クウェートで穿くものはきっとパンツだけ。別に日本でもそうそうスカートを穿くタイプじゃないけれど、ごくたまに穿きたくなるもんだ。フェミニストは黙ってろ。結果的にいつもパンツでも、スカートを穿く自由が確保されている中での選択だったのかどうか、これは意外と大きい。結果的に10冊の文献しか参照できなくても、80万冊の蔵書数を誇る図書館から選んだのか、スーツケースにそれだけ収めてきたのか、これも意外と大きい。結果的に同じ30のサイトしか閲覧しなくても、無限に広がるネット上へのアクセスを確保された上での選択なのか、情報統制がある程度なされた中での選択なのか、これも非常に大きい。
どのようにでも名前をつける自由がある中で、「名前のない音楽団」と名づけるのは自由だ。どのように名づけても名づけなくてもそれは名前になってしまう。この世に生を受け、与えられた名前に生まれてずっと違和感を持ち続けていられるのも、その名に名づけられたという単なる偶有性、他でもありえたかも知れないという可能性が確保されてきたからに他ならない。私は私でなかったかも知れないと、常にどこか頭の隅におかなければ、私は私にしかなりえないという、可能性に実は満ち溢れた現実さえも受け入れたくなくて、私はきっと窒息してしまうだろうから。誰かに異なる名前で呼ばれたら、目が醒めるのだろうけれど。Please, please call me in another way. お願いです、他の方法で呼んでください。otherではなく、きっとどこかにあるはずのanother。私の、another。・・・青いな。
Saturday, August 16, 2008
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