Monday, August 25, 2008

バベルの塔

北京国家体育場は中国語で北京国家体育场、英語でThe Beijing National Stadium、仏語でも Le Stade national de Pékin、独語でも当然 Das Nationalstadion Peking。

中国の建てる建物のほとんどに「国家」が冠されるのに今更どうこう言うこともないが、ひとつひっかかることが。中国語と日本語は漢字を共有するから、中国語の「国家」が日本語の「国家」と訳されることに違和感はないのだが、ヨーロッパ諸言語に訳されるとき、「国家」はすべてnationalに還元されてしまう。日本語や中国語での「国家」がヨーロッパ諸言語のnationに収まりきらないのも言うまでもなく、逆もまた、nationやnation-stateやcountry・・・が「国」や「くに」や「お上」や「国家」・・・に符号しないのもまた然りである。ここでは、スタジアムやその他の競技場の名の「国家」の持つ禍々しさや毒々しさがnationalに回収されてしまうのではない方法はないものか、wonderしてしまう。【国立guoli】と【国家guojia】という概念の差が存在する中で、敢えて後者を選んでいる雰囲気。ベトナムとかタイとかシリアみたいに(私の訪れた経験のある中だけで恐縮だが)、国家元首や大統領や王や英雄の肖像画が街中に溢れているようなおどろおどろしさ、そんあ雰囲気がnationalでは伝わりきらないと思うのだが。

エトニの重要性は言うまでもなく、また国家も退場したと言われながら、リベラルの言うようにうまくは行かず、なんだかんだ言っても国家は厳然としてそこにある状況で、国家を断罪するような単純な思考によってではなく、しかし「国立」か「国家」か、その小さくとも大きすぎる差異が他言語に翻訳される際に消え去ってしまうのだとしたら、やはり、そのように今も消えて見えなくなっている概念や叫び声がこんなものに限らず、この世界に溢れているのだろう。

バベルの塔はかくも残酷であったか。

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