Wednesday, April 7, 2010

眠れぬ夜のぼやき

2009年10月からいわゆるシューカツが全国的に始動してからというもの、私は私なりに最善だと思われるやり方で、常に最善だと思われる選択肢を採ってきた。相対的にとか客観的にどうかではなく、少なくとも主観的にはそう思っている。あれやこれ以外は採りえなかった。

確かに、超氷河期と世の中がいくら捲くし立てても、奥底では超然とした「甘さ」があったと言われれば否定できないのは事実だが、今振り返ってみても、今の状況も鑑みても、過去のそれぞれの時点でそれ以上のこともそれ以上の思考もできなかったと思う。

確かに、私には具体とか実践というものに対して最後までアレルギーを引き摺っていたから、「よく分からない人」で終わっているだろうし、実際のところ自分でもまだよく分かっていないのだけれど、とにかく世の中に出ないことには埒が明かないわけで、新卒の人間が狭量な視野・経験で色々なことを限定し過ぎるのはアホらしいし、少なくとも私は限定するに値する人間ではないという結論に至っていること(=ようするにこの思考過程に共感できない陣にとっては「なんでもいい」意思のないヤツとしか受け取れない)も、多くの企業で最終的に落とされる原因だということくらい、とっくに気づいている。

もっと合理的に、プラグマティックに、やろうと思えばできるはずだけど・・・主な原因は2つだ。(1)絶対そこでしかありえないという熱意、情熱、必死さを演じ切れていない(←最終近くで落とされるパターン)(2)そもそも地頭がない(←ある種のところで2次で落とされるパターン)(3)オーバースペックor個性的過ぎ(←一流企業以外からES段階で落とされるパターン)

そこそこの能力と健康を授かって大切に育てられてきた。高校卒業まではそれを最大化することに注力してきたし、かなりの程度どうにかなったと思う。ただ、私のそれからの大学生活の送り方は多くの日本の私企業が欲するようなそれではなかった。(では他に欲してくれるところがあるのかという問いはさておき)やはり、身分不相応過ぎる大学に入ってしまったことが、自分の存在意義から改めて検討し直す期間をあまりにも長く取りすぎ、いわゆるリアルに充実した生活から遠ざけてしまった。あるいは、どこに行っても結局私はこういう人生を送るしかなかったとももちろん言える。

嘘をつかずに採用してくれるところでないと、何十年も幸せに勤められない。どこも採ってくれなかったら、所詮そこまでだったということで、かえって身の程が分かっていい・・・という表面的な諦めは過信と傲慢の裏返しにしか過ぎない。なんだかんだ言いつつ、結局いまだに自分のことが諦められないのだから手に負えない。本当に社会化されていないのだから、呆れても何も言えない。決定的な問題点として、この堂々巡りの思考のブレークスルーが最後まで結局できなかったことは大きい。

何もかも中途半端で、ロジカルな思考など到底できず、そうして初めからもともとありもしなかった可能性をどんどんさらに縮小させていく。シューカツフォーマットさえも踏襲できない中二病患者の行く末やいかに。

思考停止、どん詰まりとはこういうことだ。私の思考様式もレベルもこの4年間全く変わっていない。

とりあえず、持ち駒が尽きるであろう4月下旬まで負(腐)のオーラを出さないよう注意して、その他改善を図りながら全力で当たってみる。5月のメーカーの第二募集も挑戦する。そうしたところで、渡米じゃ。何らかのポジティヴな契機になるか。الله أعلم 神は全てを御存知。