国家を歌うのは誰か?―グローバル・ステイトにおける言語・政治・帰属 | |
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Who Sings the Nation-state?: Language, Politics, Belonging | |
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バトラー、スピヴァク『国家を歌うのは誰か?グローバルステイトにおける言語・政治・帰属』(岩波書店、2008,5)
Who Sings The Nation-State? Language, Politics, Belonging, Judith Butler and Gayatri Chakravorty Spivak, Seagull Books London,2007
気になった部分を抜き出してみる(適宜改変)。
・生は、「剥き出し」だと考えられるのか。性はすでに不可逆的に政治敵領域に参入していたのでは。(p.26)
・放棄された生―追放と包摂の両方を受けている生―は、市民性を奪われた瞬間に、まさに権力にどっぷりと浸かる(p.28)
・こういった生は「剥き出しの生」という画一的なものの事例ではなく、追放のきわめて法制的状態(ステイト)なのだ(p.29)
・人権の心情の前提には、個人が(自然)状態に戻るときには、そこには譲り渡すことのできない権利があり、それこそ専制的支配から個人を守る根拠だという見方がある。アレントはこれをこれを批判し、ナショナリズムが既存の国民国家を覆っているときには、人間的なものそれ自体の完全な欠落が出現しているという。(バトラー)アレントはルソーの(自然)状態の仮説を字義通りに受け取りすぎる。ルソーは(自然)状態に対して具体的な場所も時も与えていない。(pp.31-32)
・自由は要求の前ではなく、行使の中にだけ存在しうる。(p.34)
・米国国歌をスペイン語で歌うこと。国歌を歌う権利、所有の権利、多様な帰属形態。複数性の表明。(p.43)
・変化をもたらすラディカルね政治にはパフォーマティヴな矛盾がつきもの。歌っている人たちは、(自然)状態から歌っているわけではない。(p.49)
・(スピヴァク)コズモポリタン的普遍主義はグローバルな民主主義の未来を生み出さない。国歌はわたしたちの味方になりうるので、守るべき最小単位の抽象的構造。(p.72)
・カント、倫理的「国家(ステイト)」を思考することは不可能。(p.73)
・主権を「交渉可能な」ものとして語る。(p.79)
・歴史は権力の外側の存在論的状況に置かれている人が一人もいない。(p.87)
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