Sunday, July 20, 2008

知は現場にある?

光文社新書のしおりより。コレ、結構深い問題孕んでいる。

カラジッチがセルビア当局に「やっと」18日に拘束された。複雑な思い。『カルラのリスト』(La Liste de Carla,2007)も見たし、ICTYの存在意義の重々承知しているけれど、とかく戦犯処理に関して「正義」の問題は私には手に負えないほど重い。重すぎる。多谷千香子氏が『民族浄化を裁く』(岩波新書、2005)のあとがきで言っていたな。ICTYへの日本人学生の見学者が複雑な表情をしていた、と。割り切れない様子だったが・・・と文面ではたしなめるような書き方をしていた。法を司る、(今変換して思ったけど)それが司法だから、そういう人たちがいないとこの世は機能しないから頑張って欲しいと思うけど、そこに違和感を感じたり、「?」を常に投じる人の役割も捨てがたいんじゃないかと思う。ま、大体こういう人種は世間から疎まれるし、よっぽどのキレ者じゃないと飯も食っていけないんだけど。Restorative Justice(回復的or修復的司法)とか色々あるみたいですが、なかなか難しい。一筋縄じゃいかないところに魅力を感じつつも、いずれは思考停止する己に嫌気が差しておしまいなんだ。

ああ、タイトルのこと。青島くんをわざわざ出さなくても、現場の大切さは強調するまでもない。具体性の重要性の先般書いた通り。でも、どっちかに固定したり偏るのが一番まずいこと。往復活動が大事。もしくは、思考が硬直化しちゃって、特定の具体性に直結させようとするとか、ね。今日、日曜の朝日の書評で、香山リカが、また彼女らしい結論なんだわな。4月くらいに出た岩波のスピヴァクとバトラーなんだけど。気が向いたらレヴューします。

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