝ていたという私です。西洋法制史の「西洋」が初め、変換で「静養」と出てしまって、もう笑うしかありません。

勉強を今からしようと思っていた小学生が親に指摘されるとむかつくような、空気の読めない男に俺様トークされると虫唾が走るような、目の前にいる人間が私の苦しみを全く分かっていないことにため息をつくような、そんな感情に陥ってしまう本書。つまり、ハーバードの学生に"今更"東大のシステムやら日本の教育制度の欠陥を批判されても、そんなのこっちはとっくに分かってて、でもどうしようもなくて、日本を脱出するわけにもいかず、それならと仕方なく(?)日本のトップであると言われる東大に来ているキレ者って多いはずなんだよな。解決・改善しようのない分かっていることについて、何度も言われてきたようなことを指摘されると、日本で生まれ育って教育を受けてきたお前なんか失敗作だ、欠陥品だ、クズだ、と改めて言われているような被害妄想に浸ってしまいがちなのも無理はないと思う。

うちは特に依然として「帝國大學」であって、必ずしもuniversityではないのだろう。アメリカの大学は3年で卒業できるのに、なぜ東大の法学部は半分近くの人が留年しなければ卒業できないの?なぜ東大の先生はあんなにふんぞり返っているの?アメリカでは学生は消費者であって、授業はサービスだから、面白くて分かりやすくなければ先生の力不足なんだ。東大に来て初めてこんなに授業中寝ている学生を見たetc・・・もちろん、改善できるものならして欲しい点は山ほどある。日本とアメリカは違うんだといって終わりにしたくもない。それでも、それでも、それでも――!!!それでも違いすぎるこの2国を同列に扱うのも相当に無理があるように思われてならない。

例えば、著者は大学関係者に言ったそうだ。東大も、こんな入試は止めてアメリカみたいにボランティアの経験etcを評価すれば?そうしたらもっと多様で社会に役立つ学生が入ってくる、と。あのねぇ、日本にはボランティアなんていう文化はないの。カタカナで書いている外来語なの。最近は浸透してきているかも知れないけど、本当にボランティアが好きなアメリカ人の足元にも及ばない。だから、安倍元首相が訳の分からない"(義務としての)奉仕活動"とか言ってたでしょ?まだまだ輸入概念なの。

私がアメリカで育てられていたら、英語に近いヨーロッパ言語は今頃とっくにいくつかマスターしているだろうし、他の外国語にしてもメソッドが向こうはうまいからもっとコストなしで使えるようになっていただろう。これくらいの頭があって、ああいうアメリカの入試制度(SATなんて年に6回もやってるんだぜ)なら、間違いなくトップスクールに入って大学内の寮に入って遠距離通学に悩まされることもなく、24時間開館の図書館で勉強して楽しく大学生活を謳歌し、もっと言えばアメリカにはatopieは存在しないし、こんな陰気臭いことでぐじぐじ悩むような、しかも「一生悩み続けるような人間でいたい」なんていう、ニッチな人間にはなっていなかっただろうよ。でもね、私は日本で生まれ育ってしまったの!

と微笑ましくも憤慨しながら1時間帰りの電車に揺られていたら、地元に着くころには、これが私だし、まぁ仕方ないなんて、ケロッとしていた。所詮そんな程度である。

こんな学生の異文化交流記どまりの本が出せるなんて、日本の出版業界もまだまだいけるのかもね。

ああ、そういえばこのブログのタイトルも、日本語で言えば、「私は私だし」になるのかな。この「だし」がポイント。

Monday, September 1, 2008

明けない夜

共産党がブームで一万人入党だなんて。あれまあ、としか言えない。

24時間テレビ。テレビ写りの悪くない障害者に何かやらせて、頑張る姿に勇気をもらいましたって涙する番組。“脚のない人「でも」あんなに頑張ってるんだから、私もめそめそしていないで頑張らなきゃ!”どうしても上から目線が拭えない。“目の見えない人「だって」頑張ってるのに―!”昔はもっと多様な催し物があったような記憶がするのだけれど。

欺瞞だとか偽善だとかを今更告発する気はないんだ。バリアフリーの社会、「身体の不自由な人」たちとの“共生”って言うけど、本当に難しい。接し方に普段から慣れていないと、どうしても力んでしまう。「上から目線」もある意味でどうしようもないことかも知れない, just like those who stare at me,(被害妄想ではないつもり) however, 私は彼らを責めるつもりは毛頭ない。誰だって美しくて「健全な」ものを愛でる。脚は動かないけれど綺麗な顔をした女の子に芸能人が「きれいな笑顔」と賞賛することはあれど、ダウン症の子が、皮膚病の子が、奇形の顔のパーツを持った子が満面の笑みで笑ったとき、誰もそれを美しいとは呼ばない。思えない。だって、美しくないのだから。気味が悪くて、気持ち悪いのだから。

理解しようとする姿勢が大切、なんて陳腐な台詞で締めたくないね。理解なんて、自分がその身になってみなきゃ絶対できない。手間はかかるけど、理解不可能性に真摯でいるほうが、よっぽど誠実だと思うけどね。

「大変ですね」「ご苦労なさいますね」って言われると腹が立つってよく言うけど、そんなに悪くもないと思うんだよね。共感、なんて大それたレヴェルじゃないけど、例え上っ面だけのそんな言葉でも、救われてしまうことって、悲しいけどあると思うんだ。「よく頑張ってますね」「すぐ良くなりますよ」「休んでください」etc.

出口のないトンネルはないとか、明けない夜はないとか、止まない雨は無いとか、神は乗り越えられない試練はお与えにならないとか、ヨブ記にすがってみたって、救いようのない嘘ばかりだけれど、明けない夜があることなんかちゃんと分かってて、ただ「大変ですね」って言われるだけで、私は十分だと思うんだよ。

追記:身体の不自由なダンサー(英語圏の人)が嵐とコラボするというコーナーの最後に、その人は英語で「これを続けられたらいいと思う。だって、まだ始まったばかりだから」と、私の聞き取りミスでなければ絶対そう言ったのですが、通訳は「また嵐さんとご一緒できることを楽しみにしています」とだけ。作意があってのことか否か。

ろくでもなさ

私のお気に入り、サントリーBossのCM。

宇宙人が言う。
「このろくでもない、素晴らしき世界。」

うまいなぁ。

閑話休題。夏休みのど真ん中に試験というのは、常に「試験」という重圧を抱えているだけで結局勉強しない私にとっては、非生産的かつ精神衛生上宜よろしくない、実にどうしようもない夏休みを作るだけ。留年すれば必ず卒業はできるだろうけど、後に回せばいいや的危機感のなさ+法律科目へのアレルギー(政治科目は後にならないと豊富にラインナップされない)+皆はすごく勉強している→私は今からあがいても彼らの足元にも及ばないはずだ→完璧にできないのならやりたくない(=完璧主義者は自暴自棄(ゼロか百か)になりがち)で、切羽詰らず、本当にどうでもいいことばかりに時間を食い尽くすか寝るかしかない。あとは自己嫌悪の悪循環。やっぱり入るところを間違えたのだろうけど、もう後戻りはできないし。とりあえず卒業するしかなさそうだ。内容ではなくて要はやる気の問題なのに。

でも、いるんだよね。「法律がどうしても好きになれなくて、2留して卒業しました」って言う偉大な人。でもでも、それが良かったか(=長い人生で大して問題ではない)悪かったか(=だらだら人生の幕開け)という価値判断は常に歴史が下すんだよね。もう既に下っているのかも知れないけど。恐ろしや。

高校時代の自分は神がかっていたけれど、あのペースで人生進んでいったんじゃ、味気ないだろう・・・なんて、これは僻みでもなんでもなくて、ある種の達観(!?)ということにしておこう。お後がよろしいようで。