Monday, September 1, 2008

明けない夜

共産党がブームで一万人入党だなんて。あれまあ、としか言えない。

24時間テレビ。テレビ写りの悪くない障害者に何かやらせて、頑張る姿に勇気をもらいましたって涙する番組。“脚のない人「でも」あんなに頑張ってるんだから、私もめそめそしていないで頑張らなきゃ!”どうしても上から目線が拭えない。“目の見えない人「だって」頑張ってるのに―!”昔はもっと多様な催し物があったような記憶がするのだけれど。

欺瞞だとか偽善だとかを今更告発する気はないんだ。バリアフリーの社会、「身体の不自由な人」たちとの“共生”って言うけど、本当に難しい。接し方に普段から慣れていないと、どうしても力んでしまう。「上から目線」もある意味でどうしようもないことかも知れない, just like those who stare at me,(被害妄想ではないつもり) however, 私は彼らを責めるつもりは毛頭ない。誰だって美しくて「健全な」ものを愛でる。脚は動かないけれど綺麗な顔をした女の子に芸能人が「きれいな笑顔」と賞賛することはあれど、ダウン症の子が、皮膚病の子が、奇形の顔のパーツを持った子が満面の笑みで笑ったとき、誰もそれを美しいとは呼ばない。思えない。だって、美しくないのだから。気味が悪くて、気持ち悪いのだから。

理解しようとする姿勢が大切、なんて陳腐な台詞で締めたくないね。理解なんて、自分がその身になってみなきゃ絶対できない。手間はかかるけど、理解不可能性に真摯でいるほうが、よっぽど誠実だと思うけどね。

「大変ですね」「ご苦労なさいますね」って言われると腹が立つってよく言うけど、そんなに悪くもないと思うんだよね。共感、なんて大それたレヴェルじゃないけど、例え上っ面だけのそんな言葉でも、救われてしまうことって、悲しいけどあると思うんだ。「よく頑張ってますね」「すぐ良くなりますよ」「休んでください」etc.

出口のないトンネルはないとか、明けない夜はないとか、止まない雨は無いとか、神は乗り越えられない試練はお与えにならないとか、ヨブ記にすがってみたって、救いようのない嘘ばかりだけれど、明けない夜があることなんかちゃんと分かってて、ただ「大変ですね」って言われるだけで、私は十分だと思うんだよ。

追記:身体の不自由なダンサー(英語圏の人)が嵐とコラボするというコーナーの最後に、その人は英語で「これを続けられたらいいと思う。だって、まだ始まったばかりだから」と、私の聞き取りミスでなければ絶対そう言ったのですが、通訳は「また嵐さんとご一緒できることを楽しみにしています」とだけ。作意があってのことか否か。

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