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本日読了。阿刀田高も偉大だ。ちゃんと原典を読もう。今度は挫折しないように。聖書が読み通せるかどうかは、知的能力の問題なのだろうか。「西洋」の人は「勉強」や「教養」としてではなく、子供の頃から「自然と」親しめるわけだ。羨ましいなんて口では言いながらも、もちろん他人の信仰は他者の自由を脅かさない程度においておおよそ尊重するけれども、いざ自分の身となると、お断りである。何かを無批判的に信奉することほど恐ろしいことはない・・・と言ってはいけないだろうか。You're missing something important! What do you do when you're free without believing in something? とシリアのムスリムのメル友に言われ、ついでにその子はIslam can make a perfect society.とまで言ってのけてしまう。日本の神道には八百万の神がいると言えば、トルコの友達はHow can they make a harmony? シリアの友達はYou have to choose correct one.だと。perfect だの、correctだの、実に禍々しくて相手にしていられないと言いたくもなるけど、信仰と友情は分けて考えないとてんで話にならないのだ。彼らはすごくいいやつなんだけれど。「教養」あるムスリムはさすがにそこまでは言わないはずなんだけれど、いわゆる「普通の」人はそうなんだろうか。
かつて私が左翼サークルに居たとき、そのサークルから見れば敵である民青の人にこう聞いた。民青に入ることで見えるものと、入らないで見えるもの、どっちが大きくて深い?彼は断言した。民青に入らなきゃ何も見えない、と。アッラーを、イエスを心に抱かなければ見えないものと、そうでないもの。新興宗教と古くからある宗教の境目。アジる、オルグする。
冷静に現実を見たいといつも心がけているつもりなんだけれど、たまにこういう暴言も吐いてみたくなってしまう私はそんなにいけない人間だらうか。・・・でも、ボスニアのサラエボで、私は立ったまま一時間も大聖堂の入り口で泣いていた。隣にモスクが、その隣にシナゴーグが立ち並んでいる、小さな寒い街で。中東はシリアから辿った道が、アウシュヴィッツまで行き着いたその道が、人間らしくて人間らしくて、私はちっとも憎めなかったけれど。今度の春は必ず、パレスチナに行こう。可能ならば、イスラエルにも入ろう。色々な人にきっとまた出会って、色々な話をして、きっとまた私はどこかで泣くのかも知れない。こんなに色とりどりの地球が、醜いのに、すごく愛すべき存在なのだと。しっかり逃げずに向き合わなければ。
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