Sunday, October 18, 2009

سبحان الله

何を言おうと喚こうと言うまいと喚きまいと、自分で自分の命を絶つか、諸要因によって死が訪れるまでは、自分に属する(とここではする)時間が、少なくともその時間だけは何があっても自分と運命を共にし、しかも一定の速さで変わることなく絶えず流れていってくれているということは、どうしようもなく有り難くも残酷にも感じられるし、そこには慈悲と無慈悲が背中合わせに同居しているわけだけれども、どちらをとるかは、その人の現在の様々な意味での「状況」(出自、才能、経済的状況等全てを含む)に負うかといえば、必ずしもそうではなかろうことが容易に想像できることが、我々に希望を与えてくれるかも知れない。・・・なんて、要するにどうにかなるときはなるし、どうにもならないときはどうにもならない。でも、誠実に真面目にやっていこうかな、くらいの希望でもあるし、涙がでるほどの希望でもあるのでした。

約1週間前に国連難民映画祭で「ジェニンの心」を観て。ただ単純にアラビア語やアラブが恋しくて、観覧料がカンパ制だったから行ったのだけれど、もうどうしようもなかった。話自体や映画としての質なんか、私にとってはどうでもよいこと。何がどうしようもないって・・・

シリア方言にも近いパレスチナのシャームの国々の愛くるしい言葉を、文化を、習慣を、生で直接、意を解する人がこの会場に私の他にどれだけいるのだろうかと思うと、もちろんそんなに知ったかぶりをするつもりは毛頭ないけれど、1年あの地方にいただけなりに「分かってしまう」ことが含み持つあまりの残酷さと素敵さ(いい日本語が思いつかないけれど、あの辺の口語で言うと、ヘロ(حلو)スウィートね、素敵、可愛い等々の意)を知ってしまった者なりの責任の重さ、責任とか言わないまでも、そのこと自体の重さ、私に目をかけてくれた全ての人々に何ができるかとか、一応イスラームでは神の、天国の言葉となっていて、文語であれば私だって啓示が下されたとされる7世紀の人々とも普通にコミュニケーションがとれてしまうという意味での貴重さや崇高さetcに、سبحان اللهという(直訳としては、「神に讃えあれ!」ですが、実際人が使うシチュエーションとしては「何だか分からないけれど、人の知には及ばない何か凄いものがこの世の中にはある。自分も、この状況も、それによって導かれている。ああ、何とも言えないが、素晴らしい」みたいな感じ。イスラーム教徒にとってはその「何か」が神や神の意思であるのでしょう。例としては、友との別離で、友が旅立った直後に、ああ・・・سبحان اللهとか、遺跡を見て、ここにはあれこれといった歴史や人々が・・・سبحان الله)思いが押し寄せてきて、泣きそうでした。

例を挙げ始めると切りがないけれど、まずこの映画とタイトル自体が、英語ではHeart of Jeninで、日本語もofは「の」になっている。ところがアラビア語ではقلب من جنينとなっている。منというのはもちろんofの意味もあるけれど、どちらかというとfrom的要素が強い。そこに帰属していて、かつそこからどこかに移動したという意味のような自分では気がしている。まあ、そうすると訳としてはofが妥当なのだろうけれど、fromのほうがダイレクトに訳されている気がしないでもない。で、問題はここからで、fromを訳にあてると、主人公の少年の心臓(や臓器)がジェニンの村からがっつり取られて、何人かの人々に分配されていくイメージが強くなる。ハイ、取られた!という。ofだとその生々しさが軽減されてしまう。・・・そんなこんなで、タイトルを観た瞬間から、こういった些細な、訳出不可能な差異がありありと見えてきてしまって。別にこんなことはどんな言語にも言えるのだけれど、アラビア語を話す人々が置かれている状況や彼らがいる場所を取り巻く複雑な情勢etcを考えると・・・重いんですわ。




أريد أن أرى شخصاً عربياً خاصة السوري في طوكيو ولكن طبعاً ليسوا موجودين. فلقد زرت المحاضرة مع الأستاذ الدمشقي ولكن المستوى في تلك المحاضرة كان ضعيفاً وقال لي إنه من ألأفضل أن لا آتي بطريقة غير مباشر وسوف يعطيني المادة إذا سجلت رسمياً....أه أحافظ لغتي العربية كما كانت في سوريا ولكن أشتاق كثيراً إلى اللغة العربية ذاتها و الشعب العربي لذلك زرت مهرجان الأمم المتحدة في الأسبوع الماضي وشاهدت الفلم عن فلسطين. لهجتهم متشابهة مع لهجة سورية وشعرت أنني مسؤولة عن أنني لقد عرفت اللغة العربية"الثقيلة". "الثقيلة" تعني أولاً أنها اللغة في الجنة في الإسلام و ثانياً دائماً توجد المشاكل الكثيرة و الكبيرة و المهمة و المعقدة حول المناتق حيث الناس الذين يتكلمون اللغة العربية فيها مثل قضايا فلسطين أو الفقر...إلخ. لا أعرف ماذا أستطيع أن أفعل بالعربية ولكن لقد عرفت القليل منها. وهذا يعني أنني مسؤولة. فلم أستطع أن أمنع بكاء قليل... حقاً سبحان الله


5 comments:

[-_-] said...

Just wrote to leave a comment, heh. Too many languages all together and they do not make sense anymore, however other readers, hmm they may share their thoughts or not; whatever, maybe I write here too often. Btw, could be able to read th "Subhanallah" at the end, progress.

soissoimeme said...

Aha, so sorry that I haven't written in English up to now, although I'm always keeping it in my mind that I MUST write in English. Mostly because my Japanese is quite rusted now and I have to improve or at least recover it till my original level, haha. So this is my practice in a meaning, hahaha. I never intend to wipe you away from here, just because you are one of precious and a few readers of my nonsense blog. Whatever, I WILL write something. Be patient!

Anonymous said...

No I did not say that. I was just trying to find out something to write :)

soissoimeme said...

Haha,I know, I know...anyway.

Anonymous said...

heh whatever