Wednesday, August 6, 2008

「おしどり」夫婦

日々通る上野公園に文字通りの「おしどり」夫婦がいる。読売新聞のインターン選考(見事玉砕。新聞記者になりたいわけじゃないなんてぶっとんだのはさすがにまずかったか)で「最近感動したこと」というお題に寄せた拙稿。最近よく見たらまだいらっしゃることに感動。思い出して載せてみる。

「最近、感動したこと」(800字)

鬱屈して見える、変化のない退屈で単調な日常ほど貴重なものはなく、その存在自体は奇跡なのだと気づくときには、大体「遅すぎた」というため息がついて出ることが多いもの。しかし、そんな試行錯誤もなければ、反抗もせずに、じっと「そこにいる」尊さをよく知っているのは人間以外のものであるといえるかも知れない。しかも、自分は生きているのではなく、誰かや何かに生かされてすぎないと自覚しているものは。

通学路として毎日通る上野公園では、様々な動植物が現代人の目を楽しませている。ある朝、重苦しい雲から、しとしとと冷たい雨がこぼれている午前八時のこと。めがね橋のたもとで、二羽のカモが身を寄せ合っていた。彼らの仲間ははるか彼方にいる。間違いなく二羽同士異なった種類で、大きさも違う。私は立ち止まって立ち止まって目を凝らした。寒さにぶるぶる震えながら、まるで夫婦か恋人のように完全にお互いを信頼し、身を寄せ合っている。

種類は違っても、鳥は鳥だからと言えるだろうか。国籍や民族が違っても人間は人間だ、というスローガンの正当性に誰もがうなずいても、職業や生い立ち、経済状況の違いを乗り越えて、お互いを理解し心から信頼しあうことの難しさには、実感を伴うがゆえに押し黙る人は多いはずだ。人は一人では生きていけない。しかし、だからこそそこに可能性がある。日々に忙殺されていると見失いがちな当たり前のこの事実に気づかされたら、もっと周囲の人を大切にできるはずなのに。

次の朝、なんとほぼ同じところにまだ二羽がいた。けがをして動けないわけではない。晴れ上がった空の下で付かず離れず一緒にいる。there isよりもil y aとして、「そこにいる」というよりはもはや「存在を持って」いる。変わらぬ日常の中でこそどっしりと自分の存在を持ちこたえられなければ、不満をかこっても明るい未来が来るわけではない。できなければ誰かに助けてもらえばいい。私はそこに立ち尽くしていた。

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