ある永遠の序奏 青春の反逆と死 (角川文庫 お 58-1) | |
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大宅歩『ある永遠の序奏ー青春の反逆と死』(角川文庫、2008.7.25)
昭和48年出版の本書、先月再版。重松清が推していたので購入。表紙は舟越桂。最近の文庫は体裁が素晴らしいね。裏返せば商売上手。大宅は『二十歳のエチュード』の原口統三ほどは怪人ではないと思う。夭逝の詩人。一般人にも近づきやすい。この若さと蒼さがたまらない。いくつかご紹介。
「なすこともなく・・・」(p.6)
いうこと 一つ一つが嘘になる
なすこと一つ一つが罪になる
他人が なにであるかも
じぶんが 誰であるかも
とんとわからず
ただ喚きのたうちまわる
ただ夢見 眠りつづける
「冬の夜更けに」(p.12)
(略)
たちこめた
強くまるい力を
何ものの上に吐き出そうかと
(何ものの上にもない
何ものの上にも正しくない)
(略)
「沈黙!・・・」(p.74)
沈黙!
今の僕は 僕の人生は
そこから 出発しなければならない
そこで僕は反省する
己は如何にあるかを・・・
我々は決して
醜くない
周りに生きている人たちも
決して汚れてはいない
だが僕は考える
否 だからこそ僕は思うのだ
僕は沈黙に還元しなければならないと
(これ以上 人々を汚さないために
これ以上 人々をだまさないために)
「此の土地で・・・」(p.80)
此の土地で働くことの
いやになった人間は
何処か 桃色の世界を
夢みている
”そんな子供のような”という
幻想を誰もが抱くものだ
他人がみたら笑うだろう
だが
他人に笑われない人生を送った
人は
笑われ通して送った人生よりも
何層倍か不幸だということを
笑われない人は知らない
――此の土地で傷付いた俺は
その人々を笑ってやろう
だが それは自嘲だった 自嘲だった
俺には桃色の国がないのだ
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箴言集
未来も過去も現在さえも考えることができず、盲目と同じでありながら、もっと悪いことに、苦痛を背負っている(p.170)
イマジネーションの飽和は必ずしも実行を意味しない(p.170)
真理を真摯に求めることは所詮嘘をつくことである(p.171)
「何故に」「何ういう目的で」という函数で人生を微分する難しさ。人生の夥しい実根、虚根。それらにふさわしい対数計算はないだろうか。(p.175)
人間は常に学問に支配されている。さもなくば完全に学問と離反している。丁度若い男女のように”好きだ、嫌いだ”の両端に我々はいる。(p.185)
僕が生きることを考えすぎる人間でありすぎて、生き抜く人間ではなかったということ(p.188)
僕の文章――けばけばしく粧(よそお)った醜い淑女。それでも、時によって僕は彼女に惚れることがあるのだ。(p.200)
ぼくの弁証法。
否定。肯定。そして大いなる否定。(p.208)
(略)現代においては、信じるということは全て狂気であり、疑うという消極的な思惟だけが、正常なものといわれるのだ。はたして、このような世の中で、狂気でない人間が存在するだろうか。(略)(p.247)
社会革命家は、その必然的な真理のために行動するという美名の下に、ヒロイズムと自己陶酔を持っているのだ。これに反し、文学者はそのような真理を信じることが出来ずにも、自己の人生の幸福を捨てきらなければならない。(p.250)
反倫理的な倫理。非倫理的な倫理(p.267)
神を信じるということでさえもが、荒れ果てた僕の心にとっては、精神の虚栄のように思われるのです(p.280)
La tristesse seule est féconde en grandes choses. (悲しみだけがなによりも多産的だ)(p.281)
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はぁ。こういうの、大好きです。
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