Saturday, August 2, 2008

don't or can't

運転するときはAFN(American Force Network)を流し聴きする。単に英語、英語という世の中のご機嫌を取っているだけで、いわゆるリスニング能力の維持くらいが目的なのだが。兵士の自殺予防!とか休暇はどこどこで家族揃って!とかCMの類が笑えるのだが、日本文化を学びにどこどこへおいでよ!とかこれで日本生活が楽になる基本会話!とかもあって、現状は知らないけれど、そうでも呼びかけないと(呼びかけても?)駐留している日本という国に関心を向ける兵士はなかなかいないのだろう。それはまだいい。ただ、私のリスニング能力の問題かも知れないが、このCMの意図は分かりかねる。

レストランで日本人女性店員がこれまた相手が外国人であることを臆せず、すらすらと流暢な日本語でおすすめメニューの解説をする。それに対してアメリカ人客が怪訝そうに"I don't speak Japanese."と。ひと悶着あって、とりあえず料理が来て食べる。すると店員はデザートは食後がいいかどうか聞いてくる。客は(この日本人は私が日本語を解さないことを分かっていないのか?!)と、リアクションに困って、"Ah.......I , DON'T understand Japanese..."、それでもなお説明を続ける店員。どうにか対処しようとするその客に対して、もうひとりの客が"Forget it!"と言ってCMは終わる。

安易な単純化、一般化はしたくないが、こういう構図に透けて見えるアメリカ人ー日本人、英語(ヨーロッパ言語)ー日本語、西洋ーアジアetcという断絶が、米軍が駐留しているという現実に被さって、なんとも痛々しい。

アメリカという国やアメリカ人という人たちに対して、ことさら特別な感情があるわけではないし、長年メールのやり取りをする友達もいるが、ある種の人々に見られるあの傲慢さはどうにかならないかと思う。海外で身内で固まってしか動けないワースト1は中国人(そもそもツアー以外に個人外国旅行がそこまで自由ではないから、というLSEの中国人留学生の説明)か日本人(中高年ならまだしも、大学生で生協、HIS等ラクラクツアーでぞろぞろ日本語でしゃべりながら「旅」してる~!と楽しんでいらっしゃるのは救いようがない)のような気がするが、アメリカ人もそれに劣らないのではないかと最近思う。彼らはツアーではなくグループ行動を好むようだが、英語以外を話して(別に英語でもいいけれど)他の旅行者や現地の人の交流しようとしているアメリカ人をまだ見たことがない。アメリカ人の友達によると、他言語への寛容性が低く、世界観が極めて矮小でアメリカがどこか中心だと思っている輩は多い、との分析。ある調査でアメリカの人口を10億と答えた人が何割だったとか。

日本の英語教育を批判しても仕方ないのだが、最近は"Can you speak English?"は相手の能力を問うゆえに失礼だから"Do you speak English?"にしなさいという傾向が強いように思う。ところが、ところが、私自身は"Do you"なんて訊かれたことがない。いつも"Can you"だから、ネイティヴにとってはそういうものなのかも知れないが、どういうつもりで使っているのか首を傾げたくなる。"Can you"と訊かれると、奥ゆかしくて消極的で謙遜上手の(!)日本人である私は"a little bit."なんて答えるしかない。そのあとでべらべら話せば、きまって日本人だから話せないと思った、とか言い始める。おお、日本人よ。

"Can you-?"と訊く彼らはそれで、答えるときは紛れもなく"I don't speak."なのだ。ああ、やりきれない。そうそう、旅先で話が続くネイティヴ英語話者は大体、Australia, NZ, Canada, UKであって、なぜかUSではないことにやはりため息しかつくものはない。

私はいつだって現地語(カンボジア語でもタイ語でもベトナム語でも口語アラビア語でもポーランド語でもなんでもいいけれど)が話せないことをまず謝る。"Sorry, I CAN'T speak ---."と。I can't と言える強さって実は意外と大事なものかも知れない。

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