Friday, October 30, 2009

イランとトルコの名誉殺人記事

Here the newspaper ariticles translated into Japanese from Turkish and Persian on recent condition of Honor Killings. I wish I could read them directly in its language.


テヘラン検事長「名誉殺人に対する罰則を強化すべき」
2009年10月28日付 Iran紙
【事件部】テヘラン一般革命検察のアッバース・ジャアファリー=ドウラトアーバーディー検事長は、イスラーム刑法第630条の改正を図り、名誉殺人の加害者に対する罰則を強化するべきとの見解を示した。

 イラン国営通信の報道によると、ジャアファリー=ドウラトアーバーディー検事長は昨日、暴力犯罪被害者支援機構で開かれた第5回「暴力犯罪を減らすための法的措置を考える会」の席上でこのように述べ、さらに次のように語った。

我が国で起きる名誉殺人をなくす、ないしはその件数を減らすための対策は、本質的に法的なものではない。この問題の根元には、むしろ文化・教育上の問題があるからだ。とはいえ、司法機関には法律の改正という仕事を行うことも可能だ。司法機関にはこの問題についてなんら打つべき手はない、などと開き直ることはできない。

ウラマーたちには、問題解決に向けた議論に参加してもらうことが必要だ。プレスやメディアにも世論を煽ることなく、議論に関わっていただくことが重要だろう。社会学者や心理学者にも、この問題で重要な役割を果たしてもらいたいと考えている。

 同検事長は、名誉殺人を撲滅するための文化・教育分野での投資が必要だと強調した上で、この種の殺人を犯した加害者に対する厳罰化の必要性を訴え、次のように述べた。

〔犯罪加害者にキサース刑を求めない〕遺族の同意があっても、もし判事に非常な勇気があれば、加害者に対して最大で禁固10年の刑罰を科すことが可能だ。もちろん忘れてはならないのは、名誉殺人はイラン特有の現象ではなく、インドやドイツ、トルコでも見られる問題だということである。

 同検事長はさらに、次のように続ける。

ときに、「名誉に関わる動機」についてのイスラーム刑法第630条の規定が、犯罪を正当化する要素の一つとして使われており、〔名誉殺人をなくすためには〕この条項の削除ないしは改正が必要だ。故意による殺人に対する基本的な刑罰であるキサース刑〔同害報復刑〕が、何らかの理由で行われない場合には、それとは別にタアズィール刑〔矯正を目的とした裁判官による裁量刑〕が言い渡されることになるが、その際、性的問題が原因の殺人には〔タアズィール刑による〕刑罰を厳しくすることも視野に入れるべきだろう。

〔訳注:イスラーム刑法第630条は次のように規定している。「自らの妻が他人の男と姦通しているところを目撃し、妻が〔不義密通を積極的に〕受け容れていたことが分かった場合には、夫はその時点で彼らを殺害することができる。妻が〔姦通を〕強制されていた場合は、夫は男の方だけを殺害することができる。〔‥‥〕」。名誉殺人を是認するこのような条項が適用された具体例としては、こちらの記事を参照のこと。ただし、このような条項が適用されないことも多い。そうした例については、こちらの記事を参照のこと〕

 ジャアファリー=ドウラトアーバーディー検事長は、名誉殺人、精神錯乱が原因の殺人、配偶者殺人などの各種殺人事件について、「殺人は最も重大な暴力犯罪にカテゴライズされる。それは憎むべき犯罪であると同時に、社会と家族制度を傷つけるものでもある」と述べた。

 テヘラン検事長に就任する前はフーゼスターン州司法総局長を3年間務めていたジャアファリー=ドウラトアーバーディー氏は、その上で次のように付け加えた。

名誉殺人はいくつかの州で問題となっている。この種の殺人は、これといった証拠もないままに〔不義を〕疑うことが原因で起こる。こうした社会では、男の側が姉妹、妻、娘、その他の近親者に対して疑いを抱くと、そのことだけで殺人の十分な動機となってしまい、証拠や証明が必要だとは思わない傾向にある。

 同検事長はさらに、次のように続ける。

名誉殺人では、その他の殺人とは異なり、加害者は誇らしげに殺人を認める傾向にある。遺族の側も、加害者の訴追を求めないことが多い。通常、遺族は数ヶ月も経たずに、〔キサース刑を求めないことに〕同意してしまう。

 テヘラン検事長は、名誉殺人では加害者は自らの行為が正当だと考えていることが多いと強調した上で、次のように語った。

残念なことに、名誉殺人についてはわれわれ司法の側も取り扱いがバラバラで、ときに裁判官の考え方次第で矛盾した判決が下されてしまう。〔裁判での〕審理ですったもんだがあった末に、加害者が釈放されてしまうケースや、恩赦委員会で恩赦が決定されるケースも多い。

 同検事長はさらに、次のように回想する。

私がフーゼスターンで勤務していたときには、名誉殺人の加害者に対して恩赦を認めたことは一度もなかった。しかし残念なことに、〔名誉殺人を是認する〕文化や考え方が存在していたことも事実だ。判事自ら電話をかけてきて、加害者の恩赦を求めたことも一度ならずあった。

 ジャアファリー=ドウラトアーバーディー検事長は、その上で「この種の殺人は、〔社会の〕考え方にその根っこがある。加害者は自らの行動によって、社会から罪を滅ぼしたと考えている。〔女性を自らの所有物であるかのように考える〕女性に対するこうした文化が変わらない限り、名誉殺人はなくならない」と明言した。

 同検事長は、名誉殺人への対策において警察や司法機関は無力であることを認め、「われわれが無力なのは、名誉殺人の原因が文化の問題に帰着するからである」と指摘、さらに名誉殺人撲滅のための文化・教育分野への投資が必要だと強調して、「〔悪しき〕伝統が跋扈するところでは、この種の犯罪も多い」と語った。

 テヘラン一般革命検察検事長は、「われわれは、宗教統治体制において性的問題に起因する殺人が起こらぬよう、その減少に取り組んでいる」とも述べた。

 同検事長はまた、過去3年間にテヘランで発生した殺人件数について、次のように語った。

1385年〔西暦2006/7年〕には202件の殺人が発生し、そのうち女性の被害者は56人だった。1386年〔西暦2007/8年〕には149件の殺人が発生し、女性の被害者は35人、1387年〔西暦2007/8年〕には103件の殺人が発生し、女性の被害者は46人だった。また1388年上半期〔西暦2009年3月下旬〜9月下旬〕では、103件の殺人が発生し、女性の被害者は28人だった。合計すると、過去3年間で627件の殺人が発生し、男性の被害者は462人(74%)、女性の被害者は165人(26%)だったことになる。

〔訳注:1385年から1387年の3年間を合計すると、454件の殺人が発生し、1388年上半期を足しても557件であることから、上記の数字には何らかの誤りがあるものと思われる(1387年の件数が特に低いことから、103件ではなく173件の誤りである可能性が高い)。なお、女性の被害者数は1385年から1388年上半期までの3.5年分の合計と一致する。なお、平成10年から14年までの東京都で発生した殺人事件の平均認知件数は140.4件〕

 性的問題に起因する殺人事件について語ってきたテヘラン検事長は、次に夫による配偶者殺人について、次のように述べた。

被害女性たちに、この種の殺人発生に責任がなかったわけではない。というのも通常、この種の殺人は、平和的に不和を解消する方法を〔積極的に〕探る努力をしてこなかった家庭で起きているからだ。この種の殺人では、男の側に極端な男性中心主義が見られ、不義が殺人の原因となっている。また、名誉殺人と異なるのは、加害者は妻の不義に対して不審を抱いているのではなく、それを確信しているところである。

 同検事長は、麻薬中毒やアルコール中毒も配偶者殺しの原因となっているとし、「この種の殺人では、男性が妻に、『自分は麻薬中毒・アルコール中毒になっているので、お前も不道徳な行為に身を落とせ』という具合に運命の共有を求め、妻がこれに抵抗すると殺してしまう、というパターンが見られる」と述べた。

 ジャアファリー=ドウラトアーバーディー検事長は、男の側の瞬間的・突発的な怒りも配偶者殺しの原因となっているとし、さらに経済的な問題も影響していることを指摘した上で、「この問題は正当化できるものではない」と語った。
〔※経済問題によって殺人を「正当化することはできない」という意味か、それとも現在の経済状況が国にとって「申し開きのできない状況だ」という意味か、どちらであるかは不明〕

 同検事長は精神的錯乱が原因で起きる殺人についても、「こうしたケースでは、加害者は女性への嫌悪といった精神的錯乱が原因で、殺人を犯してしまう」と述べた。

 同検事長は、一部の法律の改正の必要性を強調しつつも、同時に性的問題に起因する殺人を減らすためには文化・教育への投資が重要だと訴えた。


65歳の男、銃を乱射、17人が死傷:動機は「家族の名誉を守るため」
2009年08月25日付 Iran紙

【事件部:モハンマド・ガムハール】テヘラン州キャラジ県「ガルエ・ハサン・ハーン」地区の男が、怒りに駆られて17人に銃を乱射、現場を血の海にする事件が起きた。容疑者の男は、家族の名誉に関わる問題が事件の動機となったと語った。

 本紙記者の報告によると、事件はシャフリーヴァル月1日〔8月23日〕日曜日19時に起きた。数発の銃声を耳にしたガルエ・ハサン・ハーン地区シャヒード・シャーフバダーギー通りの住民が、慌てて通りに飛び出した。

 銃声は、6階建ての集合住宅の中からのものであることが分かった。地域の住民がこの建物の中に入ると、2階の廊下にザフラーさん(48歳)とその娘サディーゲさん(20歳)の二人が血まみれになって倒れているのを発見した。さらにそこから2メートルほど先で、女性2名と男性1名が瀕死の状態になって倒れていた。

 そしてそこには、このビルの所有者モハンマド(65歳)がカラシニコフ銃を手にして立っていた。男は入ってきた人々に、これ以上中に入るなと要求、すぐさま出て行けと怒りに満ちた様子で叫んだ。

 しかし、24歳の若者パヤームさんがけが人を救助しようと足を中に踏み入れると、男は逆上してパヤームさんを銃殺、これを見た人々はすぐに建物の外に出て、警察に通報した。

 数分後、モハンマドは24戸が入ったこの建物の屋上に上り、外にいた人々に向けて銃を乱射、これにより5歳の子供を含む通行人数名が銃弾を受け負傷した。

警察が出動

 重大事件発生に伴い、治安維持軍の捜査官、情報員、及びレスキュー隊員らは現場に急行、建物を包囲した。出動した部隊の一部はビル屋上に向かい、銃を乱射している男にそれと気づかれぬよう接近、容疑者を取り押さえることに成功した。逮捕された容疑者からは、コルト製拳銃2丁、カラシニコフ銃1丁、薬きょう2千発が発見された。

負傷者を病院に搬送

 流血の惨劇が幕を下ろすのと同時に、付近の住人は救急隊員らと協力して、負傷した通行人13名をシャヒード・ファイヤーズバフシュ第2病院に搬送した。しかしこのうちプーリヤー君(12歳)、及びアミールホセイン君(10歳)の二人は負傷の程度がひどく、命を落とした。

4名の遺体を回収

 他方、警察の捜査により、ザフラーさん(殺害犯の第一婦人)やサディーゲさん(殺害犯の娘)をはじめとする4名が遺体として発見された。テヘラン州治安維持軍のアクバルシャーヒー総司令官によると、今回の惨劇で死亡したのは、アミールホセイン君、プーリヤー君、パヤームさん、ファーテメさん(15歳)、ザフラーさん、サディーゲさんの6名で、ファルシャードさん(15歳)、サーデグさん(24歳)、モハンマドさん(20歳)、アリーさん(16歳)、エスマーイールさん(30歳)、パルヴィーズさん(33歳)、サーデグさん(14歳)、ヴァリーさん(33歳)、サイードさん(13歳)、アッバースさん(27歳)、サキーネさん(25歳)の11名が負傷した。

目撃者の証言

 事件を目撃した一人は、今回の事件に関し本紙記者に次のように語っている。

午後7時頃、ちょうど断食明けの食事であるエフタールの支度をしていたとき、銃声と数名の女性の叫び声が地域の静寂を破るように聞こえてきました。すぐに外に出ました。すると、この建物に住むファーテメが恐怖に満ちた様子で助けを求めているのを目にしました。家族の父親モハンマドが怒りに駆られて、カラシニコフで銃弾を乱射していました。銃弾の一つがその建物に住んでいたファーテメという若い娘さんとその父親に当たり、倒れました。襲撃犯の男はそれから、第一婦人のザフラーとその娘サキーネとサディーゲに銃を発射して、ケガを負わせました。

 また別の証言者は、本紙記者に次のように語っている。

事件現場の近くにレンタルビデオ屋があり、そこで子供たちがコンピューターゲームに興じていました。銃声を聞いたモハンマドという名の子供が、いかなる運命が待ち受けているのか何も知らずに店の外に出ると、怒りに駆られた男の発した銃弾に当たってしまいました。

私の息子はまだ12歳でした

 男の凶弾によって命を落としたプーリヤー君(12歳)の母親は、本紙記者に次のように語った。

息子はまだ、12回しか春を経験したことがなかったんです。犯罪者の男が、どんな罪があって息子を殺害したのか、理解できません。プーリヤーは事件当日、友達と遊びに行くと言って家を出ました。遅くなっても帰ってこないので、息子を探しに行きました。方々を探した挙げ句、困り果てた私は交番に行きました。すると警察官が、負傷者の中に息子がいるかも知れないと言うんです。すぐにファイヤーズバフシュ病院に駆けつけました。朝3時、〔病院関係者から〕プーリヤーの脇腹に銃弾が当たった、ケガの度合いがひどく、命を落としたと言われました。

 また、息子の死を聞いて茫然自失状態のアミールホセイン君(10歳)の母親は、本紙記者に「息子はいつも学校で1番でした。優秀児童として、息子の写真が学校の壁に飾られていました。でも息子はもういません。家の中は、そんな息子の写真で一杯です」と述べた。

殺害犯の動機

 殺害犯モハンマドは、ガルエ・ハサン・ハーン裁判所第103支部長のヴァリーアフディー判事によって捜査課に移送され、取り調べを受けた。男は犯行を認め、次のように供述した。

しばらく前から、妻が他の男たちと密通していたことに気がついていた。そこで、連中に復讐することを決意した。建物の住人の中に、独身の友人たちを家に呼んでは、〔パーティーを開いている〕者がいた。私の娘や妻も、そこにしばしば通っていた。事件当日、見知らぬ独身者どもが建物の中に出入りしているのを目撃した。私は自制心を失い、部屋に帰って銃を手にした。連中を見かけると、彼らに発砲した。ちょうどそのとき、妻娘と顔が合った。私は妻娘にも銃口を向け、銃弾を浴びせた。数分後、数名の地区住民が建物の中に入ってきた。出て行くように要求した。しかし出て行かなかった。そこで私は彼らにも発砲した。その後屋上に行って、そこから通りにいる人々にめがけて発砲した。

 容疑者の取り調べを終えると、ヴァリーアフディー判事はシャフリヤール警察の捜査官らによるさらなる取り調べのために、同容疑者の留置を命じた。同判事は、本紙記者に「殺害犯は、名誉〔を回復する〕ために今回の事件を起こしたと主張している。本件に関する捜査は今後も続けられる。この事件では11名が負傷し、医師らによるとそのうち2名は重体だとのことだ」と述べた。

 同判事はさらに、容疑者の精神状態に関して「モハンマドに精神異常はまったく見られない」と述べた。

 取り調べの中で、容疑者は以前からの動機にもとづき、計画を立てて今回の犯行に及んだと供述しているという。同容疑者はまた、もし釈放されれば、〔今回殺害することのできなかった〕別の4人も殺害すると述べているとのことだ。

 ヴァリーアフディー判事はその上で、「容疑者は取り調べの中で、今回の事件で1200発の銃弾を発射したと主張している」と明かした。

殺害犯とのインタビュー

 本紙記者の取材を受けるために別室に移されたモハンマドは、胸にケガを負ったため、その衣服には血が滲んでいた。彼は極めて沈着冷静な様子だった。イラン紙記者の質問に答えることに対して、抵抗するそぶりは全く見せなかった。

 モハンマドは今回の血の惨劇について、「私は自らの名誉を守るために、今回の殺人に及んだ。裁判所がどんな罰を科そうと、私はそれを受ける覚悟がある」と語った。

Q:妻の密通は、どうして分かったのか?
A:妻や娘の態度に不信感を抱いた。このことについて、何度か彼女たちに注意をした。しかしまったく聞き入れようとしなかった。隣人の男の息子は、いつも独身の友人たちを家に呼んでいた。私はその男にも、そのことで抗議した。事件当日も、男と最後の話をし、息子の行動をやめさせるよう求めた。しかし男は私の言うことを認めようとしなかった。私は激怒した。〔建物の〕管理室に行き、銃を手に取った‥‥。

Q:どうして警察に訴え出なかったのか?
A:私の主張を証明する証拠がなかったからだ。

Q:家族の殺害計画をいつから立てていたのか?
A:今年の初めに、〔妻娘の密通に〕確信を持った。そこで、計画を立てた。

Q:銃器はどこで手に入れたのか?
A:カラシニコフ銃は64年〔1985年〕、〔イラン・イラク戦争の〕戦地から盗み出し、家に持ち帰ったものだ。拳銃2丁は、今年の正月〔=3月21日〕、計画を立てた後、薬きょう2千発と一緒に購入した。

Q:今回の事件までの間、これらの銃を使ったか?
A:何度か近くの沙漠で、空中に向けて試し撃ちをした。ほとんどの場合、コルト銃を使った。

Q:なぜ子供まで狙ったのか?
A:屋上に上り、標的を定めることもなく、銃を撃ち始めた。付近の住人には、向こうに行くよう要求した。しかし彼らは私のことばを真剣に受け止めず、そこに突っ立ったままだった。

Q:子供は何人いるのか?
A:息子が10人、娘が4人だ。第二婦人は一時婚だ。

Q:いま後悔の念はあるか?
A:ないね!裁判所がどんな判決を出そうと、すぐに執行してくれることを期待している。

Q:どうしてケガをしたのか?
A:発砲した銃弾の一つが、跳ね返ってきて、胸に当たった。

Q:警官たちと争いになったか?
A:いいや。住人たちに向けて発砲しているとき、弾が銃の中で詰まってしまった。弾を取り出そうとしていたときに、警官に捕まった。


娘を殺害した父親が告白「娘は自ら死を望んだ」
2008年05月12日付 E'temad-e Melli紙

 父親による少女殺人事件を受けて、エスファハーン州司法長官はこの事件発生のきっかけをつくった人物に対して厳正に対処するよう命じた。

 他方、家族の名誉を守るために自分の娘を殺害した容疑者は、驚愕すべき自供の中で、事件の詳細を説明した。53歳のアフマドは今年オルディーベヘシュト月18日〔5月7日〕水曜日に17歳の娘を絞殺した。この男は、エスファハーン州刑事警察の捜査官の前で、娘殺害の原因となった痛ましい出来事を明らかにした。この殺人の容疑者はニュース・サイト「エブラト」で、娘の身に起きた数々の問題について次のように説明した。

7ヶ月前、私は長女をサイードという名の男と結婚させた。しばらくして、この2人の間に不和が生じていることに気づき、その不和が日増しに大きくなっていることに、私たちは心を痛めるようになった。何度も〔婿の男性に対して〕問題を解決し、娘にどうしてほしいのかはっきりするよう求めたが、何の変化も見られなかった。少し前に、祭日の贈り物を渡すために婿家族と面会しようと考えた。ところが彼らは、私たちをもてなすどころか、恥知らずにも長女との結婚を解消してはどうか、自分たちの息子は妹のファルザーネの方に興味があるようだ、などと言ってきた。

〈中略〉

そうこうしているうちに、近所の住民や知り合いの一部が事情を嗅ぎつけ、私たち家族を悩ませるようになっていった。人々は口々に噂話をするようになり、モスクへ行ってお祈りをすることさえできないほど、私たちを苦しめた。

〈中略〉

結局、長女とサイードを離婚させることになった。しかしこの2人が離婚してもなお問題は解決せず、ついにサイードとファルザーネが警察によって逮捕されるという事態へと発展した。それより前、10日間にわたってファルザーネがサイードによって略取されてしまったのだ。オルディーベヘシュト月17日〔5月6日〕火曜日、体調が優れない中、ファルザーネを引き取るために裁判所へ行き、身元を保証した上で、娘を家に連れて帰った。家に着くと、私と娘との間で激しい口論が起き、私は娘を殴り始めた。しかし娘は全く抵抗せず、ただ「私はどうすればいいの?」と言うだけであった。

どうしようもなかった。人々の非難めいた噂話のために、私はつらい状況に置かれるようになっていた。名誉が傷つき、人々の悪意に満ちた視線からは逃れられないと、私は感じた。ファルザーネのそばに座ってこう言った。「私たちがこの惨めな状況から救われるためには、お前か私かどちらかが死ななければならない」。娘は私の額に口づけをして言った。「私もこの状態を続けることはできません。もし誰かがこの世から別れを告げなければならないのであれば、私が一番適しています。お父さんが死んでも、問題が解決するどころか、他の家族もそれに巻き込まれてしまいますから。

モハンマドは号泣しながら、次のように続けた。「〔‥‥事件当日の早朝〕娘は最後にもう一度私の額に口づけをし、別れを告げた。娘は自分の手を姉に握らせ、私は前から用意していたハンカチとナイロン袋で彼女の命を奪った。娘は全く抵抗しなかった。この時、すでに家族は皆起きていて、家の隅に座っていた。娘は自殺したことにする予定だった。しかしその後、後悔が私たちを襲い、警察に通報することになった」。

〈中略〉

 ニュース・サイト「エブラト」の報道によると、以前からサイード(婿)はファルザーネに気があり、そのため彼女を略取して、誰も知らない場所に彼女を連れて行ったという。姿を消した17歳の娘の行方を追って家族は必死に探したが、結局少女が犯人から解放されて家に戻ってくるまで見つけることはできなかった。ちょうどこのとき、家族間に不和が生じ、最終的に殺人事件へと発展していった模様である。

 殺人の罪に問われている容疑者は胸が痛むような自供の中で、娘を殺した動機について、ただ家族の名誉を守るためであったと述べている。父親は長女と共に、法的な命令にもとづき刑務所に拘置されており、今後エスファハーン警察の捜査官らによる捜査が行われる予定である。

 なお、まだ高校生であったこの娘の遺体はすでに埋葬を済ませている。


昨年発生した2件の「名誉殺人」 シャルグ紙
2006年04月03日付 Sharq紙
2006年4月3日付シャルグ紙27面

【社会部】「名誉殺人」は我が国で発生する殺人事件の中でも、比較的大きな部分を占めている。新年に入り、〔昨年発生した〕2件の名誉殺人の被告をめぐる裁判が、地方刑事裁判所で開かれる予定である。

〔*訳注:「名誉」(ナームース)は「家族の名誉」を意味すると同時に、「女性の貞操」を意味することばで、アラビア語の「ナマサ」(隠す)に由来するとも、ギリシア語の「ノモス」(法)に由来するとも言われる。「名誉殺人」の詳細については、「女性の貞操と『名誉の殺人』」をご参照下さい〕

 一つは、昨年シャフリーヴァル月8日〔2005年8月30日〕の夕暮れ時に発生した殺人事件。ネザームアーバード地区の住民らは、近隣宅から聞こえてきた騒ぎ声が気になり、様子を見に外に出た。騒ぎ声は若い夫婦宅から出ていた。近所の住民らが夫婦宅に入ると、そこには切り刻まれ、血まみれになった死体が横たわっていた。

 その後、通報を受け、警察関係者が現場に到着した。死体は男性のもので、激しく切りつけられた跡が残っていた。死体は風呂場から出たところに横たわっており、凶器となった短刀が死体近くの風呂場に落ちていた。また、携帯用の短銃も、現場近くで発見された。

 現場宅に住んでいたのは、マスウードとアァザムの若い夫婦であった。警察による取り調べで、発見された死体はアリーという名の男性であることが分かった。アリーは以前に、マスウードの妹(大学生)とインターネットを通じて知り合い、この関係は電話を通じて続いていた。

 〔中略=この間、以下の内容が詳細に記述される。マスウードは、結婚を考えている男性として、妹から警察官のアリーを紹介される。ちょうど携帯電話を手に入れたいと考えていたマスウードは、このことをアリーに相談、アリーは助力を約束した。〕

 マスウードは時間上の都合から、妻アァザムに本件のフォローを頼んだ。アリーは約束を果たすために、マスウード宅に連絡すると、妻が応対、アリーが書類を受け取りに、アァザムのいる彼らの自宅を訪問することになった。アリーはアァザムと話しているうちに、マスウードとアァザム夫婦に子供ができないなどの、二人の夫婦生活の詳細について知るようになる。アリーはアァザムに「何だったら、助けてあげてもいいよ」と言い寄り、アルコール入りのジュースを差し出し、酔ったアァザムに睡眠術をかけ、ついには暴行を働いたのであった。さらに数日後、携帯電話の件でアァザムはアリーとともにテヘラン北部のタジュリーシュに行って帰宅した後、アリーは再びアァザムに暴行、あまつさえその様子をビデオにとり、彼女をゆするに至る。

 しばらく後、アァザムはその一部始終を夫に打ち明けた。それを聞いたマスウードは怒り狂い、ビデオの入ったCDを買い取るのでアリーに連絡を取るよう、妻に指示。夫マスウードは自宅に金を取りにきたアリーを、風呂場に短刀を持って待ち伏せた。アリーは家に来ると、「女は信用できない」といって、夫婦宅を探索、風呂場のドアを開けた。すると、手に短刀を持ったマスウードに遭遇、マスウードはアリーに襲いかかった。アリーはその前に、武器を携帯している旨、アァザムに伝えていた。そのためマスウードは、間髪入れずに、短刀で彼を襲ったのであった。しかし襲撃後、彼らはアリーが武器を携帯していると言っていたことが事実ではなかったということに、気が付くのであった。

 捜査終了後、マスウードとアァザムはテヘラン州地方刑事裁判所第71法廷に出廷、二被告に対する判決が下される予定だ。

 ▼ バイク乗りの若者に対する殺人

 「名誉」が原因で起きたもう一件の殺人事件も、若い夫婦によるものであった。それはバイク乗りの若者をナイフで刺し殺した事件で、今年テヘラン州地方刑事裁判所第74法廷で裁かれる予定である。

 モハンマドとサミーラーの若夫婦は昨年ティール月〔2005年6〜7月〕、キャラジのメフル・ヴィーラー地区の路地を歩いていた時、二人のバイク乗りとぶつかった。サミーラーは身ごもっており、モハンマドはサミーラーのことを大いに気にかけていた。彼らが二人のバイク乗りにぶつかったのは、そのような時であった。そして、彼らバイク乗りが発したことばが、悲劇の始まりであった。「よかったら、俺がお相手してやろうか」。これを聞いたモハンマドは怒りに震え、「私と一緒にいる女性は、私の妻だぞ」と返答。しかしそれだけでは物足りなかったのか、モハンマドは二人と取っ組み合いとなり、バイク乗りの一人をナイフで刺してしまったのだ。

 数分後、黒のサマンド車が現場近くを通りかかり、怪我人に応急措置を施し、キャラジ・ガーエム病院に連れていった。しかしその甲斐なく、彼は命を落とした。


女性の貞操と「名誉の殺人」(Radikal紙)
2005年12月09日付 Radikal紙
23歳の若者は強姦された女性が(処女性を失ったために)殺されることに同意する。また別の男性は「女性は小学校までで十分。街に女性が増えれば、混乱になる。」という。

「私だったら殺しているね。」この発言はバトマン県の23歳の若者から発せられた。家族と男性の名声のためだという。誰についてかといえば略奪され強姦された女性に対してである。4つの県で行われた調査の結果得られたこのような回答は、(昨年不貞を働いた女性)ギュルドゥンヤやサキネが殺された背景を明らかにしている。国連人口基金、および人口統計局が提出した「トルコにおける名誉の殺人の実態と防止計画への提言」という題目のレポートは、トルコにおいて公けにならない名誉の殺人で、「貞操」がどのように認識されているかを注目すべきアンケートによって明らかにした。フィリズ・カルデム助教授が組織する調査団は、イスタンブル、アダナ、シャンルウルファ、バトマンの4県で、市民社会組織で働く女性や、大学生、教員など計195人にインタビューを行った。この結果18歳から25歳までの男性がより厳しく、中年の男性の方が寛容であることが明らかになった。以下は報告書に載った談話である。
・18歳〜22歳のグループに分類される男子大学生は「貞操とは生きていることの意味である。貞操がなければ、生きている意味はない。お金はなくとも名声はなければならない。」と言う。

■貞操は道徳である。
・アダナ県男性(警察官 39歳)「貞操とは妻が不貞を働くこと。騙すことではない。他の男性と関係を持つことは不道徳である。
・シャンルウルファ県女性(70歳)「頭のいい女性は貞操を恥にさらすようなことはしない。ふらふら出歩く女性はよくないね。」
・シャンルウルファ県女性(30歳 中卒)「従順なら貞操。自由奔放なら貞操がない」
・バトマン県男性(23歳 高校中退)「女性は小学校卒業で十分。外を出歩く女性が多くなれば混乱も大きくなる。混乱が大きくなれば不道徳な行為も増えるんだ。」
・バトマン県男性(26歳 高卒)「処女を失ったら女性の意味がない。」
・バトマン県男性(34歳 高校中退)「離婚には反対だ。もし妻が裏切ったら彼女を殺す。もし妻の兄か弟がいれば彼に“お前が殺せ”と言うよ。」
・イスタンブル県男性(64歳 トゥンジェリ県出身)「女性なら略奪されるかもしれないね。私なら許さなかったろう。でも個人の自由に立ち入る権利があるのか。ないはずだ。」

■恋に落ちたら死ぬのだ
・シャンルウルファ県女性(27歳 中学退学)「ここの部族では誰かを好きになれないわ。もし好きになったら殺されるでしょうね。女性が駆け落ちしようものなら、その女性は生きてられないわ。」
・イスタンブル県(男性32歳 小卒 黒海地方出身)「もし妻が私を裏切ったらまず裁判にはならないだろうね。つまり殺すことになるよ。」
・バトマン県女性(29歳 小卒)「(鼻を切り落とす罰について話している)“なぜ指ではなくて鼻を?” “だって指なら隠せてしまうもの”。 “もしあなたが他の男性を会っていると噂されたら、旦那さんはそんなことをする?” “やるでしょう。ためらいもなく。”
・バトマン県女性(42歳 学歴無し シイルト県出身)「(刑務所で服役中の男性の妻が他の男性を関係を持ったことから起きた事件を説明して)服役中のその男は義父(妻の父)に妻の行為を説明し、妊娠していることを告げて、どう対処すべきか、と聞いたの。義父は“義息子よ。娘が受けるべきは死である。あなたの意見を尊重する。”と言った。結果娘を墓に葬ったの。」
これらは調査した人物が実際に見聞きした事件である。

■祖母の救い
・バトマン県42歳(女性 学歴無し シイルト出身)「叔父は娘を愛していてなかなか結婚を認めなかった。ある男が娘を略奪した。娘を取り返すと殺す代わりに殴った。もう一人の叔父が“娘を殺そう。朝娘は死んだから墓に埋葬すると言えばいい。”と言った。娘の祖母が家にいて娘を殺したら訴えるよ、と反対した。結局彼らは娘を殺さず略奪した男にやったわ。」
・アダナ県女性(45歳 小卒。シュルナック県出身)「私の妹は駆け落ちしたの。私も家族会議に参加したわ。誰かが“殺してしまえ”と言った。でも私は“許してあげて。もし知恵があれば駆け落ちすることはなかったわ。まだ13、14歳だもの。もし私まで失いたいなら、私も連れて行って。死刑宣告なんて見たくないもの。彼らは私を傷つけるようなことはしなかった。」



********************本記事への解説********************
トルコを始めイスラーム世界では女性の婚前交渉、婚外交渉は絶対的なタブーである。ナームス(namus)とは名誉という意味であるが、同時に女性の貞操を意味する。もし女性が夫以外の男性と関係を持った場合、それは一家の名誉が傷ついたことになり、未婚の場合は父親か男兄弟、既婚の場合は夫が女性を(時には公衆の面前で)殺す風習が存在する。これは「名誉の殺人」と呼ばれ、不貞を働いた女性を一族で処罰することで家族の名誉が回復されると考えれるからである。トルコの大都市では男女交際も自由で、婚前交渉に抵抗を持たない若者も増えているが、地方や農村では女性の処女性がまだ重視されているのが現状である。トルコでは2004年でもわかっているだけで3件の「名誉の殺人」が行われた。殺された女性の遺体は汚れたものとして誰も引き取らないことから、国連人権委員会や海外の女性団体から抗議が寄せられている。これが略奪、強姦といった女性の意に反する行為であったとしても、「傷物」になった女性に向けられる世間の目は厳しく、女性の落ち度と見なされ、やはり殺されることがある。また一部の地域では結婚初夜の翌日、血の付いたシーツを近所に見せることで女性が処女であったことを証明する風習も残っている。
 トルコの現行法では姦通罪は廃止されているが、(夫のある女性が姦通する罪。相手方も処罰される。男女平等の原則に反するので、日本でも1947年の刑法改正により削除)公正発展党は政権についた直後これを復活させようとしていた。(文責:大島 史)


最高裁、「名誉殺人」の被告への無罪判決を支持
2007年03月14日付 Iran紙
被告の男性、妻を暴行した男の殺害方法を再現(写真上)
【事件部】国の最高裁は、家庭に〈侵略〉した男を殺害した男性に対して、〔先の下級裁判所による〕無罪判決を支持する判断を示し、男性は晴れて自由の身となった。この男性は、妻の口からある男に暴行を受け、その様子をビデオに録られたとの告白を聞き、暴行魔の男の殺害を計画した〔罪に問われていた〕。

 本紙記者の取材によると、昨年シャフリーヴァル月8日(火曜日)〔2005年8月30日〕の夜更け24時、声を震わせた男性から警察に、自宅で男性を殺害したとの通報があった。男性は警察官の派遣を依頼、数分後ナールマク第127警察署の警察官らが、男性が述べたネザームアーバード地区サアディー通りの住所に駆けつけた。

 ホセイニー予審判事が現場に到着したのに合わせ、警察官らが自宅に入ると、血まみれとなった男性(30歳)の遺体を発見、捜査を開始した。捜査員らによる捜査の結果、この家の夫婦が自らの〈名誉〉を守るため、男の殺害に及んだことが判明した。

 若い女性は取り調べの中で、捜査員らに次のように語った。

私はある親戚の一人を通じて、この男と知り合いました。この男は自分を、治安関係の上層部にいる人物であると名乗っておりました。彼は銃をチラつかせながら、どんな問題でも解決してやると、私に言ってました。

そこで親戚の一人が、私の夫が携帯電話の売人と問題を抱えていることを、この男に言うと、彼は10万トマーン〔約1万3千円〕くれれば、夫の問題を解決してやると、私にいってきました。

結局、私はこの男に騙されていました。ある晩、夫が自宅に不在だったとき、私はこの男との間に信頼関係が生まれたと思い、彼を自宅に入れました。ところが彼は私を脅迫し、私を暴行したのです。もちろん、抗議しました。しかし、彼は〔暴行のシーンを撮った〕ビデオを私に見せ、言われた通りにしなければ、このビデオをばらまくと、私を脅迫したのです。
 
 この女性はさらに続けて、次のように語った。

私は自分の名誉に対する恐怖から、沈黙を続けました。その後何度か、この男の悪魔のような要求に従ってしまいました。しかしある日、私は夫と旅行に出かけた際、事実を彼に告白しました。

夫はこの事実を知るや、ナイフを購入し、男に連絡を取って家におびき寄せるよう、私に言いました。〔男が家に来た際〕夫は風呂場に潜んでいました。

 女性はさらに次のように続けた。

シャフリーヴァル月8日火曜日の20時、男は私たちの家にのこのことやってきました。私が怯えた様子であるのをみて、男は不信感を抱き、銃をとりだし、私に「お前のダンナ、家にいるのか?」と詰め寄ってきました。

男は部屋中を探し回り、ついに風呂場の扉を開けました。男は私の夫を見つけるや、ライター銃〔おもちゃの銃のことか?〕を彼に突きつけました。私と夫は彼に襲いかかり、ナイフで何度も切りつけ、彼を殺害しました。

 この若い夫婦の自供を受け、ホセイニー予審判事は起訴状を作成、本件の審理をテヘラン州刑事裁判所第71法廷に委ねた。裁判の結果、5名の裁判官は夫を無罪とし、妻に死刑を言い渡した。

 本紙取材によると、最高裁判所第31法廷の裁判官らは、妻への一審死刑判決を棄却、本件の審理を別法廷に委ねた。また同法廷は、夫に対する一審の無罪判決を支持した。その結果、男性は晴れて自由の身となった。



家族の名誉を守るために恐ろしい罪を犯した殺人犯に死刑が宣告
2008年10月12日付 E'temad-e Melli紙
【エッテマーデ・メッリー】自分の妻と秘かに関係を持っていると言いがかりをつけて隣人を殺害し、耳や鼻を切り落とした後、遺体に火をつけた若い男の裁判が行われた。不義密通罪に問われていたこの男の妻には昨日朝、裁判所により無罪が言い渡された。
〔※註:イスラームでは「火あぶり」は神のみに許された刑罰であり、人間が行うことは堅く禁じられている〕

 本紙記者の報告によると、以前ある若い男性が検察庁を訪れ、兄〔あるいは弟〕が失踪したと訴えた。この男性は捜査官に「兄〔弟〕が家を出て何日もたつが、まだ帰ってこない。あらゆる場所を探したが、見つかっていない」と語った。

 この通報を受け、警察官らは直ちに仕事に取り掛かり、事件の捜査が始まった。捜査が続けられる中、真実を暴くべく行方不明となった男性の通話記録が捜査対象となった。その結果、この男性が見知らぬ女性と接触していたことが判明した。

 かくして、この女性の行方を追跡するための警察と司法による捜査が始まった。そして4ヶ月間にわたる捜査の末、女性はこの若い男性の隣人であることが確認され、逮捕された。

 彼女は取調べで、殺された被害者とは何の関係もないと主張し、以下のように語った。「私の夫は〔殺された隣人の男性である〕アリーと付き合いがありました。夫はアリーについて何らかの情報をもっているかと思います」。

 そこで、この女性の夫も逮捕された。彼は最初の取調べで、アリーについては何も知らないと主張していたが、最終的にアリー殺害を告白した。

 容疑者は警察・司法による取調べの中で、捜査官に以下のように語った。「アリーは私の妻と秘かに関係を持っていた。彼は2年間〔妻〕ターヘレと関係があり、私は最近になってそのことに気が付いた。そのため私は激怒し、隣人のアリーに復讐しようと決めた」。

 容疑者は以下のように続けた。「事件の日、私はパソコン・デスクを設置したいので手伝ってくれとの口実で、アリーを家に呼んだ。そして家に誰もいないのを見計らい、ナイフで彼を刺し殺し、耳と鼻を切り落としたあと、キャラジ周辺の荒野で遺体に火を付けて燃やした」。

 「最初、アリーを銃器で殺そうと思い、実際にそれを用意したが、その後彼をナイフで殺そうと決めた。なぜなら、アリーは私の妻と秘かに関係を持っていたからだ」。容疑者の供述をうけ、この夫婦は司法命令によって拘置所に収監された。その上で彼らの事件は、判決を下すためにテヘラン州刑事裁判所71法廷に委ねられた。

 昨日朝、この若い夫婦は刑事裁判所の裁判官らの前に立った。アズィーズ・ムハンマディー裁判長と4人の補佐裁判官によって開かれた裁判の冒頭、検察側代表者は起訴状を朗読し、アリーには殺人容疑、ターヘレには不義密通容疑での処罰を求めた。その後、殺害された被害者の家族はキサース刑〔同害報復刑〕を要求した。

 その後、被告人は証言台に立ち、殺人容疑を認めた上で、裁判官に以下のように語った。「被害者は私の妻と2年間にわたり、秘かに関係をもっていた。私が彼を殺そうと決めたのは、このような理由からである。私は家族の名誉を守ったのだ」。

 「なぜ、最初は彼を銃器で殺すつもりだったのに、ナイフで殺したのか?」との裁判官の質問に、被告人は以下のように答えた。「私はアリーに苦痛を与えたかった。簡単には殺したくなかった。だから、彼をナイフで何回も刺して殺し、死体を燃やした。誰も顔を識別できず、死体が彼のものだと分からないようするためだった」。その後、弁護士が彼を弁護した。

 その後、若妻ターヘレが5人の裁判官の前に立った。彼女は姦通容疑を否定し、以下のように訴えた。「私はアリーとは何の関係もありませんでした。彼は時々、私の携帯電話に電話をかけてきましたが、私はそれに迷惑していたのです。でも信じて下さい、彼とは何の関係もなかったのです。3人の子供がいる女性がどうやって2年間も、赤の他人である男性と誰にも気付かれぬまま、秘密の関係を持つことなどできるでしょうか」。

 「では何故、予審判事に殺害された被害男性はあなたに〔性的な〕暴行を加えていたなどと言ったのか?」との裁判官の質問に、この若い女性は「こう言わなければ、友人を使ってお前の顔に酸をかけると、夫に脅迫されていたからです。私は強制されていたのです。でも、もうこんな話をするのは止めました。私はこんなこと〔=アリーによる暴行〕に屈したことはありません」と答えた。

 この女性の話のあと、最後に刑事裁判所の裁判官らは審議に入り、殺害犯にはキサース刑〔同害報復刑〕を、また姦通容疑に問われていた若い女性には無罪を言い渡した。



イスラーム復興運動的潮流が甚だしいよう。あんなに歴史的に宗教面でも自由であったイランが、湾岸のようにそこまでしますか。


アーヤトッラー・サーフィー=ゴルパーイェガーニー「大学は共学であるべきではない」
2009年10月20日付 Hayat-e Now紙
【ファールス通信】ゴムのシーア派最高権威の一人は、大学内での男女の混交から生じる社会問題について言及し、「イラン全土に男女別学の大学を設置する必要がある」と述べた。

 大アーヤトッラー・ロトフォッラー・サーフィー=ゴルパーイェガーニーは昨日午前、ハズラテ・マアスーメ大学の関係者らとの面会で、〔第8代イマーム・レザーの妹の〕マアスーメ陛下の生誕を祝う言葉を述べた際、「真の宗教たるイスラームにおいて、無知であることは非難の対象とされている。〔イスラームだけでなく〕すべての預言者や宗教の偉人たちによっても、無知は否定的に扱われている」と語った。

 同氏は、特に教育と無知からの解放の重要性について言及している聖コーランの一部の節に触れた上で、国内の諸大学の現状について指摘し、「男女の混交をめぐる問題はこれまで何度も批判されてきた。この問題について、大学生の保護者らも心配している」と続けた。

 サーフィー=ゴルパーイェガーニー氏は、ハズラテ・マアスーメ女子大学の設立について言及し、「国内のすべての大学で、男女が混交する場面がこれ以上目に付かないようになることを望んでいる」と述べた。

 同氏は、大学内での男女の混交から生じる社会問題について指摘し、「国内全土に男女別学の大学が設立され、そこで大学生が安心して勉学に励むことができるようにしなければならない」と語った。

 このシーア派最高権威は、さらに「全国に女性専用の大学を設置し、そこで女性に必要な分野について彼女たちが学べるようになればと思っている」と付け加えた。

《中略》

 大アーヤトッラー・サーフィー=ゴルパーイェガーニーは、「我々は多くの学科で、必要性のない教育が女子に施されているのを目にしてきた。大学の専門学科は社会の必要性に応じて組まれる必要がある」と続けた。

 ゴム宗教学院の教授である同氏は続けて、「我が国の大学は、女子学生に対して家政学や子供の養育方法を教えるような学科を提供しなければならない」と続けた。

 シーア派最高権威はその上で、「ハズラテ・マアスーメ大学が全国に展開することが重要だ。国の責任者らもこの大学の問題解決にもっと関心を払うべきである」と強調した。

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