Wednesday, December 22, 2010

ざくっと考えてることも含めて近況報告

実に実に久方ぶりにここに向かう覚悟と余裕ができた、のかあるいはもはや迫りくる年の瀬の重苦しさとけたたましさに耐え切れなくなった筆者がただ惰性で免罪符代わりに座るのかは定かではなく、おそらく読者の皆様(なモンいるかと合いの手を入れるのが日本的ないし筆者的謙遜フォームに思いきや、記録上はコンスタントに訪れてくださる方がいるので)が一番ご存知かも。

事実からシンプルに書こう。9,10月自らに課したオーバーワークにより慢性的体調不良(体重減少、窶れ、抜け毛)を招き、雪崩的に遂行した被告人との逃避行+仏語学1ヶ月留学(ホームステイ、バラ珍再会s)は色々ありーの、回避放棄した憲法2部と日本政治外交史の追試を極限的精神状況で受けて(前者の勉強時間当日朝3時間)教授らの寛大な恩赦により通過、帰国後は労働量を緩め普通に朝から夕方まで授業に出てノートを取るという生活、今外から聞こえるのは「火の用心」。

私は愛を知らない。この至上命題の克服に全精力を費やした時期が幾度かあったけど、疲れたので無期限休憩。オーバーワークの後から自分の顔が変わったように思う。目が硬くなった。物理的に「固い」のかどうかまで分からんが、写真なんかで見た感じ硬い。光栄にも(!)あの勝間和代に似ていると言われる昨今はただ正直な反応なのかも。かつて会う人殆どに仲間由紀恵と呼ばれた中高時代はいずこ(笑)問題はそれが肉体的なものによるのか精神的なものによるのかということ。精神的なものであれば以前の状態に戻るのは至難の業。危機。まあ、そもそも○紅パリ支店の有名人に「お前は核がない」呼ばわりの栄誉を受けた身に危機を生じさせる「モト」もあるのかという突っ込みも。(に対して「核廃絶運動」したらと言ってくれる友達に(数ヶ月前から)胸キュンなんだけどw、私の片思いは絶対に実らないことになっているのでその前提で行きまする・・・ただ女友達曰く、私が「女の眼差し」を封じ込めてしまうのがその要因のひとつだと。「(あなたは男友達よ)」という目線を無理して貫いてたら相手にいくら気持ちがあったって実るモンも実らんと。もっともらしいっすね。でもさぁ、たまぁに(たまにですよ、たまに)男友達に男の目線を向けられると(やっべぇ)と思って本能的に変えちゃうんだよね。「(あなたのことはなんとも思ってないのよ、私なんかにそんな気起こされたら気色悪いだけでしょ、良かったね)」目線に。必死な自己防御ね。これだからお一人様は自明だわ。→閑話休題)


括弧内で脱線したからそのまま脱線が伏線だったことにします。未婚率、とくに30代前半男性のが高いのは非正規雇用が~とかバブル崩壊後の~とか無縁社会で~っていう耳タコ説明を今更さも新しいかのように有難がって拝聴する輩多し。間違いじゃないし、そういう要素ももちろん多分にあるだろうが、違うっすよ。発言小町と2chを御覧なさいよ、希望学者やアタマ左・財布右(named by井上センセー)の政治屋ども。恋愛結婚至上主義とそれこそ近代化都市化に伴う共同体的人間関係の希薄化(=おせっかいおばさんの消滅)という時代の流れに沿って、結婚がいつしか、少なくとも一人のまったき他者を愛し愛され共同生活を営める「素晴らしき」人間性の証明、ギャランティーになってから、そのハードルの高さに慄く屈折者の怖気づき諦念が拍車をかけたのだよ。派遣で安月給でも幸せな家庭を築けている奴らは絶対結構いる。高収入で自立しながら結婚を望む男女が婚活市場の餌食になって犠牲になって挙句に「人間失格」の烙印を押され(自分でもその「押す」作業を時には手伝いさえもするような、ある視点からは卑屈で、良く言えば謙虚な人たちだと思う)市場から締め出されている。


無償の、何の見返りも求めない「正しい」愛の形を自分も一度は経験or踏襲してみないと、人間としてどうかと・・・という思考は既に自分の人間性判定テストという究極の自己中に支えられてる。だから多分無理。永遠に無理。これが今のワタシ。客観的に見て愛し愛されてますね的関係性に例え身を置いたとしても「自分は幸せだ」という何の他意もなさそうな(単純にI am happyというだけのこと)感情が、「だから何なのだ」という自主的突込みに対して、それだけシンプルにはいられない。「だから・・・?良かったなと思って」「何が良かったの」「こういう状況にある自分が」という論法?謙虚さが引っ繰り返ってワタシったら元々御目出度いのよって開き直ったら尚のこと。


こうやって核なし人間は、いかにも核のなさそうな、生まれなさそうな素地を既成事実化していくのであります。


人生は選択と決断の連続。ある可能性を排除して、ある可能性を呼び込む、不断の営み。それを嬉々としてやる人間(仮に「ビジネススクール型人間」とする)には、とりあえず己のチョイスに結果的には満足(というか、だってそれ以外の道を採りえなかったのだから歴史的ifとしての比較はありえない)しつつも、いちいちそこに躊躇と留保を「知的営為」だとして付与していく人間(仮にこれを、東大法学部第三類に多いけど、その中から国際関係論大好きグループを思いっきり除いた、残った彼らのことを、「アクチュアルなものには慎重に型人間」とでも呼びましょうか。筆者はここに入るのかなぁ)の思考回路などに心からの共感はできまいよ、なぜならその逆も然りだからだよ、というのはお粗末様すぎるかなぁ。


そんなもんだから、クリスマスはシングルベールで独男らと世のカップル観察という予定。みーんな自分が大好き。キリストも究極のエゴイストだったように、我々みーんな自分大好き。だから世の中成り立つ。メリークリスマスin advance(笑)

p.s. 夜更かし久しぶり。明朝バイトないんだもん。で私の淡い恋心再び散る(笑)喋ってるときから賢い人だと思ってたけど(頭のいい人に魅かれる)fbとtwitterで見つけちゃって本当に頭がいいことを確認した。駄目なんだ、自分よりアタマがいいと恐れ慄いて身を引く、悪けりゃ失望して尊敬できない。久しぶりかも、こういうの。viva 高校生w