Saturday, August 23, 2008

酷さ


試験まであと1週間。優秀ではなく、法律に何の愛も感じない不真面目でぐうたらな私が計画的に勉強できるはずもなく、早くも暗雲立ちこめる。とはいえ、大学に留まるのは、できれば1休、100歩譲って1休1留。目の前のことに囚われると、感受性の毛穴が開かない。思うべきことを思えない。泣くべきときに泣けず、笑うべきときに笑えない。悲しみだけが多産的なら、若者は泣かなきゃいけないのに。
さあ、そんな詰まった毛穴から排出。

「政治に携わることは悪魔と手を結ぶこと」と言ったのはWeberだった。おそらく、拡大解釈すれば、大人になることも、社会に出ることも、社会に出てお金を稼いで再生産していくことも、悪魔と手を結ばずには何もできないのだろう。そのうち、悪魔から逃げていたほうが悪魔になりかねないし、その逆もありうる。どこかでケリを付けて、あとは程度の問題か・・・と割り切れるほど、今の私は大人じゃないんだな。悪魔が早く迎えに来てくれればいいのに。
●そんな悪魔の伏魔殿に果敢に挑んで行く、実に優秀な戦士たちが、この象牙の塔から毎年巣立って行くわけで。Mゼミの面々と昼食。いつもながらにperfectでgentlemanなOさんから恐ろしく可愛らしい鹿の置物とハンカチをいただいてしまう。どこまで抜け目がなくて隙がないのか・・・重要文化財として保存、クウェートにできれば持って行こう。きっと出世されるだろうから裏にサインもいただく。
●Hさんは逆玉で田舎の名門領袖家を継ぎ(富山でシェア80%の豆腐生産工場経営という設定)、30で妻子連れて国費留学、40前後で中央政界に進出とともに東京に戻る・・・というシナリオを皆で勝手に描いてみた。ワーキングプアになっても、好きな勉強をしていたいと覚悟を決めたKさん。眩しい。それにしても、もう4年生からは覚悟と諦めと希望と・・・という社会人の心構えの臭いがぷんぷんする。そうやって皆大人になっていく。あと5,6年もすれば落ち着いてしまう人も出てくるだろう。そうやって取り残されていくのは、嬉しくもあり寂しくもあるんだな。結婚してしまった男友達と、アラフォーな自分の構図がイタい。疎遠にもなっていくだろうし。「結婚しない」という選択肢を貫くなら、「だからあの人は」的なイタい女にならずに、どこまでシンプルに嫌味なく立っていられるか、が課題かな。にしても、クウェート行って中東もっと回って、私は複雑怪奇な人間になりたいんだなんて言っている性根では到底絶望的かね。
●霞ヶ関が私を拒否しているのが全身で分かった。外務省証明。三田のクウェート大使館は冷房効きすぎ、シリア大使館etcに比べてrichすぎ。バブリーに浮かれている(去年の留学生曰く、「金持ちだけどアタマ空っぽ」)という雰囲気を事前に嗅いで覚悟。
●ドトール三田三丁目店の店内BGMのセンスが良すぎて集中できず+脚を入れるスペースがテーブルになくて、滞在3時間で断念。やっぱり上野駅構内店がbetter.オフィス街だけに、お昼休みにはサラリーマンたちがアイスコーヒーを買いに次々にやって来る。眺めながら、言いようのない感慨に襲われる、夏の暑すぎる午後の喫茶店。
●その代わりに行った港区立三田図書館で、「居眠り禁止」という掟を破っていたら(建前だと思っただに)、起こしていただいてしまった・・・!「起こされる」という行為は意外と恥ずかしいもの。その三田図書館で、矢沢あいの往年の名作『天使なんかじゃない』を5,6年ぶりに立ち読み。生徒会を舞台とした、ありがちでかなりベタな少女漫画なのだが、この10代ならではの甘酸っぱさ、共感etc・・・もう分からなくなってきている。分からないわけではないけど、心から震えることが、もう、できない。できない、分からないことが増えていく、21の夏。
●このブログの文章はいわゆる○野節というやつで、ぐるぐるが売り(?)なんだが、最近はしばらくそれでもいいかなという気がしている。「廉直さ」と「書生臭さ」を失いたくない。蒼くていい。そういうことにしておいて、クウェートでの精神鍛錬はきっとそうでもしないと切り抜けられない。ノイローゼになって帰って来ても私の居場所はない。
●Kくんが受け持つ生徒が、国語で「適当な」文を選ぶのに、「テキトー」なのを選んでいたことが判明し衝撃だったという話。「すごくいい子なんだけどね」。「いい人なんだけど」と褒めることは、もはや誰にでもできる時代になってしまっている。良いところがひとつも見つからない人なんてそうそういないし、極悪人、人間失格と完全な烙印を押すことのできる人間もそうそういない。問題は「いい人」の次なのだ、と理解へのブレーキを自ら戒める。
●ある瞬間(お互いの心をえぐり、傷ついたり落ち込んだりしながらも、良い方向(プラス)にひとつの着地点を見出して、腑に落ちるという感じ)に辿り着くのに要する労力や時間は人それぞれで、その長さで優劣はありえないし、わかりやすければいいというわけでもわかりにくければいいというわけでもない。ただ、疲れるとか面倒といった理由を押し付けて、誰かを本気で相手にするという契機は、歳を取るにつれてめっきり減っていくようなそんな寂しい気がする今日この頃。人のことを批判しておいて、自分が一番閉じているという酷い仕打ち。
●地域研究はいかがか、という問いに対して。「アタマ使わないよね」とな。確かに、哲学と物理の前に立つところなく。それを言ったら世の中「アタマ使う」仕事してる人なんてかなり少数なんだろう。大したアタマがなくても、そのアタマを使っていたいと思う凡人が、今、ここに、ひとり。

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