Wednesday, September 8, 2010

報告書

 日本の若者の内向化が著しいと叫ばれて久しいが、日本の新卒就職活動文化や「入院」と揶揄される文系の大学院進学への忌避感、奨学金制度の不備など一朝一夕に改善できるわけではない社会的な諸問題を考えれば、後期教養学部や工学部などを除いて他に大学が公式に学部生を海外大学に送り出す制度をもたない(日本の最高高等教育機関とされている)東京大学の、この全学部生に開かれた唯一の短期交換留学制度であるIARU GSPは、授業料分の経済的援助を含めて評価されて然るべきだと思われるし、また私自身も非常に感謝している。以下、私が参加したカリフォルニア大学バークレー校における"Media Culture and Society in the Middle East"のセッションについて述べる。

・セッション自体について
 私自身一年間アラブ地域に留学していたこと、イスラームやいわゆる中東学について個人的な興味が強く、ある一定程度の知識と経験を有していたことや思想の偏向等が影響するのかどうか定かではないが、講義の内容、質、レベルとしては日本で言うカルチャーセンターないし教養番組のそれに留まり、仮に講義が私の母語である日本語で展開されていたならば、何人かの学生のように授業中ネットサーフィンに甘んじていたかも知れない。しかし、オックスフォードのPh.D candidateであるメインの講師や、その他華々しい経歴をCV上において持っているその他のゲスト講師の実際を含めて、アメリカ(ないし英語圏)の大学学部教育やアメリカの中東学のあり方の一端を垣間見ることができたことが、当初からの目的でもあったが何よりの収穫で、「聞いて理解して考え自分の意見を持つ」という段階まではおそらく相対的にも満足に達成できたことが今後の自分の将来に積極的な意味を持つことは間違いない。ただ、ネイティブ英語話者であるクラスメートらとのグループワークでは、議論の内容はほぼ理解できても、英語圏在住経験がなく、英語のスピーキング能力の向上に尽力してきたわけでもない私にとって、自分の持つ意見をそのまま伝達することは非常に困難であったし、そもそも(おそらく日本語文化と英語文化における)問いの立て方や思考回路の相違によっても、それに対して不慣れであると自身の思考力がかなり規定されることにフラストレーションを感じたが、これもある程度の慣れと努力があればそれなりに向上されるだろうという見通しが立ったことは非常に有意義だった。

・セッション外について
 多様なバックグラウンドを持ち、必ずしもネイティブ英語話者ではない大量の学生に対しての支援体勢はさすがアメリカと言うべきであった。バークレーの学生含め、IARUから派遣された学生を中心に交流を深められたことが何にもまして貴重であったと言える。